日本のサーフスキーの近代史
近代サーフカルチャーの誕生
海辺の街、そして歴史の街、鎌倉。ここでは古くから漁ろうや海上交易が盛んで、海岸沿いには今でも古い漁師の系譜を持つ家柄がいくつも暮らしています。
戦後、近くの横須賀港に駐留し始めた軍人の中には、ハワイやカリフォルニアの出身者も多くいました。サーフボードを持ち込んだ彼らは、波乗りが楽しめる鎌倉のビーチブレイクを発見し、頻繁に訪れる様になります。
波乗りの伝統、海あそびのメッカ
元々、鎌倉の海辺の子供達は、板子乗りという波乗り遊びを嗜んでいました。サーフィンがすぐに鎌倉に定着したのは、必然であったわけです。以降、譲り受けたサーフボードを研究し、作り方を身につけた地元の若者は、やがて日本のサーフィン産業の礎となっていきます。
その後も、ウィンドサーフィン(ボードセーリング)、アウトリガーカヌー、SUP、、、あらゆるサーフスポーツが登場する度に、最初に遊びが普及するのは、いつでも鎌倉。サーフスキーも、その一つでした。
サーフスキーの登場
1980年代中盤、鎌倉の海水浴場で安全管理に携わる市の監視員たちは、アメリカのLIFEGUARD、そしてオーストラリアのLIFESAVERのシステムから、ツールや方法論を学び取り、活用に努めていました。その過程で、専用にデザインされたレスキューボードを導入することとし、サーフスキーも一緒に鎌倉へ持ち込まれたのです。
初登場したサーフスキーは、エリートパドラー向けのレーシングモデル。乗りこなせるメンバもおらず、ライフセービング競技の一種目に留まり、愛好家も増えないままでした。
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