中秋の名月に考えた俳句
毎日新聞の朝刊の連載小説、「無月の譜」を楽しみにしている。戦争中に亡くなった将棋の駒を作る駒師の大叔父さんが遺した駒を探す話。
で、無月という言葉を覚えた。
先日の中秋の名月、子供と月を愛でようかと思ったら、この辺は曇天で小雨もぱらり。仄かに明るい空を見渡しても月が見えない、それこそ無月だった。これはもう、俳句に詠まねばと頭を捻って、つるさんの月見会場にコメント出してみました。
月を探して首をぐるりと回したのに見つからなかったのよということで、
☆庭に出で首の体操無月なり
とやったら、本当に体操していると思われてしまった。比喩失敗の巻😭
☆愛でたくて首をぐるりと無月かな
くらいがいいのかね…
☆かくれんぼ兎を探す無月かな
陳腐になっちゃう??てか、探さぬかくれんぼとかないよね💦
さて、山陰にいる子供その2が、眩しいほど輝いた名月の写真(トップ写真)をLINEで送ってきたので、
☆差し入れのスマホ名月尚眩し
としてみましたが、こちらもスマホを差し入れされたとも受け取れるとのこと、またまた失敗😣
つるさんよりご提案〜〜〜〜〜〜〜
★名月はスマホで撮るもなほ眩し
句に広がりが出ると思いません
でしょうか。
事実を詠むのは、句作の基本で、
よろしく思われますけれども、
十七音で、全て詰め込むのは、
仰いますように、無理がある。
そこを創作するのです。
〜〜〜〜〜〜〜ここまで
つるさん、ありがとうございます。そうですよね。つるさんご提案の句で、手のひらサイズのスマホ写真でも充分キラキラ眩しいと言うことが、よく伝わります。私一句に沢山の情報をついついぶち込みたくなるけど、特に言いたいのは、そこですもの。
頭の中にある情報の中でも特に言いたいことを人にわかりやすく伝える。私が一番苦手なところです。書き言葉ならまだ試行錯誤しながらでいいけど、これが面接で話すとなると…いやはや🥲
今日は、ここまで!!