新卒を捨ててワーホリ
質問コーナーでこのような質問をいただきました。
これを読んだ時、この質問者さんが求めている本当の答えは、
「すっしーがこの質問者さんと同じような境遇の人に会ったことがあるか、どうか」
ではなく、
「ワーホリに行きたい!だけど新卒ブランドを捨て、安定を捨て、みんなが進む道とは異なる道を進んでいくという選択肢をして、いいのだろうか。すっしーの意見を聞きたい。背中をそっと押してほしい」
というものなのではないか、と思いました。
(もし全然違ったら、ちげーよ!ってDMしてね笑)
「新卒を捨てる」
この言葉は日本独特のものだな、と思う。
わたしは高校卒業してすぐ、アメリカの短期大学に留学した。
その時に驚いたのは、クラスメイトが17歳の高校生(アメリカでは良い成績であれば高校生でも大学に通える)や子供が2人いる主婦、会社を辞めて新しいことを学びにきた60代のおじいちゃんと年齢も職業もバラバラの人たちだった。
それでもみんな同じ授業を受け、同じ宿題をこなし、同じテストを受ける。
「日本ではなかなか見ない光景だな」と一種のカルチャーショックを受けたのを覚えている。と同時に、「アメリカらしい」とも思った。
日本では新卒で就職するのが当たり前、という風潮かもしれない。
だけど世界ではそんなことはない。
卒業して大学に行く人もいれば、世界を旅する人もいる、フリーターになる人もいれば、起業する人もいる。
アメリカ留学では、言語ももちろんだけど、こうやって人種や年齢の異なるいろんな人に会えたことで、「生き方は多様」ということを学んだ。
「固定観念」はこわい。
私たちは日々、「これが当たり前」「こうでいなきゃいけない」そういう固定観念にしばられている。
自分で気づかないうちにも、潜在意識としてそうゆうふうに考える癖がついてしまっている気がする。
でも、それって本当にそうなのか。
「周りがこう言ったから」とか「親がこうだったから」とかではなく、「自分はどうしたいのか」にもっと重きを置いてみるのはどうだろう。
わたしは今まで、自分の人生を生きてきた。
わたしはわたしがその時に1番やりたい!と思うことをやってきた。
誰かの意見ではなく、自分の心に耳を傾け、自分の意志をいつも尊重してきた。
ここでいう「自分の人生を生きる」ということには、もちろん欠点もある。
他人軸ではなく、自分軸で生きることは、自由だけどもちろんその分「責任」も伴う。
フリーターだったので、好きな時に好きなだけ休めたけど、休めば給料は下がったし、所詮「高校生のアルバイトの延長」のようなものなのでキャリアアップなんて言葉からは程遠かった。
だけどわたしがそういう生き方や働き方を選んだのだから、文句は言えなかったし、誰のせいにもできなかった。
「自由」だったけれど、その分わたしは他人には見えない周りとは違う道に進むことで背負わなければならない「責任」もあった。
みんなと同じような「安定」の道に進むか、新卒を捨ててワーホリに行くか迷っている、この質問者さん自身に聞いてほしい問いとしては2つ。
「周りの意見や世間の目は置いといて、自分は本当はどうしたいと思っているのか」
そして
「その決断によって伴う責任も背負う覚悟はあるのか」
もしその問いに対する答えが「イエス」なのであれば、わたしは全力で応援したいし、今すぐ行動に移すべきだと思う。
以上、新卒を捨てたすっしーより。