恋は桃色な名曲たち
度々、敬愛するアーティストとして紹介する細野晴臣であるが、今回は1stアルバムから一曲、「恋は桃色」について。
好きな曲を取り上げたらキリがないくらい大好きなアルバムである『HOSONO HOUSE』。
その中でも「恋は桃色」は、特にフェイバリットな曲の1つだ。
恋愛ソングと軽忽な言葉で口にしたくないが、男女の恋愛について歌っているのは確かである。そうした意味で、この曲のベストテイクは、矢野顕子とのデュエットなのだ。このデュエットからは、通常ヴァージョンより、男女の物語性を感じ取れる。
この曲を初めて聴いた際、作詞が細野晴臣自身で行われていることに驚いたのを覚えている。作曲に関しては、はっぴいえんど時代からその才能を遺憾なく発揮していたわけだが、作詞に関してはほとんどの曲を松本隆が手掛けていた。つまり、ソングライティングの才能がこのアルバムで完成したと言っても過言ではないのだ。
はっぴいえんどの1stアルバムのディレクションを務めた小倉エージ氏が「かくれんぼ」を聴いて「つげ義春的な世界が思い浮かぶ」と評していた。私はこの曲(恋は桃色)を聞くまでは、そうした世界観の形成は松本隆の詩の役割が大きいものだと勘違いしていた。
色や匂いの対比関係が明確に描かれ、そこには、心安らぐ昔ながらの風景(個々によって違う)が広がる。細野晴臣の詩世界。これもつげ的叙情なのだろう。はっぴいえんどの音楽は4人で作られてきたことがわかる。
また、2番の頭の詩には、恋人との関係性が最も詩的に表現されている。
「おまえの中で雨が降れば 僕は傘を閉じて濡れていけるかな」
洒脱的で、男性の女性に対する潜在的な意識がストレートに伝わるこの詩に、私は感銘を受けた。
確か作者は不明なのだが、私が好きな詩に以下のようなものがある。
「嫌なお方の親切よりも 好いたお方の無理がいい」
「恋は桃色」からもこの詩と同様の感覚を覚える。昨今流行しているシティポップともまた違った、70年代初頭の日本のポップスには、本能に訴えてくる恒久的なイメージを我々に与えてくれるのだ。
矢野顕子との「恋は桃色」のデュエットを聴いた時に、日本語版の「Ain’t No Mountain High」だとも思った。曲調はまるで違うが、デュエット・ソングでしか伝わらないアティチュードは、この曲にも共通している。様々なアーティストにカヴァーされた、60年代ソウルのマスターピース的なこの曲は、私にとって究極の愛の讃歌とも言える。
2人の距離感。歌を通して、愛を確かめ合っているような、そんな愛の形に恍惚感を得られるのは私だけではないはずだ。この曲のレコーディング自体は、別々に録ったらしいが、声だけでもお互いのフィーリングの高まり合いを感じる。まるで、本当の恋人のように。
マーヴィンが唯一認めたデュエット・パートナーがタミーであることは自明である。お互いを認め合っていた。しかし、1967年10月14日、マーヴィンと共にステージに立っていたタミーが突然倒れたのである。彼女は脳腫瘍と診断され、1970年3月16日に24歳の若さでこの世を去った。マーヴィンはその後、彼女の死から完全に立ち直ることができず、レコーディングもライヴ・パフォーマンスからも退くことになる。
そして、その苦悩とともに生きることを決意して誕生したのが世紀の大名盤『What’s Goin On』なのだ。従来の黒人のポップスではなかった内省的な内容で、ソウル史上初のコンセプト・アルバムとも言われている。また、2020年の9月に米『ローリング・ストーン』誌が選ぶ「歴代最高のアルバム(The 500 Greatest Albums of All Time)」で1位に選出された。このエピソードを知れば、「Ain’t No Mountain High」が一層素晴らしい曲に聴こえるに違いない。
「Ain’t No Mountain High」の歌詞に以下のようなものがある。(以下、和訳)
「わたしが必要で、わたしを呼びたかったら
あなたがどこにいても、
あなたがどんなに遠くにいても(気にするな)
わたしの名前を呼んでくれさえすれば
急いであなたの元に行くわ
心配する必要ないわ」
この歌詞を聴くと、もう一つ思い出すのが、矢野顕子「ひとつだけ」である。
「離れている時でも わたしのこと
忘れないでほしいの ねぇ おねがい
悲しい気分の時も わたしのこと
すぐに呼び出してほしいの ねぇおねがい」
これもやはり、忌野清志郎とのデュエットが素晴らしい。これを夜な夜な聴いてしまうと、涙腺が刺激される。自分の恋愛などと重ねて、数々な思い出が頭を駆け巡り、カタルシスを得られる。
動画の2分26秒あたりで、歌の入りを清志郎が間違えてしまい、すかさず矢野顕子がスムーズなフォローを入れている。これも2人の関係性だからこそ、成せる技であろう。
ピアノとタンバリンのみで演奏されてるとは思わせない、重厚感のある2人の表現力にただただ感服する。
矢野顕子の奇天烈で自由な表現に、細野晴臣、忌野清志郎、錚々たるレジェンドが交わっていること自体、とても価値あることなのだ。
ここまで3曲ほど、デュエット・ソングを紹介したが、まだまだ紹介し切れてない曲は多数存在する。
例えば、ロバータ・フラック&ダニー・ハザウェイの「Where Is The Love(恋人は何処に)」だ。
この曲のデモをアッシュフォード&シンプソンのヴァレリー・シンプソンが歌っていたりと、関連を持たせられなくもないが(Ain't No Mountain High Enoughの作曲は、後にアッシュフォード&シンプソンとして活動するニコラス・アシュフォードとヴァレリー・シンプソンが手がけている)、上記の3曲ほど、エピソードがないため、紹介だけに留まらせておく。
余談になるが、この曲はグローヴァー・ワシントン・ジュニアの「Just The Two of Us」を書いたパーカッショニストのラルフ・マクドナルドと彼のパートナーでベーシストのウィリアム・サルターによって書かれた曲で、「Just The Two of Us」が収録された『Winelight』は、父が初めて買ったLPであるため、私も思い入れが深い。
「Just The Two of Us」も素晴らしい曲なので、気になった方はぜひ聴いていただきたい。
今回は、デュエット・ソング特集のような内容であったが、まさに、「恋は桃色である」と実感する名曲揃いだ。なんだか、恋は素晴らしいといった稚拙な感想で筆を置くことになりそうだが、歌から伝わるメッセージを素直に受け取れば、そうした感想も悪くなかろう。