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HYDE[INSIDE]LIVE SEOUL 2024年11月24日


'We will never be the same again'
って、こういうことなんだなぁって。

最高!素晴らしい!ずっとこれでいて!!!!
…って思った、先日の台北公演。
しかし、もうはいどはそれをなぞったり、同じような良さを目指したりしない…
どんなに素晴らしい自分のベストアクトにも執着せず、壊して、新しいものを創り出しつづけるんだなぁっていう、事実に震えているSEOULの夜です。
(※ここはソウルの当日夜に書いた) 


セットリスト

  1. LET IT OUT

  2. AFTER LIGHT

  3. I GOT 666

  4. DEFEAT

  5. BLEEDING

  6. Taking them down

  7. THE ABYSS

  8. 永久-トコシエ-

  9. HONEY

  10. 6 or 9

  11. MAD QUALIA

  12. SOCIAL VIRUS

  13. MIDNIGHT CELEBRATION

  14. LAST SONG

  15. 15.PANDRA

  16. 夢幻

  17. グラスカ

  18. セクブラ

会場


韓国は始まる前からメンズが熱かった。
後方でメンズが叫んだかと思えば、呼応するように前方でもメンズが叫ぶ。日本だと女子の方が強めで元気なイメージだけど逆だった。
海外公演に行くと、各国でカラーがあるのも面白い。

会場は後ろの方まで満員で詰まってたと思う(はぃどちゃんが6or9で座らせるの諦めたレベル。「……座れないね?無理だね」ってめちゃくちゃあっさり諦めた)
ただ、座るのは厳しいけど逆に最前から5〜6列目くらいでも、日本の一柵目みたいな押しはなし。始まる前に圧縮あるかなと思ったけど皆無。かといって余裕もないしまぁまぁ前後左右密着してるけど、苦しさはなく、良好な視界にも恵まれて見やすかった。

音響、リハはど上手のスピーカーまん前に行ったためか、音圧含め「うわっ厳しい」と思った。
海外の箱特有の、あれはなんなんですかね…荒さ?Zeppに比べてクリーンさを欠く反面、音圧が重い感じ。USツアーでたびたびしんどさを味わったあの感じ。
大丈夫かなぁと思ったんだけれど、本番、何ひとつ問題なかった!むしろめちゃくちゃ良かった!
どこの箱でも一発目でこのレベルの仕上がりにしてくれるはぃどちゃんの音響職人さま…ありがとうございます。ほんっとにもう音響はライブの酸素なので…今年は1年間大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。

こちらはリハなのにばちばちにスタァーなオーラを撒き散らしながら出てきたはぃどちゃん。

リハのフリーフォトシューティング時の写真

THE ABYSS


で、いろいろ飛ばしてTHE ABYSSなんですけど。
もう何度泣いたかわからないこのバラード。
2021年6月25日、中野サンプラザで初めて聴いた時は衝撃だった。
初めて聴くのにあまりに良くて心の中で発狂した。
らんぶるのときは、逆に最初の羽田が微妙すぎて、ショックのあまりライブ行くのやめた。行かないうちにめちゃくちゃ良くなってて、なんで誰も教えてくれなかったのか逆ギレした(自業自得)。
とりあえずTHE ABYSSさえ聴ければ満足なくらい、ABYSSにかけてきた、ここ数年なわけです。
ひこにゃん氏が他にどんな曲作っておられるのか知らんけど、この曲は後世に遺すべき名曲。22世紀まで遺すべき。はぃどちゃん以外の誰に歌いこなせるかは謎だが。

BLEACHって漫画で、涅マユリっていうヤバめマッドサイエンティストキャラの「我々科学者にとって、『完璧』とは絶望だ」っていう台詞があるんだけど、SEOUL終演後にその台詞思い出してた。
この台詞の趣旨は、「完璧」に至れば、その上はないから、その先の探究はないから、ってことなのだと思うんだけれど、たぶんはいどにとっても、「完璧」はないんだ、と思った。
常に変わりつづける自分の、昨日とは違うその声と心で、その時々の「今」の想いを歌に乗せる。
向上しつづける鋼の意志があって、変わりつづけるやわらかい心があって、それを歌に乗せる技術がある。これが三位一体になってなし得ている奇跡だと思った。

