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ひらつかLaLaぽた 中世の旅路 東海道の宿場跡を訪ねて SURUGA Cycle Journal Vol.75
平塚市さんとのコラボ企画。電動アシスト自転車、デイトナポタリングバイクで湘南ひらつかの気持ち良いところを巡ります。
今回は、中世の旅路「東海道」の宿場町平塚の名残を感じられる場所を中心に巡ってきました。昔の旅路に思いを馳せつつ、美味しいものもいただき、ポタリングならではの知的な刺激をいっぱい受けた1日となりました。
ナビゲーターは前回に引続き、平塚のハンドメイドサイクリングキャップショップ「サイクロン」さんの主宰、伊達千鶴さん。そして湘南在住のサイクリスト権田裕香さん(YUKAさん)の元気すぎるおふたり。当サイクルジャーナル編集長の深田が随行カメラマンを務めました。
今回もいつものように平塚市役所に集合して出発です。
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まずは平塚市役所のすぐ裏手にある平塚市博物館。その敷地内に静かに、どっしりと佇む蒸気機関車。
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こんな市街地で蒸気機関車が見られるとは驚きです。間近で見ると、現在の電車とは明らかに異質で、その質量感に圧倒されます。
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この車両は御殿場線を走っていたD52の403号機です。山口県の日立製作所笠戸工場で昭和20年3月18日に製造された後、昭和27年5月10日に改装され、昭和43年6月までの走行距離は1,100,097.7kmで、地球を27周半したことになります。すごいです。平塚市には、昭和44年11月30日にやってきました。
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403号機ということは、こんな大きな車両を400台以上作ったのですか?などと疑問も湧き、知識欲を喚起するきっかけにもなるスポットでした。また調べておきます。
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続いて訪れたのは平塚八幡宮さん。
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平塚市役所から道路を挟んですぐのところにあります。
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移動距離を短くして、八幡宮さんの木陰で酷暑をやり過ごします。コロナ禍で狛犬もマスクをしていますが、境内には、コロナ収束、無病息災を祈る茅の輪が設置されていました(2021年8月6日まで)。
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参道では神馬「皐月」ちゃんがお出迎えしてくれたり、あひるファミリーの行列にも癒され、しばし、暑さのことも忘れました。
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一国一社の霊場として鎮座してきた平塚八幡宮には、武運や勝負運、安産や厄災の守り神としてのご利益があるとされています。
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あの源頼朝や徳川家康が崇敬していたことでも有名です。
続いて訪れたのは、平塚駅西口から自転車ですぐ、徒歩でも3分ほどの紅谷町公園。
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こちらには「お菊塚」があります。塚の主は、怪談「番町皿屋敷」の主人公として有名なお菊と伝えられています。「いちま〜い、にま〜い」というあのフレーズ、子供の頃に聞いた怪談の中で一番怖く、鮮明に覚えています。
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お菊は、江戸の旗本青山主善(あおやましゅぜん)の屋敷へ行儀見習い奉公に出ていました。ある日主膳の屋敷内でお菊は、主人が大切にしている南京絵皿十枚組のうち一枚を無くしてしまいました。そのため主人の怒りを買い、お菊は屋敷内の井戸に投げ込まれて殺されてしまったそうです。その後、青山主膳の屋敷のお菊が投げ込まれた井戸には怨みを抱いたお菊の霊魂が留まり、幽霊となって夜な夜な井戸より現れたという噂がモチーフとなって怪談番町皿屋敷が生まれたそうです。
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真夏なのに涼しくなるお話です。
江戸時代、平塚は東海道の宿場町でした。この名残りが市街地の旧東海道沿いに石碑としてあります。まずは江戸見附。
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現地に立っている説明板によると「本来、見附は城下に入る門を示す「城門」のことをいい、城下に入る人々を監視する見張り場の役目を持ちました。 したがって、宿見附も宿の出入り口を意味すると同時に、宿を守る防御施設として設置されたことがうかがえます。
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また、見附は必ずしも宿境を意味するものではなく、見附から正式に宿内であることを示す 施設でした。さらに、宿と宿の間の距離は、この見附を基準としました。
