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【マインド】美しいことは罪なのか
20代の頃に仕事をしていたとき
あまりにも仕事が忙しすぎて
寝起き10分くらいで職場に行っていた。
後輩から「メイクにどれくらい
かかってますか?」と言われて
「え、5分くらい?」と言ったらば
「信じられない!わたしは1時間も
かけてるのに!!あなたはそんな事
しなくてもぱっちり二重で嫌味だ!」
と言われた。
(それ、褒めてるの貶してるの?)
と困惑しながら仕事に戻った。
私は自分で言うのもなんだけれど
人より働き者だと思う。
基本的に仕事の休憩時間も
資料読んだり準備したりする。
それでも
「顔がいいから」という理由で
全部それがなかったことになる。
顔がいいとはなんだろうか。
わたしは一生懸命生きている人は
美しいと思う。
たとえ泥に汚れていようとも
命の輝きは嘘をつかないことを知っている。
所詮、人間の顔なんて
眉と鼻と目と口が少しずつ
高さが違ったり場所が違うだけだ。
なのに、なんでそれに一生を費やすのか
私には理解できない。
勿論細かい表現は美しいけれど
そんなの汗をかいたら流れゆくのだから
一時のものであって永遠ではない。
刹那主義なのか?とすら感じる。
もし、私が美しいとすれば
自分の命に向き合う時間が
人より多いのかもしれない。
最近、また美輪明宏さんの話をよく聞く。
美輪さんは本質を時代の流れに合わせて
あの手この手で教えてくださるからすごい。
瀬戸内寂聴さんから
「この人の方がよっぽど坊主だ」
と言われるほどだ。
(「いや、尼さんです」
って返事するのが毎回面白おかしい)
美輪明宏さんの本は20代の頃に
一度読んだ様に思う。
「ああ 正負の法則」「おしゃれ図鑑」
を読んで なるほど世界はそうなってるのか
と頷きながら読んでいた。
正負の法則は「正」もあれば「負」が
必ずセットであるという法則だ。
※ハンターハンターでいうところの
「制約と誓約」とか
二律背反(にりつせはん)とか
そういう絶対的な真理のこと
おしゃれ図鑑には
小さくても自分の美意識でものを選んで
安くてもいいから作ることが大切
というようなことが書いてあったような
気がする(記憶が曖昧だけれど
今、考えれば私の美意識や生き方は
美輪さんから学んでる事が多い。
美輪さんといえば素晴らしい著作に加えて
喫茶「銀巴里」の有名シャンソン歌手であり
有名な文豪や芸術家との交流の話もよく
サービスでされている。
岡本太郎、寺山修司、三島由紀夫に
川端康成、江戸川乱歩に野坂昭如などなど
戦後「サブカルチャー」と呼ばれる方々との
お話の数々が聞けるのだ。
美輪さんは見た目の美しさは勿論
お話する言葉や歌声がとても美しい。
あらゆる「美」というものを具現化させる
魔法使いのような方だと思っている。
(もちろん魔法みたいに
簡単ではないと思うけれど)
言葉は元々「音」でもあるので
話し言葉は音色で
選ばれているのかもしれない。
時代の寵児の話を美しく話されるのだから
それは人々が耳を澄まして聴くのも当然だ。
また、大きな側面として
長崎の原爆体験のお話をされる。
ヨイトマケの唄では労働者の話。
要するに美輪明宏さんの美しさは
この世の「悲惨さ」を美化してしまう
という甘い蜜の様な怖さも秘めている。
(そこが一番好きなのかもしれない)
もし、あの美しい見た目と
美しい言葉で「戦争は素晴らしい」と
言ってしまったら
みんな戦争しただろうと思ってしまう。
そういう意味では
「美しさは罪」なのかもしれない。
この世には嫉妬、妬み、嫉みがある。
それは無ければいいなと思っていたが
それがなければ美しい人が魂を磨く機会が
無かったのかもしれない。
全ては宇宙の采配で用意されている。
美意識が高い人は美しさと同時に
「悲惨な現実」「この世の闇」
「泥だらけ」の部分を見なければならない。
それは自分の中にも存在する。
私も人に対して嫉妬、妬み、嫉みがある。
たぶん蓋をしているだけだろうと思う。
馬鹿な人を羨ましいと妬む。
浅はかな人に嫉妬する。
不埒な人に対して嫉みもある。
そういうグロテスクな自分を
もっと見つめなければならないかもしれない。
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