#1ワーキングホリデーに行くまで NY編
とりあえずはやしがワーホリに行くことになったきっかけから書いていこうと思います。
ほんとは最初の記事でちょっとカッコつけて書いてしまったはやし流○○術的なインテリジェントなかっけー記事をさっさと書いていきたいところなのですが、、
文を書く練習もかねて、私自身この空いた時間に今までの出来事を振り返っていきたいので少々長いプロローグが続きますがお付き合いくださいませ。
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はやしのいとこはイタリア系のハーフ。
わたしのおばちゃんがイタリア人と結婚して生まれたのがうちのいとこ。
子供の時過ぎてあんまり覚えてないけど5歳くらいまですぐ近所に住んでたのにある日突然NYに引っ越してしまった。
そこからパッタリ音信不通に。
その約10年後はやしが中学3年生の時、彼はちょっとだけ日本に帰ってきた。
そして完全に日本語を失っていた。
昔ドンジャラで遊んでたのがヒートアップしてよく殴り合いのけんかしてたのに。泣くときマミィ~ていうくらいでがっつり日本語しゃべってたのに。
人間てすごい。
久しぶりに会えて嬉しいのにまったく言葉が通じなかった。
こちらもどうにか英語をしゃべろうとするけど会話がかみ合わず、その時彼がしゃべれた数少ない日本語"ワスレテクレ"を言われると悲しくなった。
家族なのにホームステイの生徒をもてなすみたいな感じで久しぶりの再会はおわってしまった。
そのまた何年後、フェイスブックが普及しだしてNYに住むいとこと連絡がとれるようになった。そしてはやし20歳、ついに姉と共にいとこの住むNYにいくことになる。
20歳のはやしは某雑貨店の契約社員。月収は手取り13万円。
なにかとお金がかかるハタチのピチピチ女子が何とか死ぬ気で捻出した貯金で人生初めての海外旅行!
心の底からワクワクした。
ちなみにいとこと喋れなかったフラストレーションなぞその時には忘れていて、英語力はむしろ中学生以下になっていたと思う。
しかし当時爆発的にはやった渡辺直美のビヨンセのモノマネを武器に、はやしは日本の空をかけ抜けていったのであった。
初めてのアメリカニューヨーク、税関から大興奮!
何言ってるかわけわかんなったから、お姉ちゃんのうしろにひっついてとにかくずっとニコニコした( ◠‿◠ )
空港までいとこが迎えにきえくれて、ステーテンアイランドに向かった。
この時にはいとこも日本移住に挑戦しようとしてたりしてて日本語が少し喋れるようになってた。
私は無能にもCRAZY IN LOVEを踊るビヨンセのモノマネをする渡辺直美のモネマネをするだけだった。ただこれがいとこの友達には大ウケしていたのでまあどっこいわっしょいの引き分けという感じだった。
そのいとこの友達の中に一人ブルーアイズの金髪ボーイがいた。2日目の夜、寝る前にお姉ちゃんとあの子イケメンやなあ~て話してた。
このNY旅行は1週間くらいだった。今考えるとうちのいとこは現地コーディネーターとして採点するなら5点だった。
一週間で唯一した観光は自由の女神とタイムズスクエアだけで、毎日だらだら遊んだ。
でもそれが本当のニューヨーカーライフみたいですごく楽しかった。
ただ街を歩きながらジャマイカンビーフパティ食べたり、よく映画で見るハウスパーティーもした。
そのハウスパーティーでだった。
いとこの家に友達をみんな呼んだ。ざっと30人くらい来てたと思う。金髪ブルーアイズボーイももちろん来てた。
赤いプラスチックカップにお酒をいれて、庭のプールで音楽ガンガン流して
おぅ、これぞまさによく見るアメリカのティーンエイジャーが親がいない時にやるやつ!
はやし、感激!!!
喋れないながらにはやし姉妹いろんな友達とコミュニケーションを図りパーティーを楽しんだ。
すると突然ほろよいマイシスターが金髪ブルーアイズボーイに
"ヘイ! ユキ ライク ユー!"
といいだした。(はやしの下の名前ユキっていいます)
その会話をみながらはやしは、ボキャブラリーが少ないからってなぜそう飛躍してしまったのだマイシスターとあきれていた。
それを聞いた金髪ブルーアイズボーイ、顔を赤らめ手で顔をあおぎながら
"ohhhh ha ha ha ハズカシナ~"的なことを言って、はやしにむかってウインクをとばした。
そのウインクがはやしの脳天をぶち抜いたである。
そう、これぞまさにCRAZY IN LOVE
はやしの脳内でビヨンセの曲が流れだした。
つづく。