アントレプレナーシップ
僕にはアントレプレナーシップ、起業家魂がある。
これには理由がある。
東京で暮らしていた10年間の間の約2年、僕はIT系のベンチャー企業で働いていた。
ミュージシャンの夢を一度諦め、アルバイトから社員になった、というか正社員にしてもらった会社。
その会社は当時15名位の小さな会社だったが、今ではグループ会社含め600人を超す、企業へと成長している。僕が働いていたのは20年くらい前の話。
僕はその会社の社長から直接営業の手ほどき、起業に対する考え方、様々なことを学んだ。何せ社長の前が僕のデスクだったから。今ではその社長はグループ会社の会長というようなポジションにおられるので、今の人に話したら羨ましがられるだろうというような環境。
僕の人生を振り返るとやっぱり、「メンター」と呼べるような人だ。
その社長の考え方、生き方、姿勢、哲学、辞めてからも大きな影響を受けていたのだと思う。その当時社長が勧めてくれたビジネス本は今でも僕のバイブルだ。
そんないい会社を僕は2年で辞めてしまう。
そこには僕にとって、人生を変える大きな出来事があったからだ。
この会社にいた頃、もう音楽は辞めていてビジネスの道を進もうとしていた。
当時第二新卒という言葉もあり、僕もギリギリそこに入れたと思う。
目の前に新しいキャリアが広がっていた。
音楽を辞めたのもある理由があった。
いわゆる「詐欺」にあった。
東京ではきっとよくある話。
当時まだインターネットも黎明期。
音楽業界のことなんて分からないことだらけ。
そんな環境の中CDデビューをさせてあげるから制作費を半分負担しろというような内容だった。今となっては、冷静に考えれば100%怪しい。
当時の僕はというよりか僕らは世間知らずだった。
僕ら、というのは二人で詐欺にあった。もう一人は僕の大学時代からの友人。I君。
I君と一緒に詐欺にあったのだ。
被害額は2人で80万円。1人40万円。まあある意味手ごろな金額?
この話はまあ色々あって面白いのでまたの機会に詳しく書きたい。
I君とは大学時代に会った。僕より先に音楽に目覚めていて、ギターを持ち弾き語り、作詞作曲をしていた。大学時代には一緒にバンドもしていた。I君は就職活動というものをせず、上京してシンガーソングライターになると大学生のころから言っていた。
僕が音楽の道を志したのはI君の影響があったから、非常に大きな存在。
上京してからは互いにシンガーソングライター希望なので別々に活動をしていた。
上京して2年とちょっとが経った頃、I君の元に1通のはがきが届く。オーディションのお誘いだ。その時たまたまI君の家に遊びに行っていた。
2人グループ作って応募してみようということになり、応募したら一次合格。面接があるとうことで代官山のマンションの一室にあった事務所へ。
そこで、二次も合格との知らせ。話はとんとん拍子。そしてCDデビューの話。
しかし、僕は話がうまくできすぎている、怪しいと思っていた。その点I君は有頂天。夢が叶うと浮かれていた。
1人、金額40万円。この金額設定が上手だった思う。もっと高ければ払えない。でも、この金額なら無理すれば払えそうと持ってしまう。クレジットカードのキャッシング等でかき集め支払った。
僕は賭けに出た。これで駄目なら音楽は諦めよう。
そして、賭けは外れた・・・
やっぱりか・・・二人は大きなショックを受けた。
そして僕はビジネスの道へ、I君は地元の神戸に帰り人生の再スタートを切った。
どうやら営業の仕事を始めたようだった。
それから、I君とは時たま電話をしたり、メールをしたり。
僕は当時、急成長のIT業界に入ったから、とても勢いがあった。仕事はどんどん入ってくる。頑張れば収入も増える、先行きが明るい状態にいた。
やっぱり、思い返すと調子に乗っていたと思う。
きっと会う人会う人に、自分の仕事ぶり、成長ぶりを話していたと思う。
周りが見えていなかった。
そして、地元に帰ったI君。彼は仕事に躓いていたようだ。
元々、押しの弱い、気のいい性格だった。営業が向いていなかったかも知れない。
仕事に将来に悩んでいた。
たまの電話やメールはそういったところから、ネガティブな内容が多かったと思う。
そんなある日、仕事中多分19時くらいだった、オフィスにいた僕に大学時代の別の友達から電話がかかってきた。普段は電話なんかかけてこない友人だったから、珍しいと思った。
そして電話に出ると
「I君が亡くなった」とその友達が言った。
状況が上手く呑み込めない。
亡くなった?