それで結論をいうと、はいどが大サビの最後のところだったと思うんだが、右の拳をふいにぎゅうっと握りしめてから、何かを振り切るようにその腕を払う動きをしたとき…わたしの心臓は壊れた。
あの手の動きのままに、心臓が握りつぶされて、壊れてしまった。
あの、何かを振り払って、それでも前に進む意志を示すような歌。

ABYSS、ここに来てまだこんな破壊力出してくるのエグすぎる…

あと最初のonce againの澄んだ美しさが素晴らしかった。
音響のせいもあるのかなぁ。
今日の声、ときどき磨りガラスみたいだった。硬質な、抑えめのきらめきがある響きなんだけれど、薄く、壊れやすそうでもある。すごく好き。
次はその声でsmiling歌ってほしい。
just crushing my heartって歌ってほしい。
暖かくないほうのsmiling。うっすーいガラスがぱりんと小さな音をたてて割れるようなやつ。
まぁ今年は黑ミサ富良野は行けませんけれども。

あといつもながらcrumbles downも素晴らしかったし、current flowも良かった。

永久-トコシエ-


いきなりリハの愚痴から入るんですけど、なんか手拍子するように煽られたんですけど怒
永久で…? 手拍子…だと…?
HA?誰だそんな、花葬で手拍子みたいなこと始めたのは?殺意…

と危うくキレちらかしかねないところだったのだが、韓国の観客のセンスが素晴らしく、そして観客を思考停止させるレベルではいどの歌声が良すぎた。
何が起きたかというと、

  天を焦がす炎

第一声から、あまりにも素晴らしく、あまりにも荘厳だった。その声で、一瞬にしてそこはライブハウスではなくなり、何か荘厳で厳粛な緊張感に包まれてしまった。
由緒ある寺院の聖堂、または無限城における無惨さまのパワハラ会議場のような雰囲気に。
そのため、手拍子しかけた客が全員その荘厳な空気に呑まれ、スンッと正座して跪いてしまい(物理ではなく精神)、手拍子はすぐに消えてなくなってしまった!

はぃどちゃんにもメンバーの皆さんにも、そろそろ観客が「あまりに良すぎると棒立ちになる」「その時は全身が耳である」という現象を認識し、受け入れていただきたいものです。
つづく、

  正しさよりも正しく

に効かせる民俗調の声の響かせ方、絶品すぎた。過去に聴いた中で、一番音源に近い響かせ方だった気がする。

それで、冒頭のwe will never be the same againに戻るわけなんですが、先日Xで書いたとおり、台北の永久があまりにも素晴らしかったわけですよ。
台北の永久はたぶんわたしの心のアルバムには永遠に、至高の名演として残る。2024年2月11日&3月7日UNDERGROUNDの叙情詩と並んで残る。

であるから、わたしは当然アレを期待しておりました。あのバッ!て手を広げたりバッて拳を突き上げて、バッて手を振り下ろしたりする、もうあの一瞬ごとに絵になりすぎて、かっこよさで人を気絶させるやつを。あのアジテーターにして『民衆を導く自由の女神』(ドラクロワ作)のようでもあるやつを。

ところが、本日、あっさりアレ捨ててきた。
最初の数秒はショックで呆然とした。
代わりに旗担いできた。
ええ?旗かつぐの?on my ownじゃないでしょこのイントロは…と思った。
しかしよ、旗かついで、遠く目の前をまっすぐに見据えて歌う姿… フロアから掲げられた観客の手を背景に見上げる姿の圧倒的支配者感。
人を跪かせずにはおかない威圧感。
扇動するんじゃなくて、ただ崇められるだけの存在。もう下々など眼中にない、高みにある存在。
あまりの尊さにびっくりして涙腺大決壊。
ずっと跪いて聴いてた(物理ではなく精神)

首を垂れて道を譲れ、は無論素晴らしいんだけど、どう考えてもその後の「掻き乱せ、世界を」の低音の絹のようななめらかさと不穏さヤバい。

というわけで、ABYSSの途中から涙が止まらず、永久のあいだほぼ号泣していた。
あまりにも不審者だったのか、斜め前の女の子が何度もコイツ大丈夫か?って顔で振り返ってきた。わかるよ、永久は泣く曲じゃないよね。わたしもそう思う。

※なお、当日感動のあまりこういう感想になったが、1週間後くらいから「あれはナチュラルに間違えて旗持っただけかもしれんな」と思っている。
結果よければどっちでも良し!

