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after 尾崎

僕が高校生の時、シンガーソングライター尾崎豊が亡くなった。

「尾崎が死んだ・・・」

教室のどこかで誰かがつぶやいていた。

僕はその時、尾崎のことは何となく、知ってはいたけど、詳しくは知らなかった。
尾崎はあまりテレビには出なかったし、当時の流行りの歌手では無かった。

でも当時、尾崎の死はセンセーショナルなニュースとしてワイドショーなどで取り上げられ、瞬く間に話題になった。

若者のカリスマ。時代の代弁者。

この時代の社会への強烈なアンチテーゼを歌でロックで表現していた。
その姿に励まされ、共感し、想いを共にしていた若者が全国にたくさんいたことがその時に初めて分かった。

僕は高校時代、尾崎と言えばJR東海のCMソングとして使われてた「I Love You」の印象が強かった。
ちらっと聞いたこの曲のワンフレーズは何とも切なく、美しい曲だった。

高校生の頃は、CDレンタルショップが町に一件だけある環境。
興味が出たところで、その曲を直ぐに聴ける環境では無かったから、CMソングのサビの部分だけを、頭の中で何度も反芻していた。


そんなこんなで、高校生活を終えて、大学へ。
大学では寮に入った。
町も生まれ故郷よりは栄えている。
そして、自由に使えるお金も少し手にした。

そういう環境で聴きたい音楽を聴ける機会は格段に増えた。

そうして、音楽にどんどんのめり込んでいった大学時代。
恐らく、大学3年生の頃、がっつり尾崎と出会う。

寮生活をしていたので、寮の友達や先輩後輩と音楽をシェアするのが当たり前の環境にあった。

お互いに好きな音楽を貸したり借りたりしていた。
この時期にたくさんのジャンルの音楽に触れることが出来たと思う。

そして、尾崎と出会う。

友達ががっつり全アルバム6枚を持っていた。

尾崎を聴くか・・・いや、止めておこう・・・
しばらく迷ったのを覚えている。

何だか聴いたら、聴く前の自分には戻れない気がしていた。
当時なぜが尾崎と太宰治がリンクしていて「人間失格」的な世界へ向かっていくんじゃないか・・・そんな怖さがあった。
でも、その怖い扉を開けてみたい・・・

そして、開けてしまった。

尾崎を聴くときはヘッドホンをして聴いていた。
あまり、周りに知られたくなかったし、完全に世界に浸りたかった。

そして、パンドラの箱が開かれた。

尾崎の世界へ。

当時はもう尾崎が亡くなって数年経っていたので、尾崎の世界は死の世界。陰の世界、そんなイメージがあった。

楽しい事だけ考えて、明るい方へと舵を切れば、そんな音楽もたくさんある。
でも、尾崎は違う。

尾崎にはごまかしが効かない。
嘘が通用しない。
全部見透かされる。

やっぱり、予感は的中・・・尾崎を聴く前の自分には戻れなかった。

それ以降、音楽の聴き方は大きく変わり、僕の存在の根幹を支えるものと変わっていった。

after 尾崎

そういっても言い過ぎでない。


尾崎の死後、たくさんの人が彼をリスペクトしカバーも随分された。
ベストアルバムもたくさんリリースされた。

もう、今となってはロック界の伝説になっていて、生前の尾崎の姿を見たことがあるのは僕よりの上の世代の人ばかり。

たくさんの人が尾崎をカバーした中で、僕が印象的なのはミスチルの桜井さんがカバーした「僕が僕であるために」。


こうして尾崎の魂が引き継がれていくんだと思った。

尾崎の放熱の証は今でも、こうして人々の心を揺さぶり、熱くしてくれている。

そして、尾崎の墓石に刻まれた言葉「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう」

この言葉の通り、僕たちは今、日々を告白しながら生きている。

尾崎の魂はたくさんのアーティストに引き継がれ、時代を超えて愛されている。


そして、今日もどこかで、尾崎の扉を開けていく人がいるだろう。

また、冷たい街の風に歌い続けている人も。