【hyde誕生祭】花葬・侵食・forbidden loverほか追記

永遠に感想を書き続けてしまいそうだから、昨日無理やり感想文を投下して、もう自分の気持ちを成仏させようと思ったのですけれど。
感想書くのやめたら、とたんに胸が溢れて苦しくてどうにもならない。
仕方ないから、追加で書き続けることにした。


※ちなみにわたし、雑誌どころか、会報のインタビューも気が向いたときにしか読まない人間なので、いろいろ述べておりますがすべて完全に根拠なき、個人の解釈と感想です。

花葬

2日目の花葬どうでした…?
自分の感想を書きあげる前に、ほかの人のを見ちゃダメって「好きを言語化する技術」の本が言ってたのを間に受け、まったく感想見てないのだけれど。
もういいかと思って花葬で検索してみたけれど、感想見つけられなかった。
ほかの人の感想読みたい…

独断と偏見だけれど、過去の花葬は,歌のための歌だったように思う。
歌声としてはこの上なく、美しく歌い上げる歌。

土曜日の花葬は,見えそうで見えない,あともう少しで何か見えそうな…そんな花葬だった。
そして日曜日,ついにわたしの大好きな,物語があり、情景が見える歌になった。

この歌って,死者を悼む歌だったんだ…と初めて気づいた。
ライブ全編を通じて,あまりにも情緒が忙しかったから,圧倒されてその日のうちには整理できなかった。
今,ようやくしみじみと花葬を思い出しているけれど,まるで『鎮魂の祭祀』のような歌だったな、と思う。

hydeは,ABメロで死者の物語を語る。 

瞳開けたまま 腐食してゆく身体
鮮やかに失われる その意識だけを残して
春を待てずに

「春を待てずに」で,痛ましいような,憐れむような瞳を,「その人」に向ける。

愛しい あなたはただ そっと冷たくなって
腕の中で壊れながら ほら夢の淵で呼んでる いつも のように

スクリーンに映し出されるhydeの瞳には,見えているんだろうなと思った。「あなた」が。
そして,悼んでいる。寄り添っている。
けれど,たとえば次の曲『浸食』のような、不安定さは微塵もなく,悲しみや感情に翻弄されている様子もない。
「あなたの死」を,悼みながらも受け入れている。

くるい咲いた夜に 眠れぬ魂の旋律
闇に浮かぶ花は せめてもの餞

そして続くサビ。
このサビは,死者に対する「鎮魂の祈り」であり「餞(はなむけ)」なんだと,今回の歌で初めて気づかされた。
「死者」を見つめ,語りかけ,そして,最後に「祈り」を捧げる。もう苦しまなくて良いように。

原始宗教の死者を送る儀式じゃないけれど,そんな神がかったものまでも感じさせる歌だった。

27年目にして花葬の真実を知ったような気がしている。

そんな気がしているけれど,油断したらいけない。
今回の表現ではこういう物語に圧倒されたから,「ああ…そういう歌だったんですね…! 初めて理解しました」ってなってるんだけど,次の花葬でhydeが紡ぐのは全然違う物語かもしれないからだ。

これも個人的な体験なのですけれど,レントゲン札幌のラストのsecret letters,初めて,これは最期に死によってアンネが救われる歌なんだと思ったのですよね。
天に昇っていく,最期の瞬間が,歌のラストなのだと感じた。
あの日の公演は金子國義先生のBD前でもあり,evergreenとかも終始,何かを悼む優しさに満ちた公演だったからかもしれない。

あの日「ああ! そうだったのか,なんで今まで気づかなかったんだろう。ようやく理解しましたよ,この曲の本質を」って思ったのに,次の静岡公演は全然違うsecret lettersだった。。。

なので,一応,「花葬ってそういう歌だったんですね!」って今は思ってるけど,もしかしたら次は「……ぜんぜん違ったわ……,,今日の花葬ぜんぜん違うお話だったわ」ってなるかもしれない。
その可能性も視野に含めたうえで,次の花葬を楽しみにしている。

花葬はわたしがラルクを好きになったきっかけの曲で、人生で初めてシングルCDを買った曲(当時の金銭感覚からはシングルCDめっちゃ高かったんで、残り2枚はレンタルしました)
もう十分大好きなのに、ここに来て、こんな段違いの表現に昇華されるなんて。
幸せすぎる。ありがとう。

浸食

I lose control I lose control
I lose control  春めくときに まだ幼い瞳は 終幕 をおそれた
I lose control ひらひら浮かぶ ちょうちょは捕まえられ 貼りつけ られてたね
Good morning  Mr.Fear

