身体性は宇宙のスターゲイト 127/365
時々、あるフレーズ、言葉がふっと頭に浮かぶことがあります。
今回はその浮かんたフレーズがタイトルです。
身体性は宇宙のスターゲイト
スターゲイトは直訳すると星の門、入り口。
宇宙への入り口みたいな意味になるのでしょうか。
検索すると、昔の映画にこのタイトルがあったようです。
そして、スピリチュアル界でも結構特殊な意味を持つものらしいです。
宇宙からのエネルギーが降り注ぐ門のようなイメージで捉えられているようで、これが年に一度二度開くというようなことが言われたりするようです。
僕が書きたい今回の内容はこういうイメージとは違う視点です。
見上げた夜空とか遠い宇宙にそういう場所がある、ということではなくて、わたしたちの身体性がそのゲイトなのではないか?というイメージなのです。
みなさんも身体と絡めて世界を見た時、それが全く別のものに見えたりという経験はありませんか?
風邪で寝込んでいる時、窓の外から見える景色、気持ちの良い朝、散歩しながら眺める景色、同じ景色のはずなのにそこから感じる質感が全く違うっていう経験はないですか?
きっと、誰でも自分の内的状況によって世界の見え方が違うなっていう経験はあると思います。
単純にいうと、それが身体性の延長からの世界で、身体というのは決して外の世界と無関係ではないと思うのです。
だから、身体的なワーク、呼吸法やヨガなどは昔から人間は生活に取り入れ継承してきました。
現代においては疲れやストレスを癒すというような役割が多いでしょうが、本来はそれ自体が身体性により世界を変容させていくという大きな意味があったのではないでしょうか?
身体性により世界を変容させる。
つまり、世界とは外側に固い物質として存在するものではなく、可塑性のある、変容の世界ということ。
そうであることを実感するため、腑に落とすために身体性を意識することは重要なんだと思います。
しかし、現在のわたしたちの常識感としては、世界が外にあって、それを人間が認識して、脳で情報処理をしていると考えられています。
脳が世界を受け取って、処理しているという世界観はコンピュータテクノロジー的な認識論で、あくまで人間は外の世界を受け取るという受動的な立場に置かれます。
それだから、超高性能のPCと何が違うの?というような比較も同じ土俵に上げてやってしまうこともある訳です。
この話の中に欠けているものは何でしょう?
それがズバリ、身体性。
人間を最終的に脳に還元することにより、失うものは身体性なのです。
脳が何かを処理しているという時は、いくらそれが高機能でも受動でしかありません。
しかし、身体の延長で世界を見ている時は、身体の延長で世界を顕現させているともいえるのです。
見ること一つにしてもそう。
光の情報処理なんかじゃなくて、見るという行為において世界を生成しているともいえるのです。
わたしたち人間がそんな大それたことをしているのでしょうか・・・?
僕自身も実感として、そういうことを常にしているという感覚はありません。
でももしかして、無意識なだけで、実は人間自体がそういう存在だということなのでは・・・?
そう考えると、身体性は宇宙のスターゲイト。
そういう考え方もありな気がしてきます。
これからは新しい認識、ゲシュタルトが必要なようです。
それを様々な方面から目指し、悟りや意識進化、スピリチュアルな形で求めている人も増えている気がします。
僕もそういう考えの内の一人ですが、僕は身体性に重きを置きます。
つまり、自分自身のいる場所、知覚、感覚、それらを元に認識を立ち上げる必要性を感じています。
つまり、そこに宇宙があるのだと。
そのことにもう一度気づかせてくれた、今回の閃きでした。