【ひらつかLaLaぽた 真夏の東海道平塚宿をめぐる旅】SURUGA Cycle Journal Vol.167
平塚市さんとのコラボ企画「ひらつかLaLaぽた」。電動アシスト自転車、デイトナポタリングバイクで湘南ひらつかの気持ちいいところをめぐります。
今回のLaLaぽたは、いつもとひと味違います!期間限定で平塚市公式Instagramを地元の高校生が乗っ取り、市内のスポットを紹介するテイクオーバー企画とのコラボです。テイクオーバーを行ったのは平塚学園高等学校写真部のみなさん。高校生目線でのスポット紹介・情報発信を行った平塚市公式Instagramもぜひチェックしてみてください!
(※本テイクオーバー企画は、2023年8月21日から8月30日の間で既に終了しています。)
▼平塚市公式Instagram
ナビゲーターは平塚学園高等学校写真部の山田さん(左)と遠藤さん(右)です。お揃いコーデのおふたりが元気いっぱいお届けします。写真には写っていませんが、写真部のみなさんも自前のカメラで撮影しながら一緒にめぐりました。
今回は東海道平塚宿と、平塚で伝説的に語り継がれている虎女(とらじょ)にまつわる史跡をめぐります。相棒はデイトナポタリングバイクDE01。 お洒落な電動アシスト自転車は街乗りに最適です。おふたりの服装にもベストマッチ!それでは平塚駅からスタートです。
まず立ち寄ったのは、平塚駅北口から自転車で約3分のところにある「紅谷町公園」です。公園の一角には「お菊塚」があります。
お菊さんは、怪談「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)」のヒロインとして伝えられる人物で、平塚宿の役人真壁源右衛門(げんえもん)の一人娘でした。「番町皿屋敷」のあらすじを詳しく知らなくても、「いちまい、にまい…」と、女性が恨めしそうにお皿の枚数を数える怪談話と言えばピンとくる方が多いのではないでしょうか?
これが「番町皿屋敷」のあらすじです(諸説あります)。公園内の案内板にも詳しく記載されています。
怪談話に触れて背筋がひんやりとしたところで、ここからは平塚の東海道史跡をご紹介していきます。平塚宿は徳川家康による東海道整備とともに成立した宿で、日本橋から数えて7番目の宿場にあたります。
各宿場の両端には城門に似た「見附(みつけ)」が設けられており、一般的に江戸側の出入口にあるものを「江戸見附」、京都側は「京方見附」と言います。
現在の平塚宿の江戸見附は、明治初期に駐日イタリア公使のバルボラーニ伯爵が持ち帰った写真をもとに復元されたものです。
今回は、こちらの江戸見附から京方見附までの約1kmの間に残る史跡をポタリングしながらめぐっていきます。撮影したのは7月末で、ギラギラとした太陽の日差しが強い猛暑日。休憩を挟みながら行きましょう。
江戸見附から西に約350m進むと「平塚宿脇本陣跡」に到着です。下の写真のように、道路脇に石標と案内板が設置されています。うっかり通り過ぎてしまわないように、しばらく自転車は押し歩きで進みます。
江戸時代、それぞれの宿場には幕府公用人や大名を泊める宿舎として本陣が設けられていました。本陣の補助的な役目を担っていたのが脇本陣です。本陣と違い、平常時には庶民も泊まることができたのが特徴です。
平塚宿内では唯一の脇本陣がこの場所に建っていました。残念ながら現在は建物の跡などは残っていませんが、案内を読むだけでも勉強になります!