SOCIAL VIRUS


最初のHatered that's growingは歌わないのかなと思ってたけど、今回ちゃんと歌ってくれたね。嬉しい。
そして、なんか、なんか、SOCIAL VIRUSからはぃどちゃんスイッチ入ってた!!
すっごい攻撃的な顔してて、ちょっと怖くて、めちゃくちゃ好きだった。ドキドキした。
SOCIAL VIRUS、中国ではやらなかったの…かな?情報ちゃんと追ってないけど。
永久よりもこっちのほうが、あの速いとこ(伝われ)とか少し離れてたのかな?感があった。
ただ、その全部がぴったり入ってる訳じゃないのを補って余りある勢いというか、迫力があった。
やっぱりこの曲は楽しい。

Midnight Celebration


そして、その勢いのまま突っ込んだミッセレ。
幕張、台北と、ひんやりと空気が冷えたような、亡霊みたいなミッセレが記憶に残っていたけれど、ソウルはまた違った。
どちらかというと、我々がよく知る空気感に近いミッセレだった。
幕張・台北は痛々しくて、心が痛くて、「おれはなぜミッセレなのに動けずにいるのだ…」とか思いながら、立ち尽くしていたけれど、今回は遠慮なく折り畳ませていただいた。
でも韓国、折り畳み民少なかった!折り畳む文化がないのかな?ヘドバン民もほとんどおらずだった。

血糊はあった。
ライティングのせいかもしれないけれど、今までよりも一段と暗いノワールレッドな血の色に見え、陶器のような白い肌に映えてとても綺麗だった。

ミッセレとしては、比較的慣れ親しんだ雰囲気で始まったものの、徐々に回転を速めて突き進み、最後に壊れるような歌だった。
最後のwhen I'm sadの激しさだけは、1週間後の今も記憶に残ってる。

LAST SONG


そして神戸以降のHYDE [INSIDE]LIVE 2024の白眉でありクライマックスというべきこの曲よ。
はーーーーーーーーーーーーー
ここでは忖度なしに書かせていただく。書かせて下さい。

ライトは血糊のない中国だけって言ったじゃん!!
ライトをガサゴソする間が嫌だからやらないって言ったじゃん!!

LAST SONGでライトやめてほしい100の理由

※LAST SONGでライトやめてほしい3つの理由※

以下では、LAST SONGでライトやめてほしいと願う理由を100個述べたいところ、ぐっと堪えて3個述べます。

① オーディエンス側から見る景色は美しくない。

ライトを振っている側には、ライトは見えない。
後ろを振り返れば多少見えるのかもしれないが、そんなことをする人間はいない。我々が観たいのはステージだからである。

では、ステージを観たい我々の目に、このとき何が映るか。
無数の揺れる他人のスマホ画面である。待ち受けだったり、いろんな写真だったり。
そして、誠に残念ながらSEOUL公演では、ごく間近でビデオ撮影を始めた手が2つ、ほかにも「あれ、録画画面だよな…」という画面がちらほら。
ぶっちゃけわたしは自分に実害ないなら、あんまりルールを守れ!とか言いたい方でもないので、別に盗撮しようがそれはいいんですよ。良くないけど。

しかし視界が美しくない!!むしろ醜い!!
醜いだけではなく、現実に見にくい。。。グスングスン
最近のスマホは(16pro maxにしたわたしが言えることじゃないけど)画面がそこそこデカいし、これを人によっては頭上より上の位置で大きく振るんである。
ステージを見たい人にとって、妨害物以外の何物でもない。

はぃどちゃんの側から見るときれいなのかもしれないよ?でも、はぃどちゃんが、ステージングとして観客に見せたい景色はこんな景色なの?
イヤだよォォオォォォォオオ
 
② 観客は曲に集中できない

端的に、目の前に多数のスマホ画面が蠢いており、しかも、動きがてんでバラバラだったり、録画してたり、愉快な待受だったり、可愛いネコチャンやレッサーパンダだったり、それが揺れるたびはぃどちゃんの顔に被ったり被らなかったりしたら……

 歌に集中できねぇんだよ!!!!!!!

