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【人間関係】数字と実績と爆音はアドレナリン作成マシーンだけどそこんとこどうですか
10代の頃に友人のバンドを見に行った
そのバンドのあとに名も知らぬバンドをみた
その人たちはお客さんが誰もいない
ライブハウスで自分とは何かを表現していた
(ここで自分をカウントしてないのが
なんとも私らしいけれどこのまま進める)
その人たちを通り過ぎようとしたわたしは
帰りの電車に乗ろうとしていた
駅までついて帰ろうとしたところで
「なにか大切なこと伝えねば」ということで
駅からライブハウスに引き返した
彼らの音楽がとてもよかったことを伝えた
そのあとわたしはその人たちの音楽を聴くべく
足繁くライブハウスに通った
そのうちにお客さんが増え始めた
私はこれで彼らが幸せになるかもしれない
と勝手に思っていた
自己表現は誰かにみてもらうことで完成する
私以外にも見てくれる人が
できたことで少し安心した
私自身もライブハウスには
ひとりで行っていたので心強い存在だった
しかし、基本的に先ほど
自分をカウントしてないように
音楽を聴いているときに肉体の私は存在しない
むしろ存在できないに近い
今思えば音楽を聴いていたというより
暗くて誰が誰だかわからぬ
ライブハウスという空間に
身を投げていただけかもしれない
そのうちに客の間でも
コミュニティができるようになる
コミュニティができるということは
誰かしら仕切る人がいるということだ
その人は音楽なんて聞いてない
まして、自分と対話なんてしていない
そんな人が仕切り始めた
ライブハウスという空間がとても苦痛だった
客数は増える 会場は盛り上がる
だからなんだと言うのだろう
お客さんを仕切るコミュニティリーダーは
バンドマンから大切にされ始め
メンバーとも付き合うことになる
(まぁ、それでもいいか)
そう思った私は甘かった
ある日の打ち上げでメンバーから
「なぜ、ライブハウスにきて
挨拶しないのか?」と言われた
「挨拶?何のために?」
まだ若かった私はその人に
くってかかってしまった
話によるとコミュニティリーダーに
挨拶しないことでその人が悲しいと
言っているから挨拶して欲しいとの事だった
私の気持ちを無視してるのはまだしも
ライブハウスにくるスタンスまで
指示されることに納得がいかなかった
私が悪者に見えるならこれ以上
伝えることもないなと思って
そのあと、私はその人たちのライブに
きっぱりいかなくなった
その人たちはどうやら
「数字」「実績」そんなもので
この世界を評価しているように感じた
なるほどと思ったわたしは
いわゆる「数字」「実績」をつくった
するとどうだろう
今度は「数字」と「実績」
しか見られなかった
そんなことあるのか、なんてことだ
何の意味もなかったというのか
そう、甘かった 意味なんてなかった
またまた努力の仕方を間違えいた
そんな自分だってかわいいじゃないかと
今の私なら言えるけれど 全く許せなかった
なんだよ、なんなんだよ
自分の力の小さなことが悲しかった
最低に疲れた私はとにかく眠った
ひさしぶりに目を覚ますと
もうあれから十年近く経っていた
その間にも色々なことがあったけれど
私という存在はずっと眠っていた
人間というのはその場の反応だけでも
生きていける仕組みになっている
存在が休暇をもらっていたのだろう
眠い目をこすりながら起きると
私はゲームの中で殺戮を繰り返していた
きっと反応の世界の自分は
ストレスが溜まっていたのだろう
とにかく目の前のものを壊して
殺して 傷つけることに終始していた
そして何か説得するために
数字や実績をつくっていたみたいだった
人はいう「数字が大切だ」
人はいう「実績が大切だ」
人はいう「爆音こそ正義だ」
途方もなくなった私は
ぽつりぽつりと伝えることにした
言葉にしなければならないこと
届かないかもしれないこと
繋ぎ合わせれば何とかなるかもしれない
なんともならないなら
またその時考えよう
そう自分を励ましたのだった
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