7/6 モテモテの母を持つと
母は、モテた。なんてったって19人から告白されたという伝説を持っている。
確かに母は、綺麗な女性だ。鼻が高くて彫りが深いし、身長もほどよく高くて手足が細く長い。私と弟の子育てがひと段落して就職した会社でも、母のことはうわさになったらしいし、母の結婚指輪を確認しにくる男性社員がいたそうだ。
そんなモテる母をもっているので、娘にもそのご利益があってもいいものだと思うのだが、娘は大してモテない。
モテないどころか、こじらせている。
自分はどうして人を好きになれないのだろうか、自分のいるコミュニティや所属する大学で恋愛している人たちはどういう傾向を持っているか、世の男女はどうして番を結成したがるのか、結婚に焦る人々はいったい何に急かされているのかなど、考えたがるのだ。
要は、自分が恋愛できない理由をどこかに求めているのである。
もっと悪いことに、自分が恋愛できない理由を対外的な要因に求めたいのだ。
自分磨きをさぼっている事、自分の「好き」「こうありたい」「こうしてたい」を優先して「男受け」を二の次三の次にしている事、好きになった人を手に入れようとやっきにならないでいる事、そこから目を背けたいだけなのだ。
無駄なプライドが、自分を捨ててまでの恋愛を否定する。
「恋愛って、素の自分を評価してくれる人とするものでしょ??」という論理に甘えて、自己変革から逃げるのだ。
こんな内省をしている私がいる一方で、「さみしいから」とかの理由で「彼氏ほしーい」と言い、さらっと恋愛をしていく女子たちがいることも分かっていて、彼女らの存在が死ぬほど疎ましくて、でも同時に死ぬほどうらやましくて、ますます自分のできないことを直視したくないのである。
自分のできないことを直視しないままに、行動も自分も変わらず、
ますます内省と思索だけが深まり、努力が進まず時間が過ぎていくのだ。
でも、20代後半か、30代になったときの自分が21歳の自分を思って、
「あの頃は好きな人ができなくてこじらせてたなあ」と、
懐かしむこともなんとなく予想してしまっているのだから、末期だ。
これがこじらせすぎた女子の幻想なのか、はたまた直感でわかる未来なのか、5年後の自分に聞いてみなければならない。