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これからもおきばりやす。1981年組の渋谷すばると、関ジャニ∞。


ここ3日間、関ジャニと渋谷すばるのことを思い出しては、毎日少しばかり涙している。

関ジャニ∞から渋谷すばるが脱退するという事務所からのお知らせを知ったのはツイッターだった。日曜の昼前、電車に乗ってすぐそのファンクラブからの文字ベースでのお知らせを見た途端、なぜか涙が溢れてきて、一体この涙はなんだろうか、と。自分のことを「エイター」とは名乗れない程度の普通のお茶の間ファンだと思っていたので、電車の中で泣きながらも、ちょっと自分で感情がつかみきれず困惑した。ちょうど、自分が今後の仕事の仕方をひとり悶々と考えていた朝でもあったので、渋谷すばるの決断に背中を押されたからかな、とも思った。でもそれよりは、もうちょっとショックが大きく深いようにも感じた。3日経ってなんとなくつかめてきたものを、以下ずらっと書き連ねている。いろいろ書いているなかで「渋谷すばる」の表記に揺らぎがありますが、そこはあえてそのまま流し読んでいただければ、幸いです。


まず、これまでの関ジャニ∞を、渋谷すばるを、見てきていた人々にとっては「ファンのみなさんも辛いとは思いますが、ぜひ渋谷さんの背中を押してやりましょう」なんてテレビのワイドショーでコメンテーターに言われなくたってそんなこと十二分にわかっているがな、ということだよな、と。

渋谷が音楽への情熱を高く持っているということは、ファン(=エイター)なら誰でも重々承知しているわけで、脱退の発表は、ああ一番来てほしくない日が来てしまった、ということでしかなかったと思う。会見での横山くんのコメントそのものだ。今回の脱退は、ある意味、寝耳に水でもなんでもないとすら思う。

むしろ、そうやって音楽的な中枢を担う渋谷すばるが関ジャニをここまで率いていることは奇跡のように尊く、もちろんみんなもういい大人、すばる以外だってそれぞれにやりたいことはあれど、それをなんとかグループの活動形式のなかで夢として結束させていき、全員の夢としてともに実現させていこうという気概にこそ、ファンは付いてきていたのだろうから。ああ、でもそうか。ついにそういう決断をしてしまったのか…と。これまでもずっとこの夢が続いていけばという淡い期待は現実によりかき消され、またこれからの希望と現実に立ち向かう狭間のような時間が、今である。

1981年生まれ、乙女座O型の渋谷すばる。ものすごく個人的な話だが自分も81年組の乙女座O型で、誕生日がとても近い俳優の斉藤工氏と同様、彼は私が勝手にすごく興味を持って観つづけてきた表現者のひとりです。

そして誕生日より何より、ジャニーズJr.全盛期からのこの20年ほどの長きに渡り、ともに生きてきたという勝手な同志感。まちがいなくジャニーズJr.という存在の先頭をきって走り続けてきた彼、渋谷すばるだったからこそ、今回の脱退の一報には「(絶句)……そうか、でも本当におつかれさま」としか発することができないような気持ちはもちろんのこと、既にこれだけの国民的認知を得たグループで確固たるポジションを得ている人ですら、夢をまだ追いかけ高みのために学びたいと、現状に終止符を打ってまで次を求めるのだ、ということへの同い年としての尊敬と刺激とを同時に感じており、なんだかもう全く気持ちが落ち着かないままだ。

本当に、途轍もない決断だと思う。かつて90年代後半にティーンだったジャニーズJr.の面々、今では嵐、関ジャニ∞、KAT-TUN、NEWSなどで活躍するメンバーはもちろん、ソロで俳優として頭角を現した風間俊介や生田斗真という存在もあるし、それと同時に芸能界からは身を引いた面々も多くいる。そういう「ジュニア」という男子集団のトップランナーだったのが、タッキーであり、すばるだったなあ、と思い起こされ、女子校時代の楽しいジャニーズ応援生活を振り返ることにもなった(まだ世に「ジャニヲタ」という言葉は存在していなかった当時のことだ)。彼らは、私たちが十代だった頃の夢を確かに鮮明に描いてきてくれた存在だったし、その苦労もずっと見てきた。