「平塚宿脇本陣」から西に約100m進み、「平塚宿高札場(こうさつば)」に到着しました。
高札とは、幕府や領主の法令や通達を書き記した木の札のことです。この高札が掲示されていたのが「高札場」であり、各宿場や村々に設けられていました。 多くの人々の目に触れるように、村の中心や主要な街道が交錯する交差点といった人通りの多い場所に設置されることが多かったそうです。
今で言う掲示板ですね。時代劇でよくある、高札を見に庶民たちが集まるシーンを思い浮かべる人も多いのでは。
さて、「平塚宿高札場」をさらに西に約120m進むと「平塚宿本陣旧跡」を発見!約1km続く宿場町の間には、短い間隔で史跡が立ち並んでいます。当時の街並みを想像しながら散策してみてください。
「本陣」とは、参勤交代の大名の他、公家、公用の幕府役人が宿泊した宿のことです。徳川幕府の許可と補助を受け、設備が充実していた高級旅館だったそうです。
記録によれば、平塚宿本陣は建坪163坪、座敷数が20あり、門・玄関・上段の間があったとのこと。昔は徒歩で長距離を移動していたと考えると、長旅の途中に立ち寄ることができる街道沿いの宿場は大変重要な場所だったんですね。
「平塚宿本陣旧跡」から西に約550m進み、「平塚宿京方見附(きょうがたみつけ)」までやってきました。江戸側の出入り口にあたる「江戸見附」からスタートして、京都側の出入り口まであっという間に到着です。
平塚宿は空襲やその後の開発などにより、当時の面影が残されていません。そのため、歴史資料からこの辺りに京方見附があったのではと推察して作られたそうです。ちょうど大磯町との境に史跡があります。
あっという間の平塚宿史跡めぐりでしたが、当時はこの通りに多くの建物が立ち並び、旅人や庶民たちで賑わっていたのかなと思うとなんだか不思議です。時代が変われば人々の暮らしも大きく変わるんですね。
平塚宿から西の大磯宿に向かっていくと、正面に見えてくるのが高麗山(こまやま)です。宿場町の女中が江戸から京へと急ぐ旅人の袖を掴んでは、「あの山を越えないと大磯宿には行けませんよ!」と言って引き留めていたそうです。
実際は山の周りの平坦な道を歩くだけなのですが…高麗山を見た旅人は、確かに山越えが難儀しそうだと平塚宿に泊まったといいます。その様子が歌川広重の浮世絵に残されています。翌朝、山越えを覚悟して出発した旅人たちは拍子抜けしたのではないでしょうか。女中たちの作戦勝ちですね。
このように、宿場町にはさまざまなストーリーが詰まっています。花水橋から高麗山と花水川を眺めて、東海道の歴史・文化に思いを馳せてみてください。
そろそろランチの時間ですね。花水川沿いを下流に向かって自転車で走ること10分、「ビストロイチロウ」さんに到着しました。見ているだけで元気になれる、素敵なイエローの建物が目印です。
お腹ペコペコなおふたりは、シェフのイチオシ特製オムライスをいただきます!
チキンライスにたっぷりの半熟卵がフワッとのっていて、ふわふわ卵をスプーンでくずすと中はトロトロ。デミグラスソースと絡めて食べると絶品です!
新鮮野菜の生ハムサラダ付きです。
オムライスの他にも、パスタやピザなど洋食を中心としたメニューが豊富です。プラス料金でドリンク、デザートorスープが付くお得なセットがおすすめです。
美味しいランチに大満足。お洒落な店内でゆっくりと食事を楽しむことができました。午後も張り切って行きましょう!
午後の部は、平塚で伝説的に語り継がれ、平塚の歴史の中で最も有名な女性とも言われている虎女(とらじょ)にまつわる伝承史跡めぐりからスタートです。
鎌倉時代の仇討ち物語「曽我物語」に登場する、曽我兄弟の兄・十郎の恋人が虎女です。虎女は、平塚の山下長者屋敷の夫妻のもとに生まれ、その美しさは大磯宿で街道一の遊女としてその名を馳せました。
虎女との出会いからわずか3年で、十郎は仇討ちを遂げて亡くなってしまいます。その後、虎女は19歳で出家し、亡くなるまでの生涯を十郎の供養に捧げて愛を貫いたと言われています。出家して閉居したとされている場所には「虎女住庵の跡」の石碑があります。
「虎女住庵の跡」のすぐ近くにある「山下長者屋敷跡」は、虎女(とらじょ)が誕生したと言われている館です。生まれた場所の近くで生涯を終えたのですね。
ちなみに、美と教養を兼ね備えた虎女は、大磯で遊女として働いていたところで十郎と出会い恋仲になったとされています。
平塚の山下地区には、虎女にまつわる伝承史跡が数多く残っています。こちらの「文塚跡(ふみづかあと)」は、虎女が夫・十郎への追慕の情を断つために、生前送られてきた文を燃やしたとされる場所です。
大切にしていた思い出を燃やした時はどんな気持ちだったのでしょうか。たとえ文を燃やしたとしても、十郎への想いを断ち切れなかったんですね。
最愛の人を早くに亡くしてしまったのはとても悲しいことですが、生涯変わらず想い続けることができる人と出会えた虎女は誰よりも幸せだったのかもしれません。それは本人にしかわかりませんね…。愛情深く一途な女性だということはよくわかりました。虎女にまつわる伝承史跡めぐりはここまで!次のスポットへと移動します。
さて、続いては花水川河口の近くにある「なでしこ公園」にやって来ました。こちらは「人・水・緑・出会いの広場」をテーマとした公園で、園内には芝生広場や遊具広場、美しい花が咲き誇る花壇があります。
夏季限定で開設される「スプリンクラー水の遊び場」では、水遊びを楽しむことができます。(※2023年は7月27日から8月25日まで実施しました。)
涼を感じてひと休みしたら食欲が出てきました。甘いものが食べたい気分のおふたりは、生チョコ発祥の洋菓子店「シルスマリア」さんにやって来ました。
さまざまな種類の生チョコ、ケーキや焼き菓子を販売しているお店です。
人気No.1の「公園通りの石畳」は、3種類のミルクチョコレートとクリームから作られる生チョコです。芳醇なミルクチョコレート味が舌の上を滑らかに溶けていきます。こちらは県内で味・意匠・技術等が特に優れた菓子に指定される「神奈川県の指定銘菓」です。
大切な人にプレゼントしたら喜ばれること間違いなしです!自分へのご褒美にもおひとついかがでしょうか?
夏真っ只中な暑い日にぴったりなのが冷たい生チョコソフトクリームです。なめらかで濃厚なチョコの味が口いっぱいに広がり至福のひとときです。ミルクとビターの2種類あるので、ぜひ両方食べ比べてみてください。
おふたりはミルクをチョイス。ワッフルコーンもチョコレート味です!
ミルクはしっかりとした甘さを、ビターは濃厚で甘さ控えめな大人の味を楽しめます。
続いてもスイーツ店です。やって来たのは「パティスリー せぱまる」さんです。
「せぱまる」は、フランス語の会話で「なかなかいいね」という意味。「なかなかいいお店だね。いや、すごくいいんじゃない!」そんな風に言ってもらえるように、日々心を込めてケーキを作っているそうです。
定休日の関係で、店内は別日に撮影させていただきました。店主さんに「ひらつかLaLaぽた」ステッカーをお渡しして記念に1枚。お仕事中にありがとうございます!
ショーケースに並ぶケーキは色や形が可愛らしいものばかり。どれにしようか選んでいるだけで幸せな気分になれます。
今回はクレームカラメルとシュークリームをいただきました。クレームカラメルははちみつ味の口溶けなめらかな贅沢プリン。シュークリームは甘さ控えめなクリームがたっぷり入っています。
撮影のため店内で食べさせていただきましたが、通常は店内飲食NGです。持ち帰ってお家で美味しくいただいてください。
次は須賀港(平塚漁港)の近くにある駄菓子屋「豆文商店 まめぶん」さんへ!今ではすっかり珍しくなった駄菓子屋さんです。スーパーや雑貨屋さんの一角に駄菓子コーナーを見ることはありますが、駄菓子のみを扱うお店はそう多くないかと思います。
現店主さんの祖父が大正末期に創業した「豆文商店」が前身で、一度はお店を閉めていましたが、休業から13年の時を経て2021年4月に営業を再開しました。
店内には懐かしい駄菓子が所狭しと並んでいます。小銭を握りしめて駄菓子屋さんに通った思い出が蘇ります。ついつい買いすぎてしまいそうですね。
子どもはもちろん、大人にとっても心躍るお店です。駄菓子に馴染みのない若い世代の人たちにとってはレトロで新鮮かもしれません。賑やかな店内の飾りもぜひ楽しんでください。
カラフルポップな「豆文商店 まめぶん」さんを後にして、自転車で約1分のところにある「札の辻跡」が最後のスポットです。平塚の史跡めぐりポタリングのラストは史跡で締めくくりましょう。
小田原北条氏の時代、相模川の河口に位置する須賀港(平塚漁港)の周辺地域は、交通や経済の要衝の地であったと考えられています。そのほぼ中心に近い辻(十字路)に、幕府や領主の法令や通達を掲示する高札場(こうさつば)が置かれていました。そのことから、ここが「札(=高札)の辻(=十字路)」と呼ばれるようになりました。平塚宿にも「高札場」がありましたよね!もうすっかり覚えました。
このように、平塚市内には東海道平塚宿史跡をはじめとして、数々の史跡が残されています。自転車でのんびりと街めぐりをして、昔の街並みや人々の暮らしに思いをめぐらせてみてはいかがでしょうか?次回のひらつかLaLaぽたもお楽しみに。
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