独立記念日
僕の好きなシンガーソングライター浜田省吾さんの楽曲で「独立記念日」という作品がある。彼の中では初期の頃の作品。
Highschool Jaleというようなワードも出てくる。
檻の中に閉じ込められた高校生がそこから飛び出して生きていく。
そんな思いが込められた曲。
僕は浜田省吾さんに大きな影響を受けた。生き方を学んだ。
少年が大人になっていく姿が描かれた作品も多い。
「独立記念日」
僕にも独立記念日と言える日がある。
ある意味敷かれたレールを外れた日だ。
僕の場合それが社会人一年目。
初めて就職した会社をたったの一週間で辞めた日だ。
その会社は東京のイベント会社。
主に学園祭や企業の集客イベントを企画運営する会社だった。
学園祭では主にステージ関係。出演アーティストのブッキングやマネジメントをするイベント会社だった。
実はこの会社に就職したのは上京する理由を作るためでもあった。
就職活動でひとつも内定がもらえず、夏を迎え、当たり前の就職は諦めざるを得ない状況に追い込まれた。
就職浪人の道もあったが、そんな経済的余裕もなく、どうにか住む道を決めなくてはいけなかった。
音楽にのめり込んだ大学生活、何なら音楽業界へ進もうと決め、東京の求人誌から見つけた企業。音楽業界に進めば何かしらの満足が得られるではと思った。
そうして大学4年の秋に内定をもらった企業。
なんとか進路が決まった。
そこからは無事大学が卒業できるか?卒論を何とか仕上げ卒業が決まった。
さあ、次は就職!社会人!イベント会社で頑張ろう!
そういう気持ちになっていた。と、同時に自分の将来が決まってしまう一抹の寂しさもあった。
浜田省吾やミスチルの音楽に衝撃を受けた学生時代。
イベント会社に勤めながら音楽活動もして、あわよくば、ミュージシャンになる、そんな夢を隠し持って社会人のスタートを切った。
そして初出社の4月1日、スーツを着て満員電車に揺られ青山にあるオフィスへ出社した。
ドキドキの社会人スタートだった。そして入社してすぐに分かった。
音楽活動が出来るほど甘い世界ではないことを。基本、週休一日。土日はほぼ仕事。いわゆるモーレツサラリーマンの集まりだった。
入って直ぐに、これはどちらかに決めないといけなと思った。
中途半端なことをすると、どちらも失う。
会社の社長も社員さんも新入社員の僕に期待してくれていたし、よくしてくれた。
とてもいい会社だったと思う。
イベント会社社員の道かミュージシャンを目指す道か?
そうして、迷っていた日の夜中、浜田省吾さんのライブビデオを1人部屋で観ていた。
そのビデオはそれまでも何度も繰り返し観た作品。
その中に「とらわれの貧しい心で」という曲が入っている。
これは彼のデビューアルバムの最後に入っている曲。
元々、ギター弾き語りのシンプルなアレンジ。
それをリメイクしてビデオクリップとして再収録。アレンジもストリングスが加わり壮大になっている。
夜中1人、このビデオクリップを観ていて思った「妥協ではなく最大限の夢を描こう」
決心が決まる。入社一週間のスピード退社だ。
そして、次の日おそらく月曜日だったと思う、退社の旨を伝えに行った。
ここからはホント「若気の至り」だ。無茶苦茶なことをしている。
僕はギターを持参して出社した。
毎朝朝一番に社長が出社していることを知っていたので、通常の時間より随分早く会社に着いて、社長に退社の旨を伝えた。そしてミュージシャンになると宣言した。
そして、一曲聴いてほしいとギターを弾き歌おうとした。曲は浜田省吾さんの「とらわれの貧しい心で」
なんでそんなことをしたのか、自分でもよくわからない。
しかし、何か思い切ったことをしないと決心が出来ないというような気持だったのだろう。
社長は私に歌っても仕方がない。歌うのなら全員が出社してからみんなの前で歌ったらよい。と言って朝礼の時にその場を設けてくれた。
それから、徐々に社員さんが出社してくる。そして朝礼で社長から僕の退社が告げられる。そして、歌う番になった。
何とも不思議なシュチュエーション。
オフィスの朝礼でギター弾き語りする人。
その時の光景を僕はなぜか外から見た絵で記憶している。
今も頭の中にある光景。明らかなおかしな光景。
そして一曲歌い終えて、皆に退社の挨拶をし、ギターを背負って会社を後にした。
会社のドアを開けて、東京の街を歩き出したその瞬間、世界の色が空気が変わったことを覚えている。
見えない翼がふわっと身体を軽くしてくれたようだった。
初めて敷かれていないレールを歩き始めた。
その日が僕の独立記念日だった。
その後、そうそう簡単に夢の道を歩めた訳でもない。
たくさんの苦労を経験した。
もうだめだと、思い悩む日なんてざらにあった。
でも、その度にこの日のことを思い出した。
あんなことまでして、辞めた会社じゃないかと。
その日の自分がそれから先の自分に勇気を与えた。
もちろん、勇気や思い切りだけでは突破できないこともある。
結果、最大限の夢を叶えたわけではない。
でも。東京でやれるだけやった。最終的には音楽の仕事に就けた。
振り返れば、あの日が独立記念日。
あの日から僕は自分の足で歩き始めた。