僕にとっての音楽は思い切った記録のようなもの
長い間、音楽活動を続けてきた。
一昨年まではずっとコンスタントに何らかの形で人前で歌っていた。
特にもう意味など考えなかったし、当たり前の活動だった。
もちろん、音楽が好きだし、歌が好き。ある程度歌えて、楽器が弾ければ人前で表現することが出来る。
まだ、自分がステージに立つ以前は、人前で歌ったり、演奏したりできる人に憧れて、尊敬して、自分もいつかは!みたいな気持ちになっていた。
気が付けば、自分がステージに立つ側になっていて、それも既に当たり前の感覚になっていた。
それが経験というものだし、慣れというものだろう。
でも、そもそもなぜ、歌うことを選んだのか・・・?
そこを掘り返せば、実は深い意味があったことを思い出す。
それは・・・
思い切るということ
僕にとっては、初めは、ただただ思い切るということの具体的な形が音楽だった。
だから僕の音楽は僕の思い切った記録、証。
ここ最近は動画などでも、たくさん記録が残るから、それもこれも思い返せば、思い切った記録なんだなと思う。
若い頃はこの思い切るという行為が必要だった。
思い切って、何かをやってみて新しい自分になるんだ!
思い切って、曲を作ってみて、みんなの前で歌ってみるんだ!
どんな場所でも、どんな場面でも堂々と歌ってやる!
そんな気持ちを胸にいつも自分と戦っていた。
出来るのか?出来ないのか?
だから、見返すと正直恥ずかしい・・・(笑)
もしかして、誰にでもこういう気持ちや対象ってあるのかも知れない。
僕にとっては歌だったけれど、ある人にとっては踊りや演技、服装、髪型、ライフスタイル、仕事・・・いろいろなものがある。
それぞれが今迄の自分の殻を破ろうと、何かを始めて、それをみんなの前で披露する。
必ずしも、生まれつきそれが近くにあったり、得意だったりした訳ではないけど、なぜか気になって思い切ってしたこと。
そうことが、誰の中にあると思う。
僕にとってはそれが音楽だったし、そういう意味では数々の思い切りを経験した。
だから、僕にとっての、僕の音楽は特別で愛おしい。
それは他の誰のためではなく、自分のためにやってきたことだから。
そういう目で自分の音楽を振り返り、自分の歩いてきた道を振り返るとやっぱり思い切って良かったと思う。
本当に世界が変わる。
きっと、心の奥底では、それをやると世界が変わると確信してるから、やりたくなる。でも、それまでの世界、自分が変わることが怖い。
変わりたいのに変わることを怖がる人間の性。そういうものだと思う。
だから、怖いってことは本物の証。
その恐怖の先には、新しい自分がいる。
僕の音楽活動を振り返るとそんなことに気が付く。
大きなことをする必要はない。
小さくてもいいから、今できる「思い切って」をやってみよう。
すると、自分が歩いてきた道が愛おしくなる。
そんな自分が愛おしくなる。