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モテと流行り

高校の頃にバンドをやっていた。

軽音部でふたつあるうち
ひとつは男子ボーカルのバンドだった。

そのバンドのボーカルをやっていた子は
幼稚園くらいからの知り合いで
どちらかというと目立つけど
目立ちすぎて笑われる感じの子だった。

私はあまりそういうのを
気にしないタイプなので
ふつうに友だちとして接していた。

ある日、学園祭の後夜祭で
バンドとして出ることになった。

軽音部ももちろん参加した。

私はジュデマリを歌い
彼はハイスタを歌っていた。

ド定番だし、まあまあ盛り上がった。
(というくらいの
テンションでやっていた)

それからしばらくして
彼の元に女子が寄ってくるようになった。

しかも、いわゆる一軍と呼ばれる
そういった子たちだ。

毎日日替わりで告白をされていた。

性格も見た目も変わってないのに
なんでこんな事が起きているのか?
わたしはしばらく観察していた。

すると、どうやら
彼が「流行っていた」ようだった。

一軍の子は流行りものが好きだ。
たぶん何でもよかったんだろう。

彼は流行り物のバックを
取り合う女子の中に入ってしまったのだ。

その証拠に近いグループの子たちが
こぞって告白していたのだ。
(他のグループの子は一切いなかった)

わたしはこれをモテの理論として
高校の頃から持っているが
広い意味で捉え直すと
流行りの理論」とも言える。

わたしはとかく
「流行り」が苦手だ。

その男子の様子を
裏側からみたせいもあるし
仕事で流行りを
作る側だったからかもしれない。

何かを流行らせるには
「広告」という作業が必要だ。

ネット上でも広告をみない日はない。
テレビでもCMが流れる。

私たちは「広告」に埋もれている。

商品を選んでいるつもりが
選ばされている」ということに
一体どれくらいの人が
気づいているのだろうか。


と、いいつつも
広告や流行をみるのは楽しい。

売りたい人が大人の許可を経て
それなりに提案をしている。

決して不快なものはないし
寧ろ懇切丁寧だと思う。

日本で生きていると
この懇切丁寧な広告により
「能動的」に情報を得ようとすると
かなり労力を割かなければならない。

本質的な情報の前に
身も蓋もないなんでも否定すりゃええ
みたいなとんでも情報もあるから
そこで引き返してしまう人が多い。

有名な読書の風刺画で説明しよう。

読書の量で見える景色を表した風刺画

第一フェーズは「流行」の中にいる。
情報収集はほぼしていない。
お花畑が広がっていて景色がいい。

そして少し知識が入ると
第二フェーズに入る。
悪意や失意、憎悪に嫌悪などの情報に触れる。

これは人間の深層心理にまで手を入れ
欲望むき出しの世界が広がっているからだ。

そして最後の第三フェーズは
全ての知識の意味と有用性を理解した
というところの視点から世界をみている。

心理学のメタ認知の分野でも
似たようなことが言われている。

他人がつくる物語に気づき
その物語の比喩表現を理解し
そして自ら創造する

メタ認知の三段階

突き詰めてみえる世界は
全て繋がっていて
全て意味のあることだと言うことに
気づくという事だ。
(愛に気づくとも言える)


しかし、大体の人は第一フェーズと
第二フェーズにいる事が多い。

第三フェーズまできてる人は
あまり見かけることがない。

私がnoteを書く理由は
この真ん中が結構しんどかったので
ここを最短ルートで抜けて欲しい
という気持ちからだ。

この世の対比を学ぶのに
避けてはとれないのだが
なるべく傷を負って欲しくない。
というほんの少しの老婆心だ。

話がややこしくなったけれど
要するに第一フェーズと第三フェーズは
似てるけど違うよという事だ。

第三フェーズに行きたい人は
とりあえずわたしのnoteに触れたり
第二フェーズの情報から離れるといいと思う。

まとまらないけど
眠くなったのでこの辺で。

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surume
最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!