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回収されなかった駐車券
今、ここに回収されなかった駐車券が一枚ある。
11月6日早朝6時18分。
伊勢神宮・内宮駐車場の駐車券だ。
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10月と11月、2度ほど、家族の用事で三重に行く機会があり、空いた時間に伊勢神宮へ参拝した。
伊勢神宮は以前から、ずっと行きたいと思っていた神社だった。
初めて行く時は、正式参拝をして、きちんと参りたいと思っていた。
だから、今回家族の用事で三重に行った流れで行くのは違うと思っていて、本来は参拝をするつもりは無かった。
しかし、結果的に10月も11月も参拝することになった。
10月は外宮を11月には内宮を参拝した。
11月6日の内宮参拝はたまたま、宿泊日が一日延びた為、早朝に時間が作れて、早朝参拝が可能になった。伊勢神宮の早朝参拝は良いとたくさんの人から聞いていた。
当日、まだ暗いうちにホテルを出て、伊勢神宮・内宮へと向かった。
初めてきた伊勢神宮・内宮、朝の空気が素晴らしく綺麗で、境内を歩いていると生まれ変わっていくような爽快感があった。
これが、伊勢神宮の空気か・・・
厳かで、慎ましくて、荘厳な佇まい。
朝の空気と時々差し込む木漏れ日にどんどん自分が浄化されていくのが分かった。
ゆっくりと境内を一周して出入口に差し掛かった頃、振り返ると、眩しい朝日が立ち昇っていた。
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これを見た時、確信した。
伊勢に呼ばれた・・・
僕は普段は出雲で宿をやっている。
お泊まりのお客様に「出雲に呼ばれましたね」とお伝えする機会は時々ある。
しかし、今度は自分が呼ばれた・・・伊勢に呼んでもらえたのだ。
それが嬉しかった。
そんなこんなで上機嫌でお土産の赤福を買って、駐車場へと急いだ。
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さあ車で帰ろうと、エンジンをかけ駐車場を出ようとすると、出庫する際必要な駐車券がない・・・
そんなはずはない。
普段からこういう券や切符など、絶対無くさないように気をつけている。ここ最近はこういうミスをした記憶は無い。
普段はこういう券や紙のチケットは財布に入れるようにしている。
ルーティン化しているから、無意識できちんと保管できていることが多い。
こういうことは特に気をつけて、きっちりしようとする意識が僕は強い方だ。
それには理由がある。
父親の存在だ。
父はいつも明るく、ニコニコ楽しそうにしている人だが、少し抜けたところがあり、肝心なところでミスを犯す。
子供の頃からそれは日常で、例えば、家族で出かけるようになってから、あれがない、これがないと騒ぎ出す。
今回使おうと思って取っておいた現金を入れた封筒が無い、とか、いつかは海外旅行へ行った時、飛行機のチケットを無くしたこともあった。
そして、その父を見て母は「また?いつもの・・・?」と、辟易する様子で苛立っていた。
こういう場面を見て育った息子としてはとにかく「男はしっかりしなきゃ」と潜在意識に刷り込まれたらしく、理想の男性像は「しっかりした人」だった。
今回は家族の用事で、何年振りかで家族が揃い、往復は僕の車の運転だったから、家族と濃密な時間を過ごした。
すると、もう忘れていたはずの子供の頃の感覚が鮮明に蘇り、改めて育った我が家を感じた。
天然で抜けたところのある父と心配性の母。
母はかなりの心配性。
家族で車で出かけた際、しばらく走った頃に「ガスの元栓を閉めてなかったかも?」「確認しに帰って!」という流れでよく引き返したものだ。基本いつもあれやこれやを心配している。
大人になって久々に両親と動いても、その資質は健在で相変わらずだった。
ああ、ここで育ったんだ・・・
ここから始まったんだ・・・
自分の人生が始まった場所を深く思い返していた。
こういう環境だったからか、とにかく「心配をかけないこと」「しっかりすること」を座右の銘に生きてきた。
だから、しっかりした大人に憧れた。
大人になってからも、時々、垣間見てしまう両親のそういうところを見るのは嫌だったし、なるべく遠ざけたいと思っていた。
対して、自分はしっかりしている・・・しっかり者でなければならない。と、いつも虚勢を張って、父の逆を行こうとしていた。
しかしである・・・よくよく考えれば、そんな要素はあまり無い・・・
自分も大概抜けている、肝心なところでミスを犯すこともある。
やっぱり両親の子だ。
でも、そのおかげでたくさんの人に可愛がられ、お世話をしていただいたことも多々ある。
そんなこんなを含めて、やっぱり家族なんだ。家族だったんだ。
なんだかホッとした。
結局、どこを探しても駐車券は見つからず、守衛さんに紛失したことを伝え、紛失の手続きをして、無事駐車場を出ることが出来た。
駐車券が無い!と気がつき、慌てて、ズボンのポケットや上着のポケット、財布の中を探す姿は幼き頃から見ていた父とそっくりだった。
その後、家族がいる元へ、一人車を走らせながら、「もういいだろう」「もう許せばいいだろう」と、頬を緩ませながら、反芻している自分がいた。
何を許すのか?何が許せていなかったいなかったのか?
その一つ一つがとても、くっきり見えてきて、鮮明になっていた。
これまでの自分を支えてきた理想像。
それに対し、如何ともしがたい血のつながり。
この二つで揺れ動く自分を卒業し、ありのままの自分を受け入れていこう。
いいじゃないか・・・
約1時間車を走らせて、家族のいるところへ戻った。
そこには年老いて尚、親としての役割を果たそうと必死の姿があった。
不器用ながらも、家族のことを思い、必死に頭を捻っている両親の姿があった。
力になろう!
今、目の前でなんとかしようとしている両親の力になろう。
そう思い、僕も必死にその場を立ち回った。
そして、一旦、家族の用事は終わった。
両親を乗せて島根に車で帰った。
久々に家族で動き、息子として、弟として、兄として、家族としての役割を果たした。
西洋占星術では11月20日から本格的に冥王星が水瓶座に入ると言われる。
いよいよ本格的な風の時代到来だ。
その到来を前に、一つ重要な通過儀礼をしたのだと思う。
自分が育った場所。自分の始まりの場所。
そこに連れてってくれて、わずか三日間で何十年の人生ストーリーを再現してくれた。
素晴らしきかな人生・・・
愛しの我が家族・・・
そんなこんなで島根に帰ってきて、ふと助手席側を見ると、不思議なところで駐車券を発見した。
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助手席側のドアの取手の窪みにポツンと置かれてあった。
まさか、こんなところに置くはずがない。
これは伊勢の神様のいたずらだ・・・
そんなことを思いながら、また島根での生活を再スタートした。
ひょんなことで、人生が大きく変わることもある。
ひょんなことで、家族が集まることもある。
でも、こうして、いつも見えないところで、神様は私達に何かを伝えようとしている。
そのメッセージに気が付けるか?付けないか?
それによって人生の意味は大きく変わってくる。
今回の伊勢神社参拝は一生忘れられないものとなるだろう。
さあ、風の時代。
回収されなかった駐車券を大切にしたため、新しい時代を生きていこう。