自由の女神

いじめ問題に対する春名風花さん(はるかぜちゃん)の主張の"不気味さ"

春名風花というマルチタレントがいる。

その時々に引き受けている仕事に応じて「舞台俳優」を名乗ったり「声優」を名乗ったり「女優」を名乗ったりしており、本業が「舞台俳優」なのか「声優」なのか「女優」なのかが定かではないため、当ノートではマルチタレントと評しておく。

春名風花さんはTwitter上では、はるかぜちゃんという通り名で呼ばれており、政治問題・社会問題等に対して本人の考えをツイートしている。

時折、それらの政治問題・社会問題に対するツイートが話題になっている。

その理由は、春名風花さんの年齢がまだ18歳(※2019年10月現在)という所にある。

春名風花さんに送られる賛辞の大半は

「18歳でこんなに世の中の事について考えているのは偉いねえ」

「18歳でこれだけ深く考えられるなんて凄いねえ」

等だ。

だが、春名風花さんの述べている意見・主張に対しては勿論反対意見等も出て来る。

そうした反対意見をした人に対してはよく

「相手はまだ18歳なんだぞ?子供が大人にこんなに言い返して大人気ないと思わないのか?」

等という批判が発生する。

本人にその意図や自覚が有るか無いかは定かではないが、結果として年齢を武器にして世の中に物申すマルチタレントとなっている。

18歳を子供と見るか大人と見るかは人それぞれだが、本記事では、春名風花さんを一人の大人として見た上で春名風花さんの主張に対して感じる不気味さを語ろうと思う。

春名風花さんがライフワークの一つとして向き合い続けているのが「いじめ問題」だ。

先日、春名風花さんは足立区のある中学校で「いじめ問題」について語る出張授業をしたそうだ。

春名風花さん本人が、そのいじめ授業で話した内容をnoteにまとめていた。出張授業 いじめの「あたりまえ」を考える90分

春名風花さんは、Twitterを始めた頃からずっと「いじめ問題」に関して語り、その内容は新聞記事等にもなっている。

先日、こんなまとめを読んだ。

『自分をいじめている人が「いじめについて考える作文」で表彰された』という話

このまとめには前段として

「人をいじめる人ほど絆やら友情という言葉を口に出すのって何故?」に対する答え/「人をイジメる事が出来る人ほど社会性が高い」という話

という内容が存在する。

人をイジメる事が出来る人ほど、人間関係を形成し、円滑に維持するための社会生活を送る上で欠かせない特質が高い、社会性が高いと言うのは言い換えれば、即ち周囲の状況を読み取りその場その場で適応する能力が高いという事。

それは、その場で望まれている行動を取る能力に長けていると言い換える事が出来る。社会性が高いからこそ「いじめっ子」ほど、大人の望む内容の作文を書く能力に長ける傾向があるという話だ。

その意味で言えば、これまで「いじめ問題」に関して春名風花さんが語って来た主張・意見は大人に望まれた内容だからこそ称賛されたのだろう。

「いじめ問題」に対する春名風花さんの主張・意見は、いじめっ子の書いた「いじめについて考える作文」だからこそ、大人受けが良く、出張授業等の依頼が来てもおかしくない。そして、春名風花さん自身「いじめ問題」について真剣に考えていないからこそ、そういった出張授業の依頼に安易に首を縦に振る事が出来ているのだろう。

春名風花さんはこれまでTwitterで、その点に対して指摘される度に「私はこれまで一度もだれかをいじめた事は有りません」という主旨の答えを述べ続けてきている。

だが、上記の出張授業で春名風花さんが述べている事は「春名風花さんはいじめっ子である」という前提が無ければ成立しない内容となっている。

「無理して学校に行かなくて良いんだよ」というメッセージが溢れます。一見優しい言葉に見えますし、緊急対応としても間違いではありません。でも、学校に行かなくてもいいんだよと言うメッセージは、本来、いじめている側にかけるべき言葉ではないでしょうか。

「学校に行かなくてもいいんだよと言うメッセージは、本来、いじめている側にかけるべき」という主張は、どれだけ取り繕った所で「排除」の主張だ。

いじめとは、他者を「排除」しようとする事から始まる。

この言葉をかけた時点で、春名風花さんは他者の「排除」即ち、「いじめ」を容認した事になる。

何の疑問もなく本人が「学校に行かなくて良いのはいじめている側」と思っているなら、春名風花さん自身が「いじめている側をいじめる存在」即ち「いじめっ子」になっている

おそらく、この点を指摘したとしても春名風花さんは決して自分が「いじめっ子」になっている事を認めないだろう。認めてしまえば、春名風花さんが「いじめ問題」に対して現在持っている意見・主張が、春名風花さん自身に降りかかり、これまでの春名風花さんの意見・主張を全否定する事になる。

例えば、「でも、いじめている側なんだから(学校に行かせなくて良い)」といってしまえば、それは「いじめている側に原因があればいじめて良い」を春名風花さん自身が容認した事になる。

この様に、出張授業で春名風花さんが語っている内容は、

①春名風花さんが「いじめっ子」になっている事

②春名風花さん自身が「自分がいじめっ子である事を決して認めない」事

の二つの条件を満たしていなければ成立しないという矛盾を孕んでいる。

いじめっ子が書いた「いじめについて考える作文」が市や県の「いじめについて考える作文コンクール」で表彰されるという事は少なからずある。書いた本人にいじめられていた側から見れば、そういう表彰は気分が悪いと言わざるを得ない。

「いじめ問題」に対する春名風花さんの主張に「さすがはるかぜちゃん、良い事を言う」等の称賛のコメントがついている事が多々ある。「学校に行かなくてもいいんだよと言うメッセージは、本来、いじめている側にかけるべき」という主張に対してもそういうコメントが多数ついていた。

その光景に、私は「いじめについて考える作文」コンクールで表彰されているいじめっ子を称賛する周囲の人達と同種の不気味さを感じずにはいられなかった。

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