出雲・宗像・ヌーソロジー
3月10日、福岡県宗像市へ行ってきました。
今回は「響きあうアート宗像」という芸術祭に参加するのが目的でした。
そして、この日は「ヌーソロジーから観るアート」という講演会がギャラリーで開催されました。
講演会のスピーカーはヌーソロジー提唱者の半田広宣さん。
対談形式で今回の芸術祭と絡めたヌーソロジーとアートのお話をされました。
僕自身は直接、半田さんのお話を聞くのは10年ぶり。
10年前も福岡の地で直接、半田さんのヌーソロジーレクチャーを聞きました。
おそらく、4時間位のお話を聞いたと思いますが、その時、身体中の細胞が震え出し、何かスイッチが入ったような感覚になりました。
こういう経験はヌーソロジーに深く触れたことがある方は少なからず感じておられると思います。
今回はあれから10年・・・ということで、僕自身もひとつの区切りとして感慨深く参加しました。
アートというとやっぱり、難解で奥が深くて、分かりにくいというイメージがあると思います。
僕自身も美術館などに行っても、掴みどころのない表現の世界に暗澹たる思いになることもあります。
アーティストは何だかわからないけど、それぞれが内側に独特の世界を持っている。それが表現されている。
でも、それが一体なんなのか・・・?
わからない・・・
でも、ヌーソロジーを学び、その世界観を垣間見ると、アーティストのうちに蠢いているその衝動の一片が垣間見えるような変化が起きてきました。
その世界とは私たち現代人がすっかり忘れてしまっている、この世界そのものの姿。
見たままそのものの世界。
それなんだと。
近代的合理性の力により、完全に日陰に覆いやられてしまった、私たちのありのままの世界。
その世界をもう一度呼び起こそうとする、意識活動、力の脈動。
その意識活動自体が、私たちの生命そのものだ!というところに立脚すること。それなのです。
現代は、そこから外れ、言語の自動機械になり、数字の増減にしか価値を見出せなくなりつつあります・・・
宇宙の生成からどんどん外れていく人間という活動に待ったをかける、それがアートの役割なのだと感じました。
それを非言語で表現したものが芸術作品。
作品ひとつひとつにその想いが込められ、見る人に問いかけてきます。
あなたの見たまま、そのものの世界って、どうなっていますか?
わたしはこうなっています。
そういうコミュニケーションが非言語で取り交わされる。
それがアートの世界なのですね。
そして、今回の半田さんの講演会ではイデアの話が出てきました。
アーティストはこのイデア世界を見ているのです。
ヌーソロジーもこの幾何学構造を重要視します。
ヌーソロジーでは、この構造を私たちの空間認識に当てはめ、さらに素粒子構造に当てはめていきます。
そして大事なのは、この構造の中心に居座るのは、私たちの認識、精神だということです。
観測している私たち自身が空間構造に大いに関わり、いや、関わるどころか、実はそれそのものなのだという世界観に発展していきます。
この世界は私の認識、精神抜きにしては存在し得ない。
精神が本質を握っている。
アートやヌーソロジーが私たちの心を揺さぶるのはここに立脚しているからなのではないでしょうか。
本当は気がついている、本当は知っているのに、そこを覆い隠さざるを得ない現代という病。
そこに強烈な揺さぶりをかけ、目覚めを誘発させる。
そんな存在が必要なのです。
元いた場所へ。
本当の世界へ。
向かい風に負けず、そこへ向かっていく、確かな意志。
そこを試されていると感じた宗像のアートでした。
僕自身は出雲の地で自分なりに、イデアを思索し、表現してきました。
ここ10年の活動が出雲から宗像への繋がりを生みました。
出雲はスサノオの地。宗像は宗像三女神の地です。
宗像三女神はスサノオとアマテラスの誓約(うけい)から生まれたと神話に記されています。
そのことを自分とは関係のない、神話の昔話のようなものと捉えるのか?今の自分の精神の脈動と見るのか?
その違いによって、神社を見る目も全く変わってきます。
現代人がこうして、イデアをアート作品で表現しているように、昔の人々も神社という形で壮大なアートを残してくれたのかも知れません。
そんな想いで神社へ参拝し、その世界に没入する・・・
そうすれば、自分自身の本質に、本当の世界に出会えるのでは・・・
そんな想いで、宗像大社・辺津宮の参拝をしました。
大切に守られ、受け継がれてきた聖地の空気はとても澄んで、綺麗でした。
次回は大島にも渡って、中津宮、そして向こうに見えるだろう沖津宮を遥拝したいです。
出雲・宗像・ヌーソロジー
このピースがガチっとハマりました!
そして、この日の夜には芸術祭のスタッフさんや参加者さん、そして半田さん交えて、夜の宴が開かれました。
素晴らしい出会いに、アートの夜に酔いしれました・・・
全ての皆様に感謝を。
今を観じられるわたしに感謝を。