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リップスライムになりたかったころ

自粛期間で外に出れない間、普段できなかったCDの整理をした。もう聴かないもの、それで売るもの売らないもので箱に分けていく。CDは店頭で毎回本気で悩んで買っているので、もう聴かないとわかっていてもなかなか手放せない。しかし、それでも限界があるので何年かに一回に売りに行っている。

整理あるあるだが、今回も、掘り起こされたアルバムを一枚一枚聴いたりして、うだうだな作業となった。このなかにリップスライムの『talkin' cheap』があった。このアルバムをすっかり忘れていた。

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リップスライムがまだインディーズ時代の1998年にリリースしたアルバムである。その後、彼らは大変な人気者になる。わたしが彼らを知ったのは、ブレイクするきっかけになった、シングル「FUNKASTIC」だ。この曲は、ファンクをベースにしたトラックに、キャラクター豊かなMCが目まぐるしく、スリリングにかけあう一曲だ。

2002年、高校の時、このPVを初めてテレビで目にしたとき、ほんとうに驚いた。誇張抜きに、それまで、わたしは日本人でこんなにファンキーな人たちを見たことなかった。

もちろんこれより前、ブラックミュージックに強い影響を受けたミュージシャンは見ていた。久保田利伸がシャウエッセンのCMに出演していて、肩を揺らしながらソーセージを食べていて、これもファンキーだった。


しかし、リップスライムはもっと自然体にファンキーだったのだ。あまり洋楽への憧れを感じさせなかったというか。ヒップホップのリズムで肩を揺らしながら、そこらの路地を歩いても様になりそうというか。そのカジュアルでファンキーな佇まいに、わたしはすっかりファンになった。それまで好きだったハイスタよりも。


この後、リップはダメ押しのシングル「楽園ベイベー」をだし、このナンバーはその夏の日本のBGMに決まり、そのままアルバム『TOKYO CLASSIC』がミリオンセラーとなる。その破竹の活躍にうっとりしてしまい、あこがれ、わたしは寝る前にリップスライムの一員になることさえ夢想した。


その熱が何年続いたか思い出せない。手元には、その次の次のアルバム『MASTERPIECE』まで残っていた。Wikipediaで調べると、それは2004年のリリースだ。あんな好きだったのに、2年ぐらいで飽きてるじゃんか、オレ。10代の興味関心なんてそんなものなのだろう。


掘り起こされた『talkin' cheap』に針を落とす(CDだけど)。このアルバムは、「FUNKASTIC」を聴いたあと、すぐに彼らをさらに知るために過去作を追いかけるかたちで購入していた。だが、すでにキャッチーな彼らのイメージが出来上がっていたので、このアルバムはとても地味に感じていた。フーン……ぐらいにおもって、あまり聴いていなかった。


しかしいま、このアルバムはちょうどよい。メロウでチルした感じで、家で落ち着いていくにはとてもあう。いまの「ローファイ・ヒップホップ」「ジャジー・ヒップホップ」につうじるものがある。それもそのはずで、リップスライムはアメリカのヒップホップグループ、ザ・ファーサイドからの影響を公言していて、そのトラックを作っていたのが、「ローファイ・ヒップホップ」「ジャジー・ヒップホップ」のオリジネイターのひとりとされる、J・ディラなのだ。

『talkin' cheap』を聴き終わって、そういえば、リップスライムは最近どうしているんだろうかと思い、検索してみた。2018年から活動休止となっていた。そうだったのか。ゴシップ的な記事にはメンバー一人の女性問題が原因とあった。本当かどうか分からない。どのみちもうグループで動くのは限界だったんじゃないだろうか。ヒップホップ史的にみても、グループで長くやるのは難しいからだ。


『talkin' cheap』に収録された曲のうち、出色は「白日」である。印象的なサビはこんなである。

なにもかもが真白 今日はなにもしなくてもいいよ
くだらないつならない日々がまた来る前に


90年代の日本語ラップにもいくつかチルな休日をテーマにしたものがある(ブッタ・ブランド「ブッダの休日」 やスチャダラパー 「彼方からの手紙」など)。それらは、バブル期そのちょい後ならではの、のんきな雰囲気がただよう。この「白日」もそんな曲かと思いきや、「くだらないつならない日々がまた来る前に」と冷めた視線を忍ばしている。これからメジャーになっていく人たちとは思えない「老成」した感じがして不思議である。もう純粋な気分で音楽ができるのはここまで、というような。

思い出に入りこみ過ぎたのかもしれない。そこまで考えてわたしは『talkin' cheap』を「売らない」箱に入れたのだった。

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