
【人間関係】盗む人々/偽善者
安心を盗む
二日酔いで頭痛がして
「なんでお酒なんか飲んだのか」
などと昨日の自分に問いかける
「なんとなく」
私はそのなんとなくの代償を
いつも払っている
仕方のないことだ🍶
「なんとなく」は
自分のエゴを許す儀式だ
自分の中のわがままを
聞くようにしている
「ねたい」
「おかしたべたい」
「snsもっとみたい」
「おうちにいたい」
「あの人がひどいこと言う」
「みとめてくれない」
「あいつムカつく!」
存分に話を聞く
自分の中のマイナスな感情は
いつでも話をしたがっている
それを聞いて
安心させないと
盗っ人がやってくる
金品を奪う強盗より
タチが悪い
「安心」を盗む人々だ
引き寄せの法則は
常に人間に働いている
自分が不安を抱えていれば
不安にさせようとする
安心を盗む人が寄ってくる
需要と供給が一致しているのだ
不安でいるということは
「わたしの安心感を盗んで下さい」
と言っているようなものだ
盗っ人たちはいつも待っている
言葉の両面
盗むという行為は
いい方向に使うことができる
これは「貰う」という言葉と
対を成している
言葉というのは
見る方向によって
言い方が変わる
行為としては同じでも
悪意からみれば「盗み」
愛からみれば「貰う」という
言葉に変換される
これは何を表しているのか
というと
「行為そのものには意味はなく
どういう気持ちや前提で
その行為を行っているのか」
ということが最重要課題となる
偽善の恐ろしさ
「善行」すらも
自分の利益を前提にやれば
偽善になる
何もしないよりはいいと
よく言われているが
「偽善ならやらない方がマシ」だ
偽善でしたことには
偽善者が集まってくる
何度でもいうが
この世には常に
引き寄せの法則が働く
営利目的で動いていた人は
「何か返してくれるのでは?」
と勝手に期待して
勝手に「裏切られた!」と叫ぶ
なんてバカな人たちなのだろうと
私は不遜な目で見ていた
そして「同じにされたくない」
という気持ちが強すぎて
本来、私がもっている
無償の愛を配ることをサボっていた🌵
例えば、発信活動をしていると
リアクションを返してくれる前提の
投稿をよくみかける
同じにされたくなかった
私が人に配るのは
返ってこなくてもいい無償の愛だ
(なぜなら私も無償の愛を
宇宙から貰っているから🪐)
しかし、偽善者は面白い
与えれば与えるほど
「いつか盗られるのではないか?」
とビクビクしているのだ
なんて憐れなのだろう
なんて情けないのだろう
私も間違いなく
その一人だった
それでも宇宙は与え続ける
私にも与え続けてくれたように
宇宙を感じるとき
永遠で無限の愛を感じる事ができる
いいなと思ったら応援しよう!
