自転車偏見雑記【私はヘルメット原理主義者である】
こんにちは サリーです。
自転車について僕が考えていることを
「自転車偏見雑記」というタイトルで書いていきます。
基本的なスタンスとして、
これは僕個人の価値観と曖昧な記憶をもとにした、
根拠のないチラシの裏です。
特定の誰かと論争するつもりもありません。
が、コメントはお待ちしています。
自転車のヘルメット着用が努力義務です。
さて、この四月に自転車に乗るすべての人はヘルメットを着用することとなります。
しかし努力義務です。罰則はないです。
勝手にしてください。
そんな私はヘルメット原理主義者
割と本気で、他人の頭の安全の事はどうでもいいと思っています。
なので、特に感情は何もないのですが、
僕はヘルメット原理主義者です。
ヘルメット未着で自転車なんて言語道断。
目の前数百メートルでさえ、ヘルメットを着用します。
そもそも私は私を信頼していない
これを読んでいる方で、
事故回避能力や跳ね飛ばされ、まさに頭を打たんとす、
その瞬間に、衝撃を受け流す能力はございますか?
僕はそんな究極の緊張状態の数秒で、なんにもできるわけないだろ!と思っているし、何かできる余地があったとして、せいぜいビンディングの解除(ペダルと靴の連結解除)が限界です。
それに、それが出来るのは意識が残っている場合にのみできます。
ファーストインパクトで、刈り取られた場合、
受け身も、腕で頭部を守ることもままなりません。
僕は割とサクッと意識を失います。
車と喧嘩した日にゃ、当たる前に気絶できるような気がするくらいです。
この僕に回避や受け身なんて期待できません。
だからこそヘルメットを着用します。
お客様の話でマジ?ってなる話
他人の主義主張について真っ向から!みたいなことは無いのですが、接客をしてるとツイツイ「マジで言ってんの?」事案があります。
それは、
「いやーガチじゃないんで、ヘルメットはいいかなぁって(笑)」
です。(怒)
逆説でもないかもですが、
「ガチでもないのに、頭かち割って病院か、あの世かのくじ引きすんの?」
こちらを可能な限りオブラートに包み、希釈し、お伝えします。
分かりますか?
レーサーがレース中に事故で亡くなる
レーサーが練習中に事故で亡くなる
これは分かります。
限界まで追い込むレースで事故はゼロにはできません。
練習でもやはり不測の事態は起こり得ます。
「いやー近所のコンビニだからノーヘルで走ったら運悪く頭打っちゃって」
自分で説明できればまだ笑い話にできる可能性はありますが、
亡くなってしまったら
あなたの親族の誰かから
「○○は、コンビニに買い物行くって…最近買ったスポーツバイクに乗って…なんでヘルメットしなかったのか.…」
って説明させるつもりですか?
あと純粋に、僕が整備した自転車で死なないでもらえる?
イージーライダーこそヘルメットセヨ
僕はレーサーではないです。激遅ライダーです。
いつも、軽いノリで自転車に乗ります。
100キロだろうと100メートルだろうと、
そこらのコンビニに行くかのようなイージーさで走りだします。
ここで必ず守るべき鉄の規則とは何か。
ヘルメットではありません。
生きて帰ってくることです。
コンビニや100キロツーリングごときで、
死ぬわけにはいかないのです。
100歩譲って100キロツーリングで死ねるかもしれませんが、
そこのコンビニ行くので死んだなんて、
ダーウィン賞にもノミネートされません
イージーだからこそヘルメットは必要です。
そもそも論として
初心者や「がちじゃないんで」勢に訊きたいのですが、
あなた方はバイクコントロールどれほどできますか?
例えばプロロードレーサーレベルのスキルと比べたら?
おそらくあなたは言うでしょう?
「いや、そんなわけないですよ 初心者だしガチじゃないんで」
じゃあメットいるだろ?!!
どんな論理回路組み立てたら
「ガチじゃない」=「ノーヘル」
になるのよ。
さいごに
例えばTwitterでノーヘルで写真が出てきても、
風景や構図によっては今はいいねしたりします。
別に何とも思いません。
でも、現実で出会って、話しかけられたら
「こんにちはー」
「こんにちは(ヘルメットせぇや)」
「暖かくなりましたねぇ」
「そうですね、今日は風もなくて…(ヘルメットせぇって)」
こんな感じです。
現実だと本当にヘルメット原理主義者になります。
ヘルメットについてはまた続編を書くつもりです。