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平塚宿の見附は2箇所。一般に江戸側の出入り口にあるものを江戸見附、京側にあるものを上方見附と呼びました。 この2箇所の見附の間が平塚宿内で、町並みは東西に14町6間(約1.5キロメートル)、東から十八軒町・二十四軒町・ 東仲町・西仲町・柳町の5町で構成され、その中に本陣、脇本陣、東・西の問屋場2箇所、高札場、旅籠などがあり、 江戸時代を通して200軒を超える町並みが続きました。」とあります。
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なるほど、昔、このあたりは宿場町として多くの旅人が往来していたのですね。ちょっと暑さを忘れて悠久の時の流れを感じた瞬間でした。
次も平塚宿の名残です。脇本陣跡。
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現地に立っている説明板によると「江戸時代、それぞれの宿場には幕府公用人や大名を泊める宿舎として本陣が設けられていました。この本陣の 補助的な役目をしたのが、脇本陣です。
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脇本陣には、その宿場の中で本陣に次ぐ有力者が経営しましたが、屋敷 地や建物の大きさは本陣に及びませんでした。また、脇本陣は本陣と違って、平常時は一般の旅籠としての営業も可能でした。」とあります。
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なるほど、昔は身分によって泊まれる宿のグレードが決まっていて、この時代でも、ホスピタリティとセキュリティが求められていたのですね。
次は脇本陣に続き高札場跡です。
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現地の案内板によると「高札とは、切支丹禁制や徒党の禁止など、幕府や領主の法令や通達を書き記した木の札です。その高札を掲示した場所が高札場で、各宿場や村々に設けられていました。
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通常、土台部分を石垣で固め、その上を柵で囲んで、高札が揚げられる部分には屋根がついていたといいます。平塚宿の高札場は、二十四軒町のこの地にあり、規模は長さ2間半(約5メートル)、横1間(約1.8メートル)、 高さ一丈一尺(約3メートル)でした。平塚宿には、平塚宿から藤沢宿、あるいは大磯宿までの公定運賃を定めたものの高札なども掲げられていました。」と。
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この時代、近隣における連絡事項の伝達は、主として言継ぎや掲示板だったのでしょうね。回覧板が登場するのはまだまだ後の時代のようです。
さらに高札場に続き本陣跡です。
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現地の案内板によると「平塚宿は東海道五十三次の1つとして慶長六年(1601年)に成立しました。
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幕府公用人や諸大名が宿泊する宿を本陣といい、 平塚宿の本陣は、東仲町北側のこの地にありました。」とあります。
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本陣跡は現在、神奈川銀行平塚支店さんの店舗があり、店舗前には記念碑があります。
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この辺りが、宿場の中心だったのですね。
宿場町の名残、ラストは東組問屋場跡です。
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現地の案内板によると「宿場は、旅人が休憩するための茶屋や宿泊するための旅籠といった施設が整っているばかりではなく、 諸荷物の継立(人夫や馬を取り替える)といったことも重要な役割でした。
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こうした人馬の継立や御用旅宿の手配をはじめとする宿駅の業務を取り扱う場所を問屋場といいました。平塚宿では、問屋場が二か所あり、西仲町にあったのを西組問屋場、二十四軒町にあったのを東組問屋場といいました。」とあります。
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こうして見てくると、江戸時代では、旅は人生の大事業であり娯楽だったようです。そして宿場は旅を支える重要なインフラだったようです。旧東海道を自転車で旅してみたくなりました。
朝からいくつものスポットを巡ったおふたり、ここで午前中の補給タイムです。平塚市民のソウルフードつるや製菓さんの“都まんじゅう”をいただきました。
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昭和30年の創業から、都まんじゅう一筋で販売を続けるつるや製菓さん。地元で愛され続ける素朴な和菓子ながら、ご当地グルメの1つに挙げられています。
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白あんを生地で包み込んだふわっとしたお饅頭。平塚駅前では時間帯によって行列ができる人気ぶりです。
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平塚に行くと、ついつい買って帰ってしまいます。
さて、そのつるや製菓さんの真向かいは、平塚の顔と言ってもいいでしょう、ラスカ平塚です。
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つるや製菓さんの前から撮影しました。伊達さんとYUKAさんのポーズは「H(ひらつか)」と「L(La Laぽた)」です。
