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地球温暖化と新型ウイルス

僕は大学時代、地球科学という学問を専攻していた。
当時は1990年代の初めの頃、地球温暖化という問題は既に社会的に認知されていて、僕も地球環境学という講座でそういった問題について学んだ。
当時、僕もこの分野に興味があり、地球環境を改善するには何が出来るのか?そういったことを学ぶんだと意気込んでいた。
当時の論調は人間の経済活動が行き過ぎて、地球の環境を壊している。大気汚染、オゾン層破壊。これを食い止めるにはどうしたら良いか。
今もそうだが、特にCO2削減が人類の目標という話はセットだった。
そんな時代のなか、科学はどういう方法でこの問題を解決すのか?そういったことを追求していく立場であった。

その授業の初日だったと思う、担当の教授が思わぬことを言った。

「近年、人間の出した、CO2の増加で地球温暖化していると言われている。
しかし、温室効果の理由がCO2だとのは一つの説。人間がCO2排出を増加させているから、地球が温暖化しているというのはあくまで一つの説だ。科学はこういった議論をじっくり証拠を元に明らかにしていく立場である。」
そのようなことを言われた。

当時テレビなどでも地球温暖化問題は良く取り上げられていて、基本の論調は人類がいかにCO2の排出を少なくするかというところだった。

石油を燃やす⇒CO2が増える⇒地球温暖化⇒海水面の上昇⇒陸が沈む。

このような大変シンプルな構造で人類がピンチなんだと語られていた。
しかし、専門の教授はそれはあくまで一つの説で他にも様々な要因があると考えられていると言っていた。
もしかしたら、地球の周期的な変化でCO2が増加する時期に当たっているのかも知れない。地球だって一つの生命体だと。
それまで、そういった角度でこの問題を見たことが無かったから、目から鱗。そうだ、決めつけるのは早いなと思った。
実際に学問上では様々な説があって、どれもある程度の論拠があり、科学的根拠を求める難しさを感じた。
それは1990年代初めの頃だったが、それからどんどん時は過ぎ、近年は当たり前のように地球環境保護という考え方が浸透している。もちろんそれは良いことではあると思う。
そして、前提は90年代当初と同じ「CO2悪者説」だ。
とにかく、CO2排出は地球にとって良くない。
それが前提となり、「エコロジー」という言葉、新しい概念が生まれた。
そして、国が後押しする形で、エコロジーの条件を満たした商品が生産されるようになった。エコカーやエコ家電。今ではそういった商品が溢れている。
もちろん、それは良いものではあるが、今まで使っていた車や家電は、地球に良くないですよ。地球にやさしい物に変えていきましょう。
そんな風潮を作り、購買を刺激されていたのかも、という気もする。
物が売れなくなった時代。人々のニーズが満たされた時代。そんな時代に車や家電を買い替えてもらうには、そういったプロモーションが必要だったのかも知れない。新しいライフスタイルとして。

そして、今年、2020年。
新たな悪者をまた人間は作った。「新型ウイルス」。
これに関しても、科学者も色々な立場をとっている。
実際にはまだ、色々な説が飛び交い、議論がされている最中であると思う。
しかし、国家は早々に「新しい生活様式」を打ち出した。
もう、それはさも決まっていたかのようにスムーズな対応だった。

新しい生活様式で急浮上したのが「マスク」「除菌剤」「透明シート」。こういったものは一年前は一般人が特別意識することは無かったものだ。
施設や場所の管理は「除菌」という項目が増え、これによって質を図られるものとなっている。
この間、何気にテレビでショップチャンネルを見ていたら、こういった除菌グッズの販売時間が多かった。それまでは、服や貴金属を売っていたようなチャンネルが、すっかり変わっていた。
やっぱり、大きな時代の変化だ。
そして、更にはウイルスを拡散しないように「リモート化」が本格化した。
人と人が会うから、集まるから、クラスターが起きる。
会わなければ、安心です。
そうして、インターネットを介した情報のやり取りを進め、お金も随分こういったところに流れている。
ここにも「ウイルス悪者説」が前提にあって、それを殺すか、避けるか、そのどちらかが最優先されている。

なんだか、地球温暖化に対する取り組み方と構図が似ている気がしてならない。

新しい概念は崇高でキャッチコピーとしては素晴らしい。
誰も否定が出来ない内容になっている。
そして、科学的根拠が見切り発車のように見える。

どちらも、「悪」を必要とする考え方。
元々CO2だって、ウイルスだって自然界に存在する目には見えないもの。
勝手な解釈により悪者に仕立て上げられているだけだ。

私たちの文明はいつまで「悪者」を必要とするのだろうか。
自然界は本来、善悪で片づけられないもので溢れている。
しかし、支配をする立場からすると、「悪者」を利用するのは常套手段。
悪者がいるとなれば、恐怖を感じ、個々が考える力を削がれてしまう。
怖い対象から逃げるか、戦うかの本能的な思考しか出来なくなるのだ。

新しい生活様式、新しい言葉(特に横文字)、新しい概念、そういったものを国が提唱している時は、一度立ち止まって自分で考えてみる必要がある。

そして、その前提を疑う眼も必要だ。