と同時に、個人的にエアジャム世代の直下でオルタナティブロックに強く影響を受けてきた身として、テレビ番組「関ジャム完全燃SHOW」のなかで彼が見せる表情にはいつもぐっとくるものがあり、言葉は少ないながらも明らかに、兼ねてから大好きだった音楽のど真ん中を突くあの番組で、そこに登場するミュージシャンの話にも影響を直接的に受けまくり、セッションでも刺激をど直球に感じているすばるが今回のような決断をすることには、まあどこまでも、納得しかない(ユニコーンが出てきて即興で曲をつくった回なんかはね、エイトの全員にとっても、まあ視聴者にとっても、とんでもないことになっていたのは明らかだけれども)。

オリジナル楽曲も書いてきている渋谷すばるは、これから先も自分が創作をし続けるにあたり、もっともっとインプットがもっと必要だとひしひし感じていただろう。そしてそれはもしかすると「めちゃくちゃ売れるものを作りたい」というような願望ではないのかもしれない。それよりは「たしかに自分の核ってこれなんだ」と認識していつでも立ち返っていけるような、パンクロックが追求し続けている手応えのような何かをもっと大切にして、もっともっとただ感じ取り表現したいのかもしれない。

「海外で音楽の勉強をするため」という発言だけをかいつまめば、ニッポンのショウビズから世界のショウビズへ、というような捉え方ももちろんあるかもしれないけれど、彼が求め描いているビジョンは、もっともっとプリミティブな音楽の感動のような気がするわけで。

これまですべての青春をジャニーズとして駆け抜けてきたからこその、もうひとつの確かな青春を求めて、渋谷すばるはこの先の道を、また拓いていくんだな。「人間としての賞味期限」という概念が極めて希薄になる、大ライフシフト時代の訪れを本格的に感じさせられるような、彼の決断だ。彼は会見で「人生の半分」と表現していたけれど、ここで何かを手放し、殻を破れるかどうかで、じつはここまでの人生が半分どころか、4分の1くらいに過ぎなかった、と感じることもできるような濃密さへの舵を切れるかもしれないのだ。いま持っているものを手放してみるということ。これからの時代、第二、第三の人生は常に個人が、自分自身で決めていく必要がある。というか、いつからだって、何だってできる。誰もが、自分で決めていっていいのだ。でも一方、どんなにライフシフトの時代といったって、誰だって明日突然死ぬかもしれない。私が今でも悔やまれるのは、昨年、自分が関ジャニのライブに誘ってもらったけれど予定が合わず、結果として関ジャニ∞としての渋谷すばるの最後の姿を見られなかったことだ。「バンド」に永遠なんてないってことはこれまでにも何度も何度も解散やメンバーの脱退を経験して誰よりもわかっているつもりだったのに。結局はジャニーズだからってやっぱり、油断していたんだ。そして同時に“いつか”は自分で動かなければ、永遠にやってこないということも、ひしひしと、突きつけられるのだった。

「自分で自分の殻を破る」というのは簡単に使われがちな表現でもあるものの、同世代の人間からしたら、実際まったくもって容易なことではないなんてことは、もう本当に痛ましいほどにわかる。トップの座から、さらに次を目指すために現状を終わらせることの恐怖は、経営者でもない限りなかなか味わえないようなレベルのものだとすら思う。それを、自分と同い年36歳の大の人気者、アイドルであったひとりとメンバー6人が決断をした。それを見せつけられて、現在個人事業主である自分が、何も駆られないわけもない。

ジャニーズにいながらにしてアメリカへ音楽を学びに行けるかもしれなかったが、それが叶わなかったという経験を持つ渋谷の過去の状況やそれ以降の思い。それは、2001年の同時多発テロを短期留学時に海外で知り、以降に長い留学を諦めた自分としても、またよくわかる。一度や二度では足りないくらい、何度も自らの目の前で扉が閉ざされていった体験をもとに、ここからは何度でも、閉じたままにしていた扉をまた自分の足で開けに行こう、と思わされる。

それにしても、関ジャニ∞が6人でやっていくという決断は、とても嬉しかった。本当に素敵な仲間たちなのだ。もしかすると今回の決断は、解散よりも難しいことだとすら思う。

個人の決断と、それを受けての組織の決断。各所で既に言われている通り、メンバー全員揃って(安田くんいられなかったのは本当に惜しまれるけれど)会見をして決断をしっかり発表するということ自体が、とても新しい波であり。昨年解散に至った先輩陣と比