
2017年 自己啓発休業を取得した話(5)
まさかの自己啓発休業許可の取り消し…。アメリカ留学は一年延長?それとも…
今後を考える年度末
最後の最後でポシャってしまった留学計画。
もちろん、計画を進めてきたことや取り消しになったことは周囲にはほとんど知られていなかったので、私はいつも通りの勤務態度でいた。
でも、実際はかなり凹んでいた。
費やしてきた時間も費用も惜しかった。
条件を変えて、来年度申請するにしても、もう一度あの過酷な日々を繰り返すのはかなり気が重い。
しかも、今回とて同じ結果になることもなきにしもあらず。
でも、このまま諦めるのか…?
いや、私は往生際が悪いのだ。
諦められない。
もう一度やってやる!
3月、管理職との面談。
彼は異動が決まっていた。
「来年度もチャレンジするんだろう?次の校長に引き継いでおくから。」
私の相談から始まり、散々、前例のない仕事に奔走してもらった挙げ句、こんな結果になってしまったのに、私の気持ちを汲んで取り計らってくださったことが嬉しかった。
そう、これまで私のために大勢の人が動いてくださっていたのだ。
(仕事を休むために多くの人を巻き込むくらいなら諦めるべきという意見もあると思うが)今年応援してくださった人たちのためにも、自分の道は開いてやろう!
と決意した。
次の年は、同じ勤務地で新1年生の担任となることが決まった。
私も生徒に負けずに新しい気持ちでチャレンジしよう、と気合を入れ直した。
新年度、そして計画の立て直し
新年度、しかも新入生の担当は、自然と気持ちが前向きになる。
この一年、この生徒たちと真剣に向き合い、自分の夢も叶えられるように努力していこうと思った。
まず、留学先について見直すことにした。
やはり4月始まりの日本の教員と、9月始まりの海外の大学の相性は悪い。
4月に留学して、3月に帰ってこられる大学を持つ国はあるのだろうか?
暇があると、インターネット上や各種留学フェアに出向き、情報収集をした。
ある日、オーストラリアにある大学の情報を見つけた。
ウーロンゴン大学。
当時は聞いたこともない名前だったが、そこはTESOL(英語教授法)修士課程を有しており、さらに日本人英語教員向けの1年コースが用意されていた。
本来、2年かかる大学院の課程だが、ここでは教員経験3年以上の学生であれば、単位免除となり、1年で修士の単位取得が可能だという(その代わり、かなり過密なカリキュラムになるが)。
自分の条件的には、この1年プランに合っていると思った。
あとは時期である。
ウーロンゴン大学の新学期は7月であった。
なるほど、こちらでの夏休みイメージの8月は、オーストラリアでは冬にあたるわけで、バカンスシーズンではないのだろう。
7月からなら、準備期間含めて4月から休業取得も可能かもしれない。
さらに、幸いなことに、大学院入学前に大学付属のカレッジ(語学学校のようなもの)へ行くプランも用意されていた。
ちょうど4月入学が可能で、ここに通えば語学を含め大学院入学の準備もできる。
カレッジ自体は大学付属なので、プランとして組み込まれているなら、大学と同じ機関としてみなしてもらえるだろう。
前年度の内容を考えると、オーストラリアの大学が浮上してきたのは思わぬ形だったが、かなり条件が良かったので、今回の申請はこの大学を狙うことにした。
早速、ウーロンゴン大学の担当者へ問い合わせ、入学願書など資料を取り寄せた。
2度目の自己啓発休業申請!
今年度の新しく移動して来た管理職も、なんと英語科であった。
私の引継ぎもされており、顔を合わせるやいなや、
「自己啓発休業どうするの?」
という内容の話がでてきた。
「今年も申請します。でも、行く大学はオーストラリアに変更することで考えています。」
こうして、今年度も管理職や事務、そして(おそらく前任者から引き継ぎをされたであろう)教育委員会の担当者を巻き込むことになった。
大学入学のための英語試験とスコア提出、ビザ申請、管理職の推薦状、レジュメ(履歴書)、各種証明書…。
前年度の反省と経験から、かなりスムーズに用意することができた。
そして、前年度よりも早く、自己啓発休業の申請を提出することができた。
申請の結果…
前年度の最後のような教育委員会からの指摘はなかった。
カレッジの存在も大学院附属ということで、許可の範囲となったようだ。
一番の問題は「きちんと1年間で単位を取って帰ってこられるか」ということだった。
それはとにかく自分が頑張るほかはない。
とはいえ、最大2年間の休業が可能なので、留年が決まったら、すぐに報告して延長願いをするようにとのことだった。
留年は避けて、修了認定をもらって欲しい…留学先の自分に願うほかない。
そういうわけで、今回の申請は受理され、許可をいただくことができた。
前回のような「取り消し」の恐怖に怯えることもあったが、認定する側も前回のようなことが起きぬよう、気を回し、何度も確認してれたのだろう。
ついに「取り消し」はなかった。
正式な自己啓発休業許可証を手にし、「これで堂々と出発できる。」と自信を持った。
ついに留学が実現するのだ!
出発前に各方面に出向いたり、電話をしたりして感謝を伝えた。
管理職からは「ファーストペンギン」と呼ばれた。
群れで生活するペンギンたちの中で、危険の待ち受けるかもしれない未知なる海に一番初めに飛び込むペンギンのことだ。
命を危機に晒してこの海は危険だと知るか、それとも、多くの恵ある豊かな海だと知るのか。
いずれにせよ、私は、これまで私を支え応援してくれた人たちに何かを伝えられるように帰ってこよう。
旅立ち
3月、離任式(異動や退職予定の職員を見送る式)において、お別れの先生方の紹介が全て終わったあと、その最後に学校長の口から、私の1年間の留学の件が伝えられた。
担任だった生徒や部活動の生徒は最後の最後でまさかの発表に驚きつつも、「先生、がんばってきてください。」と温かく見送ってくれた。
保護者や同僚たちも次々に餞別をしてくれた。
改めて、自分は多くの人に出会い、支えられてきたことを実感し、涙が出た。
そして、業務の引き継ぎや、現地での携帯電話の契約などを慌ただしく済ませたあと、4月上旬にオーストラリアに向けて旅立った。
(自己啓発休業を取得した話 完)