日記40 差別の火種
アメリカの人気ドラマをずっと観ているとどの作品でも必ずと言っていいほど、人種差別、について言及する場面がある。
ミステリー作品でもコメディ作品でも人種差別をきっかけに起こる事件が度々描かれる。
日本で生きていると想像し難い事件が、アメリカでは現実で日常的に起こっていて、ドラマや映画等にも反映されている。
私は高校時代に地理の授業で、南アフリカ共和国での「アパルトヘイト(人種隔離政策)」やそれよりもっと昔から存在する人種差別にまつわる歴史を学んだ。胸糞悪くなる内容だった。
「人間の敵は、人間だ」と思った。
日本で暮らしていると、人種差別を含むあらゆる差別について、鈍感になってしまう傾向は、正直あると思う。
少なくとも、高校や大学などで専門的な教科を学んだ人たちはその胸糞悪さに触れるけど、知識として脳にインプットされるだけで、実体験にはなかなかならない。日本人も黄色人種として差別の対象になっているはずなのに「そんなの昔の話でしょ」と、どこか他人事に感じてしまっている。
今回の新型ウイルス流行で、海外に住む日本人が「コロナは出ていけ!」などの酷い言葉を浴びせられた体験談をSNSで発信して、日本人も「アジア人」として未だに差別の対象になるのだ、と初めて実感した人も多いのかもしれない。
人種に限らず様々な差別がこの世界にはあって、日本人も、全ての人が、誰かの何かを侮辱してしまう、差別の《火種》を心の中に持っているはずだ。
侮蔑の対象は、民族、宗教、異性、障がい者、セクシャルマイノリティ、貧困層など本当に多様。
生まれ持った容姿でただ普通に生きているだけなのに、ブスだのデブだのハゲだの、好き勝手に言われることもある。
私だって日常生活で「○○ちゃんは美人だけど、△△ちゃんはそんなに……」とか「ああいう見た目の人は性格悪いよね」とか今思い返せば酷いことを言ってしまったことがある。
どんなに気をつけていても、ポロッと出てしまうのが、差別だ。
私も気をつけていないと、もっともっと酷いことを言ってしまうかもしれない。
大事なことは差別の《火種》が自分の中にもあるのだと、ちゃんと気づくことだと思う。
「自分が差別なんてするわけない」
と思っていると、自分の周りで起こる差別から、目を逸らしてしまう。
「私の中にも、偏見で他人を侮辱してしまう、差別感情は存在するのだ。だから気をつけなきゃいけない」
とちゃんと自分自身に向き合うことが、自分の周りの人を幸せにする第一歩だと私は思う。