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ラスカ平塚は平塚の玄関口として、1973年のオープンから今年で48年たちました。国鉄法改正を機に国鉄(現JR)が開発計画に参入し、平塚ステーションビル(株)を設立。国鉄出資の駅ビル第1号プロジェクトとなりました。今ではJR系の駅ビルはあたり前にありますが、ここが起点でした。 ラスカブランドとしては、茅ヶ崎駅、小田原駅、熱海駅にもあります。
やはり海は見ておかないと。湘南ひらつかビーチパークには、平塚市出身のアーティスト、オノルイーゼさんが描いた鮮やかな花が咲いています。
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2020年から平塚市の新たなフォトスポットとして人気を集めています。高さ約3メートル、幅約5.5メートルで、チューリップやユリなど四種類の花が並ぶ構図になっています。絵を通じて出会いがあったり、コミュニケーションが生まれるって、とても良いです。アートの力ってすごいと思います。
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酷暑の中のポタリング。熱中症予防にこまめに休憩を入れます。ランチも早めに「松風SAND&BAR 湘南」さんにおじゃましました。
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驚きのサンドイッチがいただけるお店です。今回いただいたのは「世界一高いクラブハウスサンド」「ローストポークサンド」「自家製辛口ジンジャエール」です。
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見た目の驚きと、美味しさの驚きで、とても満足度の高いランチになりました。
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特にローストポークサンドは、軽食というより立派な料理という出来栄えです。
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甘さを抑えたジンジャエールは酷暑でもスッキリ飲めて、料理の良いパートナーになっていました。次は絶対、フルーツサンドが食べたいです。
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ランチでパワーチャージした後は再び海方面へ。広々とした県道607号線を平塚漁港に向かって下っていったところ、須賀交番の隣に「札の辻(つじ)跡」という碑が立っています。
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このあたりは「札場(ふだば)町」というのですが、札の辻はこの名前の由来になっています。
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江戸時代には、漁港を中心とした一帯は広く栄えていた須賀村という村で、東海道へとつながる道が延びていた場所に法度などを掲示する高札場がありました。
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ここからこの場所を「札の辻」と呼ぶようになり、やがて「札場町」という名前の元となりました。
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そして札の辻跡からすぐそばの平塚漁港へ。こちらでは平塚の漁業をPRするキャラクター「ひらつかタマ三郎」が迎えてくれます。
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漁港の壁面はアートウォールになっています。
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地元の中高生・芸術短大生の作品たちが並んでいて、大型壁画の迫力と描かれた海周辺生物の躍動感で迫ってきます。
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晴れた日に見ると作品と空の青が溶け合って、さらにスケールアップして感じられます。ここに来ると絵を描きたくなります。
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そして平塚漁港の隣、相模川の河口に来ました。
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ここは相模川自転車道(さがみグリーンライン自転車道)の起点(終点?)です。
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県道409号(相模川自転車道)は、平塚市千河岸から厚木市関口までの全長約21kmの自転車歩行者専用道路です。
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相模川の河口は視界を遮るものがなく、とても開放的な気分になります。涼しい秋になったら、海と川を見ながら、のんびりと水辺のポタリングを楽しむにはとてもいい所です。
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真夏で35℃、日陰なしという条件でしたので、平塚市側を少しだけ走って市街地に戻りました。
相模川下流域一帯は、湘南潮来ともいわれる広々とした水郷地帯で、平塚八景のひとつにもなっています。
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この辺りの川幅は700メートルほどもあり、マリンスポーツや川釣りなどを楽しむ人々でにぎわいます。
