人生何があるかわからない
あなたの人生において大事なことってなんですか?
私にとっては、母に親孝行することでした。厳しいところもある母でしたが、一緒にゲームをして遊んだり、海ではしゃいでいたり、子供の目線も持っている素敵な母でした。
母は銀行員として働いている時に父と出会い、寿退職をして、私を産みました。その後弟も生まれたましたが、父からもらった生活費の中でやりくりするため、私と弟にはお弁当屋さんの美味しいお弁当、母はおにぎりだけなんてこともありました。あまりメイクもせず、服も買わず、そうして浮いたお金を私たち名義の口座を作って、そこに貯めておいてくれていました。
小さい頃の私は、そんな母を幼いながらに尊敬していて、幼稚園や学校であったことを全て母に話すのが日課でしたが、中学生になって思春期に入り、母との会話も減っていきました。
高校生になると、将来の夢や進路について考える機会が増えてきます。その中で私が思ったのは、父や母と同じ銀行員になって、母と同じように寿退社して、親孝行をしたいということでした。私の中で1番大切だったのは、両親、特に母に誇りに思ってもらえるような人になることでした。そのために勉強も運動も努力し、進学クラスに入っていい大学に入ろうと考えていました。
ところが、高校生3年生の冬、母は亡くなりました。父の浮気によって精神的に不安定になり、そのまま体調も崩して亡くなってしまいました。
その時私が思ったのは、「ああ、これでもう恩返しも親孝行もできないのか…」ということでした。もちろん母にもう会えないという悲しみや後悔の念もありましたが、それと同時に、親孝行できないということにとてもショックを受けました。あんなに愛してくれて、一生懸命ここまで育ててくれたのに、と。
それからの私は特に目標もなく、とりあえず大学に進学しました。本当は母の影響で動物が大好きだったので、動物の専門学校に行きたかったのですが、それなりに成績が良かったこともあって、先生や父に諭され、専門学校は断念しました。在学中はこれまで通り成績はキープしつつ、アルバイトで貯めたお金で海外旅行に行くなど、人生経験を豊かにすることを目標にした大学生活でした。
そして大学3年制の冬、母方の祖母に会いに行ったときのことでした。進路の話をしていると、祖母が改まった様子で言いました。
「お母さんは亡くなったけど、やりたいことがあるなら、お父さんに言って何でもやらせてもらいなね。あなたは今までわがままも言わずに頑張ってきたんだから、我慢なんてせんでいいんよ。お母さんも、あなたたち子供が幸せになることを最後まで願ってたけんね」
その言葉で、「自分のしたいことをしていいんだ」と視界が広がったような気持ちになりました。母が望んでくれていたのなら、精一杯生きて悔いのない人生を送ろう。そしていつか天国で母に会えたら、「こんなに楽しい人生だった!」と報告できるような人生にしたいと、初めて前向きに思えました。
これが私のエンジンがかかった瞬間でした。
そこからの私は、何の迷いもなく、ノンストップで進みました。飼育員になるために実績のあるしっかりした学校を調べ、父に相談して了承をもらい、東京の学校へと進学。在学中は毎日学校の飼育室に通いながら、気になる動物施設に片っ端から研修にいきました。その中で気に入ってもらえた動物園に就職。激務やパワハラに耐えながらも、動物と向き合い、多くの経験を積むことができ、生涯の伴侶ともこの職場で出会いました。今は2人で退職し、動物たちと田舎暮らしをしていて、とても充実しています。。
母が亡くなっていなければ、祖母の言葉がなければ、確実に今の私はいません。
母が亡くなった時はこんな未来が待っているなんて思いもしませんでした。
本当に、人生何があるかわからない。