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【仕事】中島みゆきの「糸」への再解釈
中島みゆきの「糸」という曲が
あまり好きじゃなかった。
恋愛ソングの代表格として
結婚式で消費されているイメージだった。
辻井伸行さんのピアノカバーを聴いて
こんなにハイトーンで弾くのかと興味を持ち
改めて歌詞を見ることにした。
有名な一番の歌詞。
なぜ 巡り会うのかを
私たちは何も知らない
いつ巡り会うのかを
私たちはいつも知らない
ここだけを聴くと恋愛ソングに聴こえる。
その次の歌詞
どこにいたの生きていたの
遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織り成す布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない
私はここでいつも疑問だった。
「いつか誰か」という第三者が出てくる。
恋愛ソングなら登場人物は二人だけでいいのに
あえて子どもについても示唆しているのか。
ご丁寧に恋愛ソングに書くだろうかと。
次に二番の歌詞を読んで納得した。
なぜ 生きていくのかを
迷った日のあとの ささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日のあとの ささくれ
こんな糸がなんになるの
心許なくて 震えていた風の中
"こんな糸がなんになるの"という部分は
糸=悲しい経験や努力、もしくは儚い祈り
という風にも置き換えられる。
縦の糸はあなた 横の糸は私
織り成す糸は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない
「縦の糸」はこの世の悲しみの涙が落ちる様子
「横の糸」はそれを両手で受け止める様子
そのふたつが合わさったとき
誰かの傷をかばうかもしれない
縦の糸はあなた 横の糸は私
合うべき糸に 出逢えることを
人は仕合わせと呼びます
ここで「幸せ」ではなく
「仕合わせ」を使っている事で
"仕事"の話をしている気がする。
この曲は、悲しみをもつファンと
それを全て受け止めて音楽にできる
中島みゆきとの関係性を
「糸」に準えて書かれた
ファンへのラブレターではないだろうか。
あなたと私という言葉遣いを
敢えてしているのかどうか定かでないが
中島みゆきとファンとの深い愛情を感じた。
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