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訪問自転車整備をやる理由 その1

これまでの投稿は、自転車屋さんやるぞ!っていうところにフォーカスしていました。
今回から、何故この業態をやるのかについて書いていきます。
これまでの投稿はこちら

ポッドキャストでもお話ししています。


怒りと悲しみの自転車修理

これまでの自転車人生で、
常に感じているのは、
なぜ点検に来ないのか…」です。
壊れるまで乗って…
最後は「修理代高いから」と、廃車にされていく自転車。
なんとなく、「おたくのお店高くない?」とのニュアンスすら発するお客様もおられます。
高いから…と別のお店に持っていったあと、取り合ってもらえず戻ってくるようなお客様もいます。
ボロボロになったパーツを確認しながら、もう少し早く来てくれたら数分の調整でキミももう一度走れたのにと複雑な気持ちになるんです。
そして、やむなく交換品を見繕い金額を伝えると「高いなぁ」と。確かに最安ではないパーツだけど最安にすると無点検に耐えられないのです。
お客さまに高いと言われ、瀕死のパーツを鉄ゴミ箱へ放り込むこの怒りと悲しみ。
そんなに高いなら要らないと、廃棄されるまだまだ走れる自転車の誇らしく悲しく輝くエンブレム

他人の意識は変わらない

いくら、点検の必要性をお話ししても、
高額な修理代を支払っても、
人を変えることは出来ないのです。
出来ることは、なんとかお店に入り浸らせて、店内で駄弁ってる隙にシラーっと点検するくらいです。
というか、話し合って分かる、変われるなら、世の中はもっと良くなってるし、離婚の半分くらいは起こらないと思います。

僕は自転車の味方である。

ここで重要なのは、僕が自転車の味方であると言うことである。
元来、自転車屋さんでの経験以前から僕は人間を信頼していないのです。
友人は片手に入るほどしかいませんし。
とはいえ、自転車屋さんでの経験で、人との関係性の理解が進み、
ある程度、社交性を獲得し、人を信用
できましたが。

パーツは嘘を付きません。
自転車の消耗は、あなたが語る以上に雄弁です。
常にどこが悪いのか訴えかけて来ます。
僕はその間に立ち、ライダーの走り方と、自転車のすり合わせを行います。
耐久性を取るのか、軽量さ………
ママチャリと呼ばれる一般自転車ではとにかく耐久性を取りたい。
僕はとにかくその自転車が長く人と共にあることを優先したいのです。

そうして生まれる訪問自転車整備店

僕は自転車を愛し、人間をそこそこ好きになりました。
点検はしなければならないと分かっていると信じています。
お店までの距離が、
点検の時間が、
あなたの自転車から点検を遠ざけるのなら、僕は喜んでお家へ伺います。
たとえば、あなたのパートナーが
「すぐにウチに来て!」といえば、
大体の人は飛んでいくでしょう。
僕は自転車たらしです。すべての自転車を愛していると言っても良いでしょう。
見ず知らずの自転車でも、飛んでいきます。
この街で、すべての自転車が適切な寿命を迎えられるように。
それが、この事業を始める理由の一つです。

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