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【Palworld 】達成感はないけどストレスがない。そんなアルコールフリーで最高なゲームがここに存在する。

パル【pal】とは友達、仲間という意味だ。ペンパルという言葉だと耳なじみがあるだろう。ペンパルは直訳すると文通相手で、見知らぬ人であり、その関係は手紙の交換のみに基づいている。場合によっては定期的に直接会わないような関係をすでに築いている場合もある。

人は人間関係を築くとき、能力や立場を考えて築くことが多い。それは時に刺激的で瞬発的な楽しさを齎すことが多い。でもよく考えていくと本当の友達というのはただ何も求めずにそばにいてくれることが多い。

同じ場所に集まって、畑を耕したり、木を切ったりする。肉を焼いたり、拠点を守ったり、たまには離れて冒険しにいったりする。
このゲームでもそんな一場面を演出するためにとてもかわいいパルたちが存在する。しかし、そのパルはひとつとして同じ個体は存在しない。
同じ種類だけれど得意なものや性格が個別に設定されている。よくプロフィールをみないとそれは確認することができない仕様になっている。
精神的に弱いパルは病気にかかってしまい気づくと肉体のないソウルになっていることがある。

私は考えることがある。20代で自ら命を絶ってしまった先輩や友達を止めることはできなかったのだろうかと。私にはそんな余裕も強さもなかった。それに気づいたときに強さも学ばなければいけないんだと思った。優しさだけでは守れない命もあることを理解するまでに十年以上もかかってしまった。

死の淵に立ってしまった先輩には声が届かなかった。私の言葉には重みがなくて信じてもらえる自信もなかった。死んだことを葬式が終わった後に知らされた友達は果たして友達だったのだろうかと自分を疑ってしまった。何してんだよ。途端に自分がやっている全てのことが虚しくなった。私は自分の力で誰も救えないことに絶望していた。

一番救わなければいけなかったのは自分だということに気づくまでにそこから数年が経とうとしていた。私は何をしたいのか。私は何が好きなのか。どんなときに笑う?どんなときに悲しむ?どんな時に死にたくなるのか、と。
許せない人がたくさんいたのは、許せない自分がたくさんいたからだった。
自分にたくさん許可を与えた。自分が本当にやりたいことと他の人がやっていることが本当に同じなのかを問い続けた。私はほんとうはやさしくて、たのしくて、かわいい人間だったことを思い出した。

強さも弱さも優しさも全てが私だったことを許し、理解し、言い聞かせた。
「健やかなるときも病めるときも、ともに歩むこと」を自分に誓ったのだ。
そして、全部脱いで、悩みも悔しさも辛さや臆病さだってこの世界へ投げる必要があるという気持ちになったのだ。心をひらけば、道がひらかれる。

わたしはパルをみつけて、途中で何も達成できずに死んでしまうかもしれないけれど、面白くてワクワクするために冒険してみることにしたのだった。



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surume
最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!