ねぇ。わたし、神戸から台北まで、もうほんっとに心がズタズタに引き裂かれるような心地だった。あまりにも繊細で詩的なAメロ、夢見るように甘く羽ばたくサビ、世界が崩壊していくような場面転換、泣き叫ぶようなラスト。
飲み込まれすぎて、アンコール待ちの間ずっと涙が止まらなかった。
あの没入感を返して!!!!!!
チケ代3倍払うから返して下さい!!!!!

それに、はぃどちゃんの最初のAメロは、座り込んでて姿は見えなかったけれど素晴らしかったと思うの。磨りガラスみたいな声で大好きだった。
でも、立ち上がって1サビ、2番Aメロと続くところ…たしかに素晴らしかったんだけど、歌自体は素晴らしかったんだけど、わたしの大好きなThat's all I wantにも、who I amにも、ふつうに素晴らしい以上の、胸を打つ煌めきや情緒が、この日は感じられなかった…
わたしの気が散ってたせいかもしれないけど…
客席もぶっちゃけ、ライトを振ることによって緊張感を欠き、集中も欠いているところがあるから、はぃどちゃんのお歌の冴えも少しだけ鈍っていたのではないか、という気がする。
だって俺たちは鏡だもの。
台北の怯えたような目で客席を見るはぃどちゃんよ…あの輝かしい歌の煌めきよ…もう一度地上に舞い降りて…

③ 意外と曲に合わせるのが難しい

実際に見て初めて気づいたテクニカルな問題なんだけど、LAST SONGでスマホ振るリズム。これ案外難しい。
メトロノームみたいに一拍で振っちゃう人と、二拍で振る人が混在する。リハの時は、これにもっと自由に縦ノリ風に振る人まで近くにいてカオスだった。他方、録画組は振らないし。
こうなると、より客席側から見ると全く美しくもなんともない無秩序なわけです。

そして、素朴な疑問なんですけど、なんでこの曲でライト?
合わんやろ…合わんすぎる…
to shine like the stars aboveのstarsのイメージ?でもこの曲のstarsは揺れたりしない、届かない、遥かなる遠い空で輝いてるイメージなんだ。。

以下は純粋に私見ですけれども。
LAST SONGの曲としての素晴らしさは、色を失ったような現実(=AメロBメロ)と、唯一自由である彼の心が羽ばたく非現実(夢・妄想・願い=サビ)の対比だと思う。
現実を、はぃどは孤独・疎外感で表現することもあれば、猜疑心や不安で表現することもある。
サビも、叶わないことがわかっている願いであることもあれば、現実離れした夢のような浮遊感に彩られることもある。
この落差をね!!あの至高の歌声一つでね!!表現することこそが、はぃどちゃんにしかできない、はぃど芸術の白眉であり頂点だと思うわけ!!!!

人間の脳が得る情報は、80%が視覚に占められているという。つまり視覚に余計な情報が入れられると、簡単に聴覚は駆逐されてしまう。
あのスマホゆらゆらがあると、音楽だけなら実現し得たあの劇的な場面転換が、ずーっと一貫した風景・空気感に染められてしまうのである。
もったいないなんていう生優しい表現ではすみませんよ、もう!ぷんすこ!!!!