節間で繰り返す2つのI lose controlは,浅い。
なのに,3つめのI lose controlは,夢想から醒めたみたいに深い。
「まだ 幼い瞳は」でまた浮上するように徐々に浅く,「は」から「終幕」はブレス音と声を混ぜたような薄さ。「おそれた」でまたなめらかな深みへ沈んでいく。
浅瀬から深みへ,深みから浅瀬へ,波形状に浮上と沈下を繰り返す。

意識して,考えて,技術でやっているのでしょうか。
それとも,この曲を表現するときに,天然でこうなるの?
どちらでもいい。
この確かな歌の技術に裏打ちされた,不安定さ・不穏さの表現が天才すぎる。

覚醒されたのは 失くしてた傷跡
抑えられない この腕さえ
焼き尽くす太陽 影を黒く染める
そう気づけば 笑ってた

このロック感とドス重い圧,「腕さえ…Ah」とか「笑ってた」からの「I died then my instinct was born」の歪みながらの圧倒的な声の伸びはソロであれだけのヘヴィ曲をやっているからこそだと思うのですよね。音源と全然違う。

あと今思い出して気づいたけど,「born」の発音いいな。この「r」がしっかりした発音好き。

forbidden lover

空高く 舞い上がれ この心 渦巻いた悪い夢より 高く
解き放つ あなたへのこの想い 遠い地へ 輝きを放って

思い出せば思い出すほど,ここの力強さがもう無理。

この直前,
「怯えた瞳は 天を仰いで 叫ぶ 神の名を」
で,炎に取り囲まれたスクリーンのhydeは殉教者のようだった。

なのに,この「空高く」からの力強さ。
「舞い上がれ」に込められた,とてつもなく強い意志のちから。
地上に縛りつけられた肉体から,その苦しみから,意志のちからで心を自由にしようという。
「渦巻いた悪い夢」の声の歪み。
「解き放つ」の,深みの底から,矢を放つみたいな勢い。

肉体は崩れゆく船に縛られて,滅びて行きながら,心だけが自由になる。
地上での死をもって,その「想い」が自由になって解き放たれる。
その力強い,運命への反抗みたいな,決して負けない決意表明みたいな,深くて強い歌声。
思い出したらまた涙がとまらなくて、もう無理。

なのに,「新たなる国に やがて来る日にも 同じ道をまた辿るだろう」で,また運命の語り部側の,いわば「天からの眼差し」に戻るの。
きれいな涙を流しながら。

好きすぎて無理。

その他

2日目の真実と幻想との最初。
ギターが鳴らなくて、ギターを気にして、最初は迷いを見せていたのに、そのあとスウッて世界に入り込んでいった。
迷うのをやめたのが手に取るようにわかった。

はぃどちゃんの、ぜんぶ顔に出るところすごく好き。
今ひとつ集中してないのもわかっちゃうけれど笑、入り込んでるときの伝わり方、伝え方は比類ない。
その意味でも、今回の巨大スクリーンがイメージ映像的なものは最小限でメンバーを映しつづけたの天才でしたね。
どんな一流アーティストのアートワークよりも、hydeの顔面が一級の美術作品だし、hydeの表情が何よりも雄弁なのよ。そうなのよ。

ALONE EN LA VIDAはあんなに感情決壊して打ちのめされたのに、今、あのand so I goのことしか思い出せない。。。
たぶん気持ちが昂ぶりすぎて、記憶がダメだった。悔しい。
はやくディレイビューイング来てください。
音響が日本で一番最高の映画館で観たい。どこ?

そうだ!あと初日の叙情詩!
初日もALONE EN LA VIDAでボロッボロになって、よく知っているイントロをぼんやり聴きながら、あの天井に投影されたミケランジェロの天井画みたいなやつをボーーーーッと眺め、「つぎマイハーか」って思ってた。
歌に入る数秒前になって「待って、これ叙情詩だ」って気づいた。
初日は少しだけ、クリアな楽器に比して、ヴォーカルが埋もれる瞬間がときどきあり、声の質感を想像力で補うようなところがあったのだけれど、アカペラのときだけはあの歌声に純粋に包み込まれて幸せだった。
ほんとうに、降り注ぐ光みたいだなって思った。

あと曲のことじゃないんだけれど、最後のメンバーからのプレゼントタイムのはぃどちゃん、この世の愛しいを集めた結晶みたいだった。
リーダーに否応なしに、5歳児みたいなレッサーパンダのリュック背負わされて。
はぃどちゃんはまったく「かっこつけ」な人ではないけれど、ステージ上でのかっこよさには気をつかう人なのに、されるがままになってて、愛しさが爆発した。

五月雨式にいろいろ思い出してしまうから、また追記編集するかもしれませんけれど、とりあえず今はここまで。