いま最もアツい匂い系BL「美術のトラちゃん」(21年12月20日11話追記)
1.匂い系BL
みなさん、「匂い系BL」という言葉をご存知ですか?
下瀬川ひなる先生の『おしえて!BLソムリエお兄さん』で一躍有名になったと思われるこのジャンルは、シヅさんのようなBL猛者にはもちろん、必ずしもBLそのものを好まない一般的な読者にとっても、作品に奥深い陰翳を与える要素として愛されています。
しかし、一見したところではわからない、というのが「匂い系BL」の良さでありハードルの高さでもあります。作品を読み込んで初めて、そこはかとなく匂ってくるBL……。
読み込めば読む込むほど確信が深まる。だからこそ、滾る。だからこそ、他人と解釈について語りたい。しかし、”そこ”に到達するまでの時間を思えば人に勧めにくい。そういう両義性もまた、「匂い系BL」の良さといえましょう。
ただ、このハードルの高さを解消して、多くの人に作品の魅力を共有してもらう方法が一つあります。自分の解釈をわかりやすく提示することです(まさに『おしえて!BLソムリエお兄さん』のように)。
そこで今回、私が思う現在進行形の激アツ匂い系BLを、私なりの解釈の下、御紹介したいと思います。それはパピヨン本田先生(twitter:@papiyonhonda)作『美術のトラちゃん』です。
2.美術のトラちゃん
まず第一話を見て、登場人物を確認しましょう。最初に紹介されるのは、美術作家であり画塾を経営する「父さん」と「トラちゃん」です。本作品は、基本的には、トラちゃんが「父さん」から美術についてのいろいろを教わる形で進行していきます。
この二人でBL?と思うかもしれませんが、落ち着いてください。急いては事を仕損じる。それが匂い系BLの極意(の一つ)です。第一話では、さらに二人の登場人物が導入されます。
「母さん」と「りゅうたろう君」です。母さんはデザイナーですがイキってないので人間で、りゅうたろう君は売れてる作家なので龍です。
といっても、りゅうたろう君は、このあと第六話まで登場しません。基本的には、父さんが他の作家や生徒への嫉妬でわちゃわちゃするのにトラちゃんが冷静に突っ込むのを母さんと一緒に眺める。それが本作品の基本スタイルなのです。
ただ、さすがにそれだけではワンパターンになりかねないので、第六話ではりゅうたろうくんの個展オープニングパーティーというイベントが発生します。大人気作家のりゅうたろうくんのパーティーだけあって、とても豪華なパーティーであり、父さん(りゅうたろうくんにとっては先パイ)もショーを頼まれます。
実はりゅうたろうくんは、登竜門を突破したから竜になったのでした。なるほどね。
で、終われますか?
一部の読者の方は、すでに”違和感”を覚えておられるのではないでしょうか。
喜びすぎでは?
感嘆符(!)と「っ」の連発。御礼に加えて「うれしいなあ!」。ダメ押しに、手書き文字で「わーい!」
圧倒的売れっ子作家のりゅうたろう君が、画塾経営で生活している売れない作家にとる態度とは思えません。先パイが来てくれて本当にうれしい。その気持ちが迸っています。
その後も、りゅうたろう君は先パイのすべてを肯定します。
テツアンドトモのネタをテツアンドトモの後にやったのに「さすが先パイ! 音楽のパフォーマンスも一級品です!」。おそらく界隈の人であれば誰もが知っているオノヨーコの本を勧めている先輩を見ても「色々勧めてくれる先パイ懐かしいなあ」。これだけだとただの慇懃無礼にも見えます。売れてない先パイに対するちょっと悪ノリの過ぎるいじり……。そう見えなくもありません。
しかしながら、そんな疑念は最後のコマを見た瞬間に吹き飛びます。自分の個展のオープニングパーティーを一緒に抜け出すその理由は
”愛”じゃん。
自分のために開かれた退屈なパーティーを、地位の高くない男性に惹かれて二人で抜け出し逃避行する。古典的な”始まり”じゃん。
訓練された読者なら、この”始まり”だけで世界を展開できるでしょう。しかし他方で、それは一部の好事家の妄想に過ぎない、とも言えそうです。ただ純粋に先パイを慕っているりゅうたろう君にそこまで読み込む必要はない。むしろ、売れっ子だからこそ、先パイの本当の才能を見抜いて評価している。そういう風にも思えるわけです。
確かに、そういう説明も可能ですし、その方がむしろ説得力があるかもしれません。この場面に二人の物語が尽きるなら、ですが。
実際には、まさにこの場面こそが、「美術のトラちゃん」における二人の物語の”始まり”だったのです。
3.若いりゅうたろう君と先パイ
二人の物語が本格的に展開し始めるのは、第八話です。
過去話では物語の根幹が語られるというのは物語の基本ですね。そしてその過去話のキーパーソンは、ご覧の通り、母さんではなく、「若いりゅうたろう君」です。そして、その導入において、剛速球が、我々に投げかけられています。
えっ? なにこれ?
