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非日常と日常のあいだで 

2022年から続く私の舞台熱がピークを迎えた
2023年1月。
市川團十郎襲名記念プログラムSANEMORI
宮舘担なら心待ちにしていた瞬間。義仲の若さ、義賢の無念、瀬尾の悔恨の情に実盛の覚悟。どの幕も見応え充分、繰り返し観劇しては反芻する日々であった。

ある日、劇評と歌舞伎界の環境論を巡って「歌舞伎座」のワードがトレンドになった。
今やジャニーズも歌舞伎も岐路に立たされいると感じながらも歌舞伎俳優やアイドルに興じている私、記事を目にしたとき、「これは反発あるな」と直感したとおり、TLには案の定、行間を想像せず、切り取って「この表現は」「この考えは」とお気持ち表明が流れてきた。
評価の中には伝統に対して耳が痛いものも出てくるだろうが、それは自由に論じていいはずだと思うのだけれど。

・多様性への共感に対する寛容または不寛容さ
・他下げへの過度な反応
・最近はやりの「ホンシツ」

などのTwitterランド内に限らず、自分たちが守りたい景色を乱すものは理論めいたお気持ちで対抗するのもそれこそ見慣れた風景。ここは未来に伝統を繋ぐ舞台に集う多様性の1つということで散文お許し願いたい。

歌舞伎は年に何度か観るけれど、個人の感想として、外部頼みや新作がいいわけじゃなく、古典の良さをどう傾いて魅せるのかは一座を預かる主の思考であっていい、團十郎丈の挑戦には伝統を繫ぐということも意識されているのではないか、と私は思っている。
座長の信念に身を委ねて見ようと公演をずっと待ち望んでいたからに他ならないのも要因の1つ。
もちろん、学がある、目の肥えた方から見れば「何言ってるの」だろうけど、何でそう見えるのかというと、團十郎丈は公演前の記者発表会見でも継承を重んじることを語っているし、数々の雑誌で特集を組まれた宮舘涼太自身が客演としての在り方、和の文化に対しての決意に触れているからだ。

ともすれば、成田屋さん、新之助時代から多数の下げ評価と、贔屓目がマーブル模様のよう。でも、ホントはどうだろう?
團十郎丈自身、幹部俳優を下げるわけでも先輩を軽んじる訳でもなく、伝統文化を繋ぐための一興として自らを切り拓く道を選んでいるように見える。
だからこそのABKAIだったと推察しているし、今を生きる役者であり傾きもの。スーパー歌舞伎だって上方歌舞伎だってなんだって、携わる人みんな自分たちのフィールドで踏ん張ってくださってる。だからあの記事を読んだ(だけでは)歌舞伎座の空席を責めるだけとは私自身は読めなかったので引用リツイートした。
逆に、中央区の敬老会のような補助金や助成金に頼って歌舞伎座が公に甘んじれば、演者の芸に安定を求め、一部の精鋭化したヒトたちの既得権益、それこそ文化の衰退だ。ジャニーズカウコンで言うところのいつも同じ曲。歌舞伎だってそればかりじゃ客も演者も窮屈なんじゃないかな。だって、阿ったところで韓国のように芸能を国家事業としてやる覚悟は日本にはないんだから。演者が好きな道を見せられるよう、ハードを再考してみては?という提案だったのかもしれない、あの記事は。たぶん。

文化は消費財じゃないと思いたい気持ちがコンサバティブになって新しい発想を異端視して排除するのは、アナログレコードがCDに変わり、今やサブスクリプションで手に入れられる音楽が、一部で造り手や一部論壇で反発されていた時代を思い起こす。実はジャニーズもその思想が色濃い側と理解しているんだけど。

外部の人間を歌舞伎座に、とは私も思わない。
ただ、当たりの興行は複合的に理由があるはず。
今回のSANEMORIで言えば、イヤホンガイドとSNSコミュニティでの演者やファン同士の交流と演目の予習、見る側が演者演目を楽しみたいという欲求がチケット完売というプラスに働いた。加えて、宮舘くん始め外部演者と一座に集う歌舞伎俳優が襲名記念を心から祝い、その期待に応えたいとした相乗効果の賜物。ジャニーズファン、とりわけ宮舘担は赤のコスプレで度肝抜くのはほんのわずか、彼が大切に思う和の世界を邪魔してはならぬとお行儀がいい人たちが大半。だから自分たちで出来る最大限の予習をして観劇する。Jr時代を経て自ら目指すべき道のスタートラインに立った宮舘くんとファンの魂の交流がそこにはあったのだと思いたい。
お仲間の観劇で劇を見ない、ゴリゴリの古典パートを抜け出したのも一部。というくらい、宮舘担は発表時から今まで歌舞伎という環境を守ってくださった全ての方を敬う思いと興行の成功を願い、そこに集う皆を気遣っていたから、そこで揚げ足を取っている(とられた)のは逆に失礼な話、ということは声を大にして言っておこう。

演者も新規歌舞伎ファンも日々切磋琢磨していく。古典を大切に思う気持ちは携わる皆が自分達の立場で考えてる。そこに集う方法や気持ちに優劣や正否のような色をつけようとするから既得権益化してしまうのではないか。
守るべきもの、受け継ぐもの、ジャニーズも想像の域だが主流半主流をうまく混ぜながらここまで来た。蛇足ながら、KPOPはジャニーズの模倣と思っているところへ、滝沢秀明氏はそのANSERとしてSnow Man、Travis Japanを世に放ってジャニーズを去ったと思っている。KING&PRINCEの解散劇然り、既得権益こそが伝統承継を阻害する一因ではないかと思える。

だからこそ排除ではなく寛容さが大切だと思う、日常なんだ。

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