見出し画像

状態としての美しさ

仏教の教えを聞くのが好きだ。
素晴らしい文言で
アナコンダちゃんを説き伏せる。

「仏教」をもう少し因数分解すると
(というか宗教全てが)

「美意識」(正義)に繋がっている。


美意識によって
あらゆるものに正誤をつける。
それが宗教の役割だ。

ひいては学業とも繋がるだろう。
(学校運営している宗教は多い)

宗教が教えるのは
目に見える「状況」をどうにかする
ということに特化している。

とある和尚の相談に
「引きこもりの息子がゲーム
ばかりやっていて自立できるか心配です」
というような相談があった。


これに対して「自立は環境で
作られるのだからそれ相応の場所に
いかせるのが親の勤め」とのことだった。


私は思う。

自立しろ、自立しろと言われるたびに
人の心は閉ざされていくのにな。と。

その子は環境を変えても
根本的に存在を認められない限り
また同じようになると思う。

これは私の実体験だ。

幼稚園の頃が仏教系列だったので
とにかく「自立」を目的にあった。

たしかにしっかりはしたが
幼稚園の頃の私の写真は
どれも笑っていなかった。

果たしてそれが本当に幸せだろうか。

全ての命はこの世に必要だから
誕生している。

その大前提を教える前に
お前の生き方は恥だとか
お前の考え方はおかしいだとか
人間の分際で言っていいものだろうか。

横暴じゃないか。

自立しろ
言われる度に
戸に隠れ
出てくる頃には
父は亡きかな

する蔵、心の俳句


思わず短歌を読みたくなるほどだ。
甘えたかった父ももういない。

もっともっと たくさん甘えてよかったのに。
そう思うと相談者の子どもが自分と重なって
とても悲しくなった。

母親からの承認が欲しいだけなのに、と。

親子関係の承認欲求は
とても根源的な悩みなので
全ての人類が背負っている。

この辺の話はまた体調復活したら
書き足したい。

いいなと思ったら応援しよう!

surume
最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!