特段BLが好きというわけでなくても、多くの読者は疑問を覚えるのではないでしょうか。この当時の「若い父さん」は美大生ですらなく、美大受験のために浪人している立場です。そんな人が自分をピカソに例えて大言壮語を吐いている。客観的に見ればそういう状況です。
りゅうたろう君の反応は、またしても、普通の反応とはズレています。そのような大言壮語を真面目に受け取るどころか「やべえ~好き…」とまで思ってしまっています。なぜでしょうか? これは、経験者ならすぐにわかると思います。
恋は、盲目だからです。
考えすぎだと思いますか? ここで若いりゅうたろう君は、本当に「ピカソを目指す先輩」がかっこいい、だから好きだと思っていたのでしょうか? そうではない。という明確な回答が、直後のコマではっきりと表現されています。
ピカソになれるかなれないかなんて関係ない。先パイが先パイだからこそ好きなんだ。それは、先パイ(父さん)の何か特定の部分だけでなく、先パイ(父さん)自身を自分の一部として受け入れる人にのみ許された純粋な愛の形。
のちに結婚する若いかあさんがそれを言うのは、むしろ自然ですね。しかし、そこでりゅうたろうくんも負けじと声を張り上げる。ただ父さんを慰めるためなら、普通に一回同意しておけばよかったはずです。しかしそうではない。自分も、いや、自分こそが、先パイを愛している。その魂の切なる叫びが、りゅうたろうくんから漏れ出してしまったのです。
りゅうたろうくんの心の中で先パイが占めるスペースの大きさは、様々なエピソードの端々で表現されていますが、例えば、第九話では以下のように現れます。
売れっ子作家のりゅうたろう君が、先輩の乗り物として(それだけの理由で)フランスに向かう時間や暇はあるのでしょうか? あるわけがありません。それなのに、りゅうたろう君は、先輩を展示に推薦し、乗り物として活躍します。
そして終わった後の感想は
もう、先パイのことしか考えてない。そう言っても言い過ぎではないように思います。
4.心の中の”座”
しかし、この想いは”叶う”のでしょうか? りゅうたろう君にとって、今の状況は、満足いくものなのでしょうか? 問題は二つあります。
第一に、先パイには、すでに母さんがいる(いた)ことです。先ほどのコマをもう一度ご覧ください。
先パイは、りゅうたろうくんの原付ではなく、母さんのこぐママチャリに一緒に載っています。「なれなくたって私は好きだよ」と最初に言うのは、りゅうたろう君ではなく、若いかあさんです。
ここでは、二人の間の絶対的序列が表れています。つまり、先パイの心の”座”の中心にいて人生を一緒に歩むのは、りゅうたろう君ではなく母さんなのです。りゅうたろう君には、母さんのような”座”は与えられていません。
この作品のBL的魅力の本質はまさにここにあります。りゅうたろう君の心の中の大きな部分は、「先パイ」に占められ続けています。つまり、りゅうたろう君はいつまでも「先パイ」の後輩であり続けています
にもかかわらず、当の「先パイ」は、もはや「先パイ」ではありません。トラちゃんの「父さん」であり、その人生のパートナーは母さんなのです。
さらに二つ目の問題が、この非対称性を加速させます。売れない先パイにとって、大成功したりゅうたろう君は、かわいい後輩どころか、目の上のたんこぶですらあるのです。
このように、一見したところは、すでに嫉妬すらしないレベル、とも見える父さんですが、過去にはそうではない時期もありました。
そして12月3日(金)に更新された第10回では、この嫉妬は克服されたわけではなく、ただ押し込められて、燻っているだけだということが明らかになります。
ひとたび酒が入れば、父さんはりゅうたろう君への嫉妬にまた狂ってしまいます。りゅうたろう君の真似をしてやる!とも言い始めます。
そのりゅうたろう君の叫びには二つの意味があるでしょう。第一に、りゅうたろうくんはありのまま父さんを尊敬して、愛している。そんな自分を枉げる姿を見たくはない。そして第二に、自分のせいで、そういう風に自分を枉げてしまうことが耐えられない。誰も悪くないのに、愛している人が自分のせいで歪んでしまうかもしれない。そういう危険を二人の関係性は孕んでいます。
「父さん」に横恋慕する自分、先パイよりも売れてしまって嫉妬を招いてしまった自分。もしかしたら、そんな自分を責めることもあったのかもしれません。
5.二人の未来
上記の飲み会の後、みんなでりゅうたろうくんによっかかって眠ります。みんなそれぞれ、自分の夢が実現した、という夢を見ているようです。
巻き付いているやん! あからさまな差!!!
