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新説!邪馬台国の真相1>>>>

<はじめに>
「邪馬台国」は、テーマにしたい私のライフワークのひとつ。マンガ作品のために長年調べてきましたが、創作ものよりもまずこの検証した事実のおもしろさを、論説文として形にしたいという強い思いにかられ、ここに発表することにしました。
ちょっとマニアックな内容ですが、誰でも読めるような文体にしようと心がけました。興味のある方はぜひ、歴史に興味のない方もそれなりに(笑)ご覧ください。

新説!邪馬台国の真相1>>>>
  私たちの国はどうやって生まれた?


邪馬台国はどこにあるのか?ーーー
江戸時代から続く永遠のテーマですね(笑)。
まずどうしてこんなに世間で「邪馬台国」ネタが騒がれ、学者のみならず素人研究家がいろんな説を持ち出して論争になるのか、簡単に説明しましょう。

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そもそも「邪馬台国」というクニが日本の中にあった、と記録に残したのは古代中国の文献なんです。唯一「三国志」の「魏」という国の歴史書の中に、倭人のことも書き残してあります。いわゆる「魏志倭人伝」と呼ばれる書物ですね。
そこには「女王・卑弥呼の存在」「庶民のくらし・服装・食べ物・習わし」「倭国の歴史(2世紀後半から西暦266年まで)」「地勢・産業」そして「邪馬台国までの道のり」など、細かく貴重な情報が記されてありました。
そこで記述どおり、邪馬台国への道のりに沿ってコースをたどっていくと、日本列島を越えはるか南のフィリピン沖やジャワ島あたりに、邪馬台国があったことになってしまいます。

これはおかしい、どこか記述が間違っているのではないか?
と江戸時代の国学者・本居宣長が疑問を呈したのが、この邪馬台国論争の始まりでした。その後、戦前戦後と論争が激しくなり、次第に学界の派閥も巻き込んで、大きく九州説と近畿説に分かれていきます。
九州説の根拠はこうです。
北部九州は、当時もっとも鉄を豊富に有し、倭国中では最先端の文化をもった地域だった。「倭人伝」に書かれた倭国の窓口(一大率)が置かれた「伊都国」も、北部九州(福岡県糸島市)にある。だから女王が北部九州にいるのが自然。佐賀県「吉野ヶ里遺跡」は、「倭人伝」に書かれたクニの様子そのままである。邪馬台国への道のりで「陸行1月」という記述は、「陸行1日」の間違いだろう。卑弥呼は北部九州一帯の王だった。

それに対し近畿説はこうです。
「倭人伝」では卑弥呼の死は247年とされており、奈良県桜井市「纏向遺跡」にある初の巨大古墳・箸墓古墳と、築造時期がほぼ一致。しかもこの遺跡の出土物から、全国各地の人々が集まってクニを作っている様子がわかる。それは倭国統一されつつある証拠。ヤマト=邪馬台という発音も似ている。邪馬台国への道のりで「南へ」というのは「東へ」の誤りだろう。魏からもらった銅鏡は、おそらくここから多数出土する三角縁神獣鏡のことだろう。ここが邪馬台国であり、すでに卑弥呼は西日本一帯の王だった。

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さて、あなたはこれをどう思いますか?
まさにガチンコ勝負って様相ですが、「月」が「日」の間違いだとか、「南」が「東」の間違いだとか、まず結論ありきの説明のような気がしてなりません。
ただ大切なことは、九州説なら統一政権の勢力は北部九州の狭い地域。近畿説ならこの時代に、すでに西日本一帯が統一政権だったってこと。これは、日本の歴史にとって大変重要なことですよね。

ところがとんでもないことに、この「倭人伝」に書かれた西暦266年の記事を最後に、倭国の記載は消えてしまいます。日本の様子がどの文献にも登場しなくなるのです。
次に出てくるのは、西暦413年。そのとき現れる倭国は、先日世界遺産にもなった超巨大古墳を持つヤマト王権であり、都は畿内(大阪)、朝鮮半島に兵を送ったりする強国として描かれています。
実にこの147年の間に、倭に何が起こったのか?誰もわかりません。

それだけではありません。147年間の空白が生じているのは、中国の文献でのお話。では日本国内の記録はどうかというと、大変奇妙なことに、8世紀に書かれた日本最古の歴史書である「古事記」「日本書紀」には、もっぱら日本開闢の神話が書かれてあるものの、「邪馬台国」とか「卑弥呼」とかの文字はまったく見当たりません。登場しないのです。
詳細はここでは省きますが、どうも古代ヤマト政権は、自らの歴史書の中に、「邪馬台国」という名を刻みたくない、関わりたくないという意思がみてとれます。ヤマト政権と邪馬台国は別政権だった可能性高いのです。
となると、邪馬台国は何者なのか?日本の歴史上、どんな立場にいた勢力だったのか?ヤマト政権との関わりは?など次々に謎は深まってきますね。

それらはおいおい明らかにしていくとして、
まずここで述べたいことは、「邪馬台国はどこにあったのか?」は単に場所はどこだったのかという問題ではなく、今につながる日本という国のルーツを知る、重要なミッションになるわけです。それゆえ、学者のみならずアマチュア研究家もこぞって、この謎に魅力を感じ、取り組んでいるわけです。当の私もまさにそのひとり。

歴史にさほど興味のない方でも、自分の国の成り立ちがわからないまま、過ごしていることは、ちょっと落ち着かない気がしませんか?
外国人に「あなたの国はどうやって成立したのですか?」「え~わかりません」となると、「ウソでしょ~信じられない」「だからあなたたち日本人はアイディンティティが欠如してるのよ」なんて、言われかねません。

ということで、私は自分自身のルーツを知る思いで、この難問にチャレンジしています。以前私は、「倭人伝」をそのまま読むことで一定の結論をつけましたが、今回は「倭人伝」の記載の裏を読みつつ、ちょっと違ったアプローチで、邪馬台国の特定を試みます。
ネタばれから申しますが、長年熟考のすえ、私は邪馬台国近畿説をとらないと思います。ですので強硬な近畿説支持の方は、イライラして読むのはナンですので(笑)、まず最初に5章をお読みいただければ、ありがたいです。その上で判断していただき、よろしければ読み進めてください。

では、いきましょう!
「邪馬台国の真相」。私がもんもんと考えて出した、ひとつの結論をわかりやすくお話しします。

<手っ取り早く結論をお知りになりたい方は、6章→9章→10章→11章をどうぞ>

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