自分が嫌いな奴は自分が好きな奴より100倍マシな話。
明るい同級生
同級生にとても明るい子がいた。その子はどこでもそつなく人間関係をこなす楽しい子だ。しかし、ひとたび付き合いが深くなるとずっと人の陰口と悪口を言っていた。私はそれを聞きたくなさすぎてついに距離を置くことにした。ギリギリまで決断できなかったが、アドバイスをもらって試してみることにしたのだ。
改めて彼女の事を考えてみる。時間と距離を置いてそろそろ客観的に感じれるかもしれない。そうして考えているうちに、彼女と私の共通点と違うところに気づくことが出来たのでnoteに書いておこうと思ったのだった。
彼女が好きなのは偽りの自分だ
心理学やスピリチュアルも勉強していると、人間という生き物についてやっと理解する事ができる。人間には外向性と内向性がある。外向性は外側の自分、社会の繋がりの中でできる自分だ。そして、内向性は自分の中の自分。これは本人が無意識に感じている自分自身の価値だ。
彼女が話していたのをよくよく考えてみると内容はいつも外向性の自分の話だった。
例えば「どういう人と付き合っているか」「どういう仕事をしているか」「どれくらいモテるか」「どれくらい友だちと仲がいいか」「どれくらい親に尽くしているか」といった内容だ。
彼女は外向性の自分がしっかりしている反面でそれに対して文句をつけられると怒る。怒るというか怨む。
私はそもそも外向性もうまくいってなかったので、誰かに怒ることがあまりない。たまたま地雷が踏まれにくい場所にあるだけかもしれないが、何か外向性の自分を傷つけられても「そうだよね」と全て受け止めてしまっていた。
一見すると私の方が重症なのだが、ちょっと面白いことが起こる。
成功者ほど足を絡め取られる
以前の私は外向性の自分にも内向性の自分も嫌いだった。だから、何を言われても平気だった。しかし、それは外向性を好きな人からすると(わかりやすくナルシストと呼ぶ)馬鹿にされたように感じるらしい。馬鹿にするもなにもそもそも同じ土俵にいないのだから、そんなことできなかったのだか、それによって八つ当たりをされていたのだった。
やたら張り合ってくる理由がまずここでひとつわかったわけだ。大いなる勘違いである。
どういうわけか、そういう人から目をつけられて嫌味ったらしくされていたのはこういう事だったのかぁ、と思った。
私と彼女の共通点
私と彼女にも共通点があった。それは「内向性の自分のことが嫌い」という事だ。本当の私のことは誰にも見せたくないし、知られたくない。知られたところで価値がないと思っていた。それは彼女も全く同じだったと思う。わたしは外向性か内向性かでいうと、微かに内向性は認められる部分があったのでそれで自尊心をギリギリ保っていただけだった。
私の内向性はとにかく場面を受け止めることに努力していたから、ある程度のピンチも精神的努力で切り抜けることができた。
だが、彼女は外向性に自信があるかわりに内向性にはたぶんほとんど全否定状態だった。それを隠したくて外向性の自分がずっと前に出て見えなくさせていた。
人は全て存在価値がある
これは綺麗事でもなんでもなくて、人は全て存在価値がある。なかったら逆に存在できない。ハイヤーセルフ的な人(御先祖とか親とか)は常に私の存在を認めている。認めてるのだけれど、脳みそが否定してしまう。
外向性も内向性もアウトだと、勉強するしかなくなる。しかもかなり早い段階からやるので、ナルシストの人よりきっと自分のことをたくさん自分を認める力がついてきている。
でも、それは勝ち負けでなくていずれはみんながたどり着く場所。
追いかけっこしていた亀と兎。ゆっくりだけど進み続けた亀が先にゴールするのは必然だろう。と、いうわけでその差を100倍くらいかなと思ってこんな話を書いてみました。
あなたがすきな自分は外向性の自分?それとも内向性な自分?どちらもすてきなあなたです。