亡くなった?
彼は自ら死を選んだ。
その後、どの道を通って家路についたのか覚えていない。
翌日には通夜、その次の日は葬式。
当時東京に住んでいた大学時代の友達の車で神戸へ向かった。
記憶が定かではないが神戸では多分一泊しかしていない。
僕はそれまで身近な人の死を経験したことがなく、この気持ちとどう向き合っていけばいいのか分からなかった。
そういうこともあり、この出来事を会社の社長、同僚へも言えずひとり抱え込んだまま僕は通常業務に戻った。
彼の死後も、もちろん変わらず世界は回り続け、日常は過ぎていく。
当たり前だ。
僕はそのショックを仕事をすることで、忙しくすることでごまかしていた。
毎日終電くらいまで働いて、アパートに寝に帰る。そうして朝から出勤。
無理をしていれば、当然身体に負担がかかる。
その結果、皮膚炎や泌尿器系、突発性難聴、様々な疾患が身体を襲う。不眠もあったかも知れない。
もう限界だった。
そして、退職を決意する。
僕はその時状況、経緯、友達との死別のことを言えなかった。
おそらく、社長にはもう一度音楽の道を目指したいと告げて退職しただろう。
社長は自分の決めた道を進めと引き留めることは無かった。
そうして、また振り出しに戻った僕の人生。当時既に27,8歳だった。
そこから、またアルバイトで食いつなぐ日々。路上ライブをしたりデモテープを作って応募したり。また地道な作業だった。その後ボイストレーナーになり、音楽の仕事に就くが声帯を痛めて、この仕事を断念。そして地元島根にUターンし、完全に音楽の夢を諦めた。
そして、僕が島根に帰ってから、しばらくたった頃のこと、IT会社で一緒に働いていた元同僚から電話がかかってきた。
社長の出版記念パーティーのお誘いだった。
何とその社長は現時点で2冊の本を出版している。
僕は元同僚に島根に帰った、もう東京にはいないということを告げた。残念そうな声が受話器から聞こえた。その同僚もその後出世。今では経営者だ。
出版した社長の1冊目の本はいわゆるノウハウ本。メディアマーケティングの本だった。
そして2冊目は社長の起業物語。
社長の学生時代~サラリーマン時代~起業家として独立~グループ会社設立までのいわゆるサクセスストーリーだ。
2冊目の本を出されたころは既に起業家としての地位を築いておられ、僕にとってはとてもとても遠い存在となっていた。
その2冊目の本をネットで注文して読んだ。
そしてその中に、僕の名前を発見する。
僕は2年で辞めてしまった、中途半端な人間だ。
おそらく、その社長のなかでは「そんな子いたね~」くらいの影の薄い存在だと思っていた。
しかし、起業して初期の頃の話の中で僕の名前が出てきた。
「当時ミュージシャンの夢を諦め暗澹たる思いだった○○君」として。
そして、当時の僕へのマネジメントで大きな気づきを得たことが書かれていた。
役割が人を成長させる、というような内容の一例だった。
当時経験の浅かった僕をウェブディレクターに抜擢してくれて、その仕事を頑張ったことを僕も覚えている。そのことを社長は覚えていてくれたのだ。そして、本の中にそのことを書いてくれた。
それを読んだとき、目頭が熱くなった。
僕は辞めていった社員のその他大勢ではなかったんだ。
そして、このことが遠く離れた僕へのエールだと勝手ながら受け取った。
住んでいる場所も違う。業界も違う。
しかし、ひとりの人間として、今もこうして生きている。
あの時、会ったあの人も、あのとき別れたあの人も。
そして、あの社長が伝えた精神。
アントレプレナーシップ
それは僕の中で息づいている。
僕の中で「やれた」と思えたその時、
直接その社長にお礼を言いに行きたい。
それが今の僕の目標だ。