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他人の欲望を欲望する

今年からオンラインサロンで改めてヌーソロジーを学んでいる。

先日のテーマは存在的貨幣論。
ゲストスピーカーは川瀬統心さん。

川瀬さんはヌーソロジー研究家。自分教ガイドという考え方をブログで執筆をされたり、本の出版もしておられる。

今回のテーマは貨幣論。つまりお金。

川瀬さんも、コロナ禍で一番考えたことがこのお金の本質についてだったと話されている。

お金って、絶対必要で、お金に向き合うことが、大人として生きていくことなんだけど、何ともその本質が分からない。

とりあえず、お金の心配がなくなるように動けば、安心しそうなのに、お金を求めても、決して安心するわけではない。

お金は良い所もあるけど、振り回されてしまうところもある。

僕自身、若い頃からお金には苦労した。お金に関してはひと言では言い表せない思いがある。

今は苦労していないことはないけど、若い頃のような悲壮感はない。

それはきっと、経験上、お金のことは何とかなるを知っているのもあると思うし、時代に流れのなかで、お金という存在の価値が下がってきていることもあると思う。
資金の調達方法もクラウドファンディングなどで、やる気やビジョンからお金を生み出す流れも出来た。

そういった流れの中で改めて考えた・・・お金について。

お金について考えると、現在の資本主義経済を考えざるを得ない。そして、近代の仕組みも。

今回のレクチャーで少しずつかみ砕いて、理解を進めることが出来た。

お金の中心にはわたしたちの欲望というものがある。

この欲望を認め、欲望を求めて動き回ることで、資本主義がエネルギーを持つ。

だから、わたしたちは健全な欲望を持って、活動をすることが前提とされている。

だから、何もしたくない。どこにも行きたくない。何てことを言いだすと、それは困った、問題だと騒ぎ立てられる。

欲望を持って欲しいという無言のメッセージがあるのだ。

そういった欲望が渦巻いている社会の中で、良い方向、悪い方向とあって、出来ればいい方向で欲望を持ってお金のシステムに入り込んで欲しいという意図が働いている。

この意図に無意識に動かされ、価値を得ようと必死になる。

この時の価値観は基本、他人の欲望を欲望するようになる。
レクチャー内でそういう言われ方をされた。

なるほどその通りだ。

今の時代、特に深く考え無ければ、わたしたちは他人の欲望を欲望するように仕向けられる。
だから、いくらその方向へ向かっても、本当の意味での満足感は無い。
まだまだと思ってしまう。

本当は自分の欲望を欲望したいはずだ。

本当は至ってシンプル。

そう考えてからきちんとお金と向き合ってみる。

すると、存在としての貨幣論、価値を生み出す側のお金のイメージが浮かび上がる。

決して自我の要求に応える為だけでなく、自己の在り方に基づいて、お金と向き合う。

足りない、足りたいと、獲得するものでは無くて、与えることによる信用の履歴が自身のお金になる。

貨幣論は今や存在論とも言える。

これからのわたしたちが向き合わなければならない大きなテーマ。

ヌーソロジーの思想をこうして具体的なものと絡ませて行くと、新しい可能性が見えてくる。

やはり、ヌーソロジーってすごい!
こうしてひとりひとりが様々な分野に応用出来る新しいOSの様な存在。

だから、掘っても掘っても飽きることの無い気付きが湧いてくる。