松本人志が不在でもM1が盛り上がってしまう理由とその対策。
M1についての感想とか色々書こうと思ったんだけど、なんか今回一番割をくらってるのって松本人志なのでは?と思ったので、昨今のムーブも含めてちょっと考えてみたいと思う。意地悪な記事ばっかりだから仕方ないし、私はダウンタウンの笑いはそもそも好きじゃない(笑)その理由も併せて書いていく。敗者復活戦にヒントが隠されていた。敬称略。
松本人志はレジェンドすぎる。レジェンドすぎて邪魔。
勘違いしないで欲しいのが、松本人志はまごうことなきお笑い界のレジェンダリー。レジェンドすぎるがゆえに『お笑い的に間違ったムーブが許せない』完璧を求める。一人ごっつすらやってお笑いと向き合い続けた結果だ。
このレジェンドの意見は毎日研究している経済界の重鎮とか、政治界の重鎮とかなんかその辺の人と似ている。つまり、計算式に合わない答えを全部除外してしまう癖があるのだ。計算できていないのは『自分が間違えることができなくなっていること』だ。正解を求める。正しいムーブを求める。
『笑いの神』に身を捧げてしまった結果、人から愛されなくなってしまった。人は間違える。だから間違えを指摘するよりも『一緒に間違えてくれるひと』を最終的には求めだす。つまり今回でいう令和ロマン。
優勝したのに2回もでるというのは芸人的には『まちがったムーブ』だろう。だからこそ大衆は盛り上がる。間違ってることに熱狂する。
この期に及んで『正しいムーブ』をしようとすればするほど、みんなはついていけなくなる。理論値の限界まできている松本人志は強すぎておもろくない。という世界が反転する現象が起きる。だから正しさを主張すればするほどみんなはいやだ!という嫌悪感に襲われる。
松本人志が残された道は『お笑い的におもろくないこと』。でも、レジェンドゆえに何をやってもおもろくなってしまう。どんなムーブをしてもお笑いレジェンドというイメージが抜けない。
レジェンドだから、レジェンドを目指す人は松本人志の復帰を願っている。もっと仕上がったお笑いが見たいと思っている。上品を全て下品に片付けるビールみたいなネタをみんな求めている。のはバブル時代までで、今はみんな空気的に不況続きの中で生きている感覚だ。戦後でもないけれど、喰うや喰わずのイメージの中で生きている。そんなときにレジェンドのネタを受け入れる余裕があるか?いや、ない。『黙れ』と思っている。
これが本当だとしても、みんなのイメージが『金持ちのレジェンド芸人』として成り立っている以上、共感ができない。意地悪な人はきっとざまぁと思っている。っというわけで、こちらが答えです。
それで、ええ~!ええ~! ええねん~!!!!!浜ちゃんありがとう!!
(ちなみにマユリカの敗者復活のネタくらいがマジでちょうどいいと思う)