「相手にする価値」
先月あった#これフェミ騒動について、私は下記の記事を書いた。
これフェミ騒動から半月いや、三週間後ぐらいだろうか、青識亜論さんの過去について、下記のツイートを目にした。
青識亜論さんの過去については今まで興味が無かったが
このツイートで上げられている画像を見て、「こういう人だったんだな」感が強くなった。
2019年よりも10年~11年前の時点での彼の思想なので、今はどう変わっているかは定かではないが、2008年~2009年頃は右翼思想バリバリで「差別も危険思想も肯定されるべき」という思想だった様だ。
今で言えば「ヘイトスピーチも表現の自由の範囲内なので規制すべきではない」とでもなるのだろうか。
まあ、こういう思想を持っている人がフェミと議論(討論?)した所でそりゃあ、何も進展しないでしょうよ。
だって、「差別を無くすためには「差別する自由(権利)」を世の中に浸透させるべき」「全ての人間が全ての人間を自由に差別出来る世界を作れば、それは差別の無い世界と同じになる」って差別を助長してるんだもん。
先鋭化したネット論客の考えそうな思想で、「現実ではその論は通じませんよ」で終わってしまう話。現実的な物の見方をする人から見れば相手にする価値が無い。
フェミ側から相手にされなくなって焦っているのか、青識亜論さんはツイキャス等を使って討論を行おうとしているらしい。
本人は「討論のハードルを下げたつもり」らしいが、討論のハードルの問題ではなく、彼の中で拗(こじ)れてしまっている「先鋭化したネット論客に良くある思想」が治らない限り、彼は「討論に値しない相手」という地位を盤石な物にしていくだけだろう。
後、こういう所も拗らせたネット論客ならあるあるなんだろうなと思った。
普通とか一般的とかいう言葉は好きではないが、普通の人はそんなサブアカウントを作ろうなんて思わないだろうし、「その程度はお互いやっているものだと思っていた」という「多分相手もやっているだろうからやっても良いだろう」系の発想が出てくる所に人としての品位が無さ過ぎて相手にする価値が無いと言わざるを得ない。