ひえ~~~!!!! いやはや。もはや言葉がでません。
しかし、それもさることなら、最後に注目したいのは、それぞれの夢の内容です。母さんは猛獣使いの夢、父さんは売れっ子作家になった夢、トラちゃんは良い作品をたくさん書く夢を見ています。やや非現実的だからこそ、夢の中で実現させているわけですね。
しかし、その中で、りゅうたろう君の夢は少し違います。
先パイを背中に乗せて飛ぶ夢です。しかし、この夢は(作品世界の中では)全く非現実的ではありません。というか、九話でフランスに行ったときにすでに実現しています。それなのに、なぜここでこのような夢を見るのでしょうか?
私は、この夢には、単に「先パイを背中に乗せて飛ぶ」ということ以上の意味が込められていると思います。ここで実現しているのは、二人きりで、何のしがらみも無く自由に飛ぶ、そういうことなのではないでしょうか。
現実には、母さんやトラちゃんがいます。売れっ子になってしまった自分やそれに嫉妬してしまう先パイがいます。それによって、先パイの心の中の”座”は、母さんやトラちゃんに占められており、自分は時にはむしろ邪魔な存在になってしまいます。
しかしこの夢の中にはそういう事情はありません。何のしがらみも無く、二人きりです。この世界では、りゅうたろう君の心の中を先パイが占めているのと同様に、先パイの心の中を占めるのはりゅうたろう君です(なにせ二人しかいないのですから)。非対称性が克服された対称的な世界。それが夢の中で実現している、そのように理解することができると思います。
けれども、これはあくまで夢。それも、父さんやトラちゃんの夢よりもいっそう非現実的な夢です。現実はこの対称性が得られることはないでしょう。しかしそれでも、りゅうたろう君が、いまさら父さんを見限ることはできません。それができるならば今のような関係もないはずですから。
りゅうたろう君の叶わない恋に出口はありません。それでも、救いはあります。
父さんの夢の中で、りゅうたろう君は感涙しています。そういう形で夢に出てくるほど、父さんはりゅうたろう君を理解して、りゅうたろう君を気にしている。つまり、りゅうたろう君の”座”は、父さんの心の中にしっかりと存在しているのです。
これまでのところ、りゅうたろう君はその”座”に(仕方ないとはいえ)満足しているように見えます。それが救いであり、他方で、絶望でもあるかもしれません。
かわいい絵柄から繰り出される極上のエモ。皆さんもぜひ摂取してみてくださいね。
6.追記(11話)
2021年12月17日に第11話が公開されました。トラちゃん一家のクリスマスを描いているのですが、その後に、何の脈略もなく挿入されるのがこれ。
これ描写する必要ある!?
しかも、クリスマスプレゼントなんですよね。明らかに、恋人か家族にあげるやつですね。でもトラちゃんとかにはなにもない。誕生日プレゼントじゃないんですよ? クリスマスにかこつけたプレゼントなんですよ? しかもそれが、めっちゃいい時計(おそらく〇十万円相当)。
もう言い訳できないねぇ。