ほつれと結ばれは同時に起こる
ほつれと結ばれは同時に起こる
この言葉は僕の好きな作家・田口ランディさんの言葉です。
確か、ランディさんが書かれたエッセイのタイトルだったと思います。
この言葉を初めて聞いた時には、わかるようなわからないような感じでした。
ほつれると結ばれるは真逆。
押すと引くの関係のように、逆ですね。
この真逆の作用を同時に起こすには・・・?
それは同時に起きていると認識するには・・・?
ほつれていくことが結ばれていると感じるには、ほつれたことはどこかへ還っていくことなんだと認識する必要があります。
還るからまた生まれて来る。
円環的な構造。
回る、巡るというと玉、または珠(たま)。
そしてこの珠という字は女性性、女性の美しさを表す文字でもあります。
これは、相反するものを同じような視点で眺めることが出来る余裕、ゆとり、優雅さなのだと思います。
そういう感覚が特に日本的な美の感覚、元々、日本人にはこの感覚が強くあったはずです。
こうでなければと固く握り締めるより、柳のようにしなやかに揺れ動く。
風が吹けば、風と共に揺れ、波が立てば波と共に揺れる。
そういった感覚を日本人は強く有しています。
しかし近代化が進み、世界は画一的な価値観を元に勝ち負けの世界になりました。
これは、強固な男性性の力です。
円環的な巡りが無いです。
行ったら行きっぱなし。
価値は増えれば増えるほど良い。
数字は無限に増幅させることが出来ます。
この価値観を元に資本主義は拡大して来ました。
数字が根拠、豊かさの根拠、未来への希望の根拠。
今やこの価値を持つ人が世界を資本の力で席巻しています。
それが既に当たり前になった世界。
そこに何の疑いも持たず、ただ受け身でいるしかないと諦めている感もあります。
ほつれと結ばれは違うよね。
むしろ反対だよね。
そういう前提が数字の価値観の根底にあります。
しかし、ほつれと結ばれが同時に起こるとは・・・?
形でいうと円環です。直線ではないのです。
だから、行くと帰るを同時に起こすことが出来るのです。
それが円環と直線の違いです。
直線はどこまで行っても、繋がる形ではないですね。
でも、円は繋がっています。
地球は丸いから、周回することが出来ます。
立体なので円というか球です、玉です。
だから、地球上ではどんどん先へ進めば戻ることが出来ます。
実際に飛行機や船を使いそれを実体験しているはず。
そもそもは円環、玉の世界。
じゃあ宇宙はどうなの?という疑問が湧きます。
それは実際に宇宙船にでも乗って進んでみるしか無いということなので、まだ体験は出来ていませんが、おそらく円環なのではないかと思います。
そういった円環世界を表す古代シンボルがあります。
ウロボロスの蛇です。
このシンボルは古代人が描いていた宇宙観だと言われています。
科学を前提とする現代の宇宙観はどちらかといえば直線的です。
数値化出来るし、初めと終わりは常に対極。
これでは、ほつれと結ばれは同時には起きません。
同時に起きているということは極を無くすこと。
それは主体と客体を一致させることと、言えるのではないでしょうか?
どうして田口ランディさんがこのような一見矛盾するような言葉を書いたのか?
はじめ聞いた時は何だかわからなかったのですが、今になると言いたいことがわかるような気がします。
このような状態を矛盾なく想起するための認識、意識の場所、わたしの所在、そういったものを再定義するような意味があったのだと思います。
僕自身が書いた本もそういうことが書きたかったのだと思います。
そして、それはこれから私たちが向かっていくメタバースの世界を生きていくためにも重要な感覚になります。
存在の形、アイデンティティ、わたしとは?宇宙とは?
そういったことを、定めないでメタバースの世界に入り込んでいくのは危険なことのように思います。
これから向かう未来を客観視して冷静に迎えることが出来るよう、抑えておこう。
そういう未来を提示するための田口ランディさんからのメッセージだったのかな、と今は思います。