100歩譲ってアリーナならなくもない…アリーナなら客側からも星っぽく見えるし(めっちゃ嫌だけど)
あと富良野とかレントゲンツアー的なコンサートで、あんな激しい没入感はなく、哀しい子守唄みたいに歌うならなくもない(やっぱり合わない気もするけど)
でも箱ではやめてください…箱だけは嫌…後生ですから……
むしろ血糊がなくても暗闇で歌ってくれ…
真っ暗に一筋のスポットライトだけで歌ってくれ…
はぃどちゃんの至高の歌声だけに集中させてください…お願いします…お願いします…
(結局理由4つになった)

アンコール明け

PANDORA


いつもより腰が横にゆらゆらしてて、なんだそれは…なんだそれは…いいぞ…!と思った。
神戸以来、LAST SONGのダメージがデカすぎて、だいたいアンコール待〜PANDORAまで涙止まらん→INTERPLAYのはぃどちゃんのお尻見て涙がピタッと止まるのが定番でしたので、お気遣いありがとうございます(←?)と思った。
ただ、今回はLAST SONGのダメージが前述の理由により当社比3分の1以下でしたので、それがなくてもひさしぶりにまともにPANDORA聴いたかも。

GLOMOROUS SKY


最近たまに、どうもグラスカで泣いてしまう…。
今年になってからラルクのLINKで情緒がおかしくなる現象発生中なのだが、それに近い。
この、どこか刹那的な香りがする歌を歌っているはぃどちゃんを見ると、眩しすぎて、だけどそれが永遠ではなく、終わりがあるものだということを感じてしまうからかもしれない。
それに歌がもう2019年あたりと別物すぎるんよ…

まず言うまでもなく、あの歌い出しの、やわらかさと甘やかさを魅せつけるような声がいい。そこからの重く歪ませて落とすところがいい。

そして、語彙力がなさすぎるんだけども

「あの雲を払って 君の未来照らしたい
 この夢を抱えて 一人歩くよGLORIOUS DAYS」

とかさ…なんかいちいち…情緒…?一語一語に、丁寧に込められた、心?魂?

小林秀雄のゴッホに関する文章に、たしか、売れない蝦の絵について「絵を描いたとき、君は魂の一切れを(絵に)入れたのだ」というのがあって、ひどく胸打たれた記憶があるのだけれど。
最近のはぃどちゃんのお歌はほんとこれ。
泣かせるはずの歌ではなくても、ほんの一節の、声の丁寧さ、輝きのある声のふくらみや、語尾に滲む切なさから、そこに込められた「魂の一切れ」を感じられる。

これだけの本数をやって、これだけの過密で過酷なスケジュールで、寒暖差も移動も、体調不良まであったらしいのに。

以前はこんなじゃなかった。2019年とか…自分でも歌が不安定だったって言ってたけど、不安定というよりも、今に比べると「自分の歌を大切にしてくれていなかった」という印象が強い。
海外疲れもあったのか、特に国内では手拍子・モッシュ・ダイブなどのわかりやすい反応を求める印象だったし、最前の観客と絡んでは、歌を飛ばしまくってた。はぃどちゃんと絡みたい、歌よりも人が好きなタイプのファンにはそっちの方が嬉しかったのだろうけれど(※私の友達にもこのタイプはいるし、好きの形は様々で決して否定するつもりはありません)、音楽が、歌が聴きたい私には暗黒の時代だった。

今は、全曲の一つ一つの声に、「魂の一切れ」が込められているのを感じます。
絶対に疲れているだろうし、風邪もひいてたらしいし、たとえ歌に響かなくても確実に体力は削られていたはず。なのに、こんなにも全曲が全力で素晴らしい。
私たち観客にとっては一期一会のライブでも、はぃどちゃんにとって、ライブは仕事で、日常だ。
その日常の仕事の一つ一つを、限られた時間と体力のなかで、これほどのクオリティ、ここまで心がこもったものに仕上げるのは、どれほど尋常じゃない努力・精神力を要することだろうか。
特別なときに、特別な力を発揮することは、ある程度誰にでもできることだ。だけど、その人にとってそれが日常のありふれた場面であればあるほど、その時、その質を維持できるかどうかが、真価を問われると思う。
はぃどちゃんの真価がエグいクオリティに達している。
レントゲンツアーあたりで、はぃどちゃんが歌と表現に覚醒した感あって、UNDERGROUNDで革命が起きているのを感じた。
そして、いよいよここに来て歌声黄金期が訪れ始めている気がする。ほんとうにありがとう。

今年最後のはぃどちゃんだったけれど、ほんとうにソウルまで行ってよかった。魂の込められたお歌をありがとうございました。幸せでした。