大切な人と出会ったら、早く気づかなくてはダメ。
遠い昔に大大大好きだった人をSNSで見つけて、
友達申請をしたら、承認してくださった。
それから、たまにメールをしたり、いろいろ想い出話をしたり。
遠い昔は、私達はまだ8才くらいだった頃。
隣に座っていて、よくおしゃべりをしたあの子が大好きだった。
それから、私の両親が離婚して、母親について、超貧乏生活をしたり、
その後、父親と暮らして、父子家庭のなんとなくみじめな生活をしたり。
あの頃は、コンビニもお惣菜屋さんもデパ地下もそれほどなく、
父子家庭って、もうそれだけで人生の敗北のような気持ちなった。
それからの私は、すさむのですよ。不登校から始まり、不良にはならなかったけれど、高校卒業したらブラブラフリーターをしたあげくにお金もないのに海外へ逃亡。結局、そんな輩があの頃の外国で職につけるわけでもなく、
帰国してからも、逆カルチャーショックでメンタルがつぶれて、とんでもなくなった。それでもなんとか就職して、数年。今度は、父の事業がバブル崩壊とともに大打撃を受け、破産。しかも何とか持ち直そうと頑張った父は、闇金に手を出し、挙句の果てに急逝。残された私は、それはそれはもうどうやって生きてきたのか記憶にないくらい。それからは、こんな家庭環境では普通に結婚はと、自暴自棄になり、仕事に邁進。で、その後、兄に癌が見つかり、それを苦にした兄は精神状態がわるくなり、疎遠になり音沙汰無し。そうこうしているうちにあっという間に年をとった自分だけが残りました。
大大大好きだったあの人は、幸せな結婚をして、ひとり息子がいて、今でも私の中では世界中で一番かっこいい。だから、あくまでもたまにメールをする茶飲み友達感覚で、メールだけでお話をする。
ああ、神様、もし、あの8才の頃の自分に戻れるのなら、あの人だけを追いかけて、共に年をとり笑いながら楽しく一緒にいたかったと思う。
私がきちんとしていればと神様はおっしゃるかもしれないけれど、ちょっと苦難が多すぎたかなあと思ったりして。
でも、人生の後半戦にまた友達になれただけでも、幸せなことかもしれない。人生は共に歩めなかったけれども、年をとって懐かしい幼馴染の友達になれた。たまにつらくなるけれどもね。