夢を描く人間、現実を描くAI
ここのところ、AIに関する記事が多いです(笑)。
いよいよ、身近な距離にAIを感じるようになり、仕事でも、自分が何をしようとしているのか?それはAIに任せても良いのではないか?と都度考える必要性を感じています。
そうなってきた時に・・・です、今、実際少しずつChatGPTを使ったりして思うのですが、ChatGPTが返してくれる答えは、まあ差し障りなく、そうだな・・・と納得するものが多いです。
何しろ、過去の膨大なデータから算出した答えなのだから、極めて現実的。
今の所、その答えに心を動かされるとか、感情を揺さぶられるとかはありません。
でもすごく、正確に今の世の中の最大公約数的な答えを提示してくれているはずです。
この答えがもっと精度を増し、誰もがそうだ!と思えるようなものになったらどうでしょう?
きっと、その世界のことを私たちは現実、現実的と呼ぶでしょう。
彼が言っているのだから間違いないと。
そういう解が共有されるようになったら・・・その世界、いわゆる現実の世界は彼らに一旦任せてもいいのかなと思います。
現実をどう作っていくのかを彼らがとりあえず、構築してくれるのなら、ある意味フェアです。
まあ直ぐにはそうはならないから、将来的にです。
そうしたら、人間は何をやる?ということを考えてしまいます。
結局、ちょっと青臭い表現になりますが、夢を描く他ないのではないかと思います。
過去のデータを積み上げた結果を算出する彼らが苦手とする分野は、過去のデータなんか関係なく、実現したいと思うヴィジョンを描くこと、つまり夢を描くことなのではないでしょうか?
人間がやること・・・結局はここに辿り着くのかなと思います。
そう考えると、夢を描くことは人間ができる崇高なこと。
そして、もっとも人間らしいことなのかも知れません。
AIと共生していく中で、私たち自身が自分達の存在に誇りを持てるように。
そういう共生ができたら、きっとAIも喜んでくれるでしょう。