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夏には花火大会が行われ、多くの家族連れが訪れます。
海を離れ、平塚競輪場に来ました。やはり自転車乗りとしては興味のあるスポットでした。現在の通称はABEMA湘南バンク。1950年(昭和25年)11月22日に開設された平塚市所有の施設です。コース周長は一周400mのアスファルトが敷かれたバンクです。
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イメージキャラクターはシャチの「ウインディ」で、父親の「てやんでぃ」・母親の「サンディ」・妹の「キャンディ」もいます。
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父親だけ日本生まれ(日本シャチ?)なのでしょうか?キャラクター設定がとても気になります。
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(平塚市ホームページより)
競輪は、1948年の誕生以来社会に貢献し続けています。
1948年11月20日、小倉競輪場ではじめてレースが開催されました。この日が競輪の誕生日。それ以来、競輪は、売上金の一部で、ものづくり・スポーツ・社会福祉の増進など、社会に役立つ様々な活動を支援しています。そして、シドニーオリンピック(2000年)ではケイリンが正式種目として採用され、北京オリンピック(2008年)では、永井清史選手が銅メダルを獲得しました。ケイリンは、日本発祥の日本を代表するプロスポーツです。
午後2時になり、暑さもピークです。クールダウンに立ち寄ったのは和菓子の弘栄堂さん。
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以前の撮影でも寄らせていただき、平塚名物「力餅」のふわふわなお餅に衝撃を受けました。
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今回は気温35℃の中でしたので、お店に駆け込み「くずアイスバー」の一択。
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お店のお母さんオススメの甘夏をいただきました。くずの優しい口あたりと自然な甘味に、甘夏の爽やかな酸味が加わってスッキリとクールダウンできました。
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帰り際に「河童どら焼き」も購入してお土産に持ち帰りました。川のそばにある店だから「河童」と名前をつけたそうです。お味はスタンダードなどら焼きです。しっとりしていて美味しくいただきました。
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ここで再びの東海道関連スポットにきました。馬入の渡し跡です。
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案内板によると、「江戸時代の日本の動脈東海道。幕府は大きな河川に橋をかけることを禁止しました。そのため、相模川(馬入川)は「渡し船」渡っており、相模川には 60以上の渡し場がありました。東海道は「馬入の渡し」と呼ばれ、幕府が管理し、周辺村々の負担によって成り立っていました。」とあります。
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渡し船には「小舟」と「馬船」があり、小舟は人を乗せる船で定員20人ほど、馬船は大型で馬が荷物を積んだまま横向きに乗ることができる船だったそうです。
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川の往来を厳しく管理することで、首都「江戸」のセキュリティを保っていたようです。
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平塚市役所に戻る途中に、薔薇を見に行こうということになり、平塚市総合公園に立ち寄りました。平塚市はバラの街としても知られていて、市内各所にあるバラの植込みが、道行く人の目を楽しませています。
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▼ バラのまちひらつか
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/koen/page-c_02853.html
平塚市総合公園にはバッティングパレス相石スタジアムひらつかの北側(510平方メートル)・野外ステージの東側(450平方メートル)2か所のバラ園があります。
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約800本のバラが植えられ、5月上旬から6月中旬と10月中旬から11月中旬まで咲きます。どちらも園路のジョギングコースに沿っていますので、散歩しながら楽しむことができます。
園内にはその他、湘南ベルマーレのホームスタジアムがあり、サッカーのまちひらつかの顔にもなっています。
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酷暑の中、駆け足で巡った今回のLaLaぽた。
中世の旅路の中心、東海道の名残を感じられる場所を巡り、歴史探訪のポタリングは今後も楽しめると思いました。一方で平塚八景のような景色の良い場所はそれぞれベストシーズンがあり、良いシーズンに再訪し、最高の景色を眺めたいとも思いました。どちらにしてもまだお届けしたい平塚はたくさんありますので、次回のポタリングの構想を練りたいと思います。また平塚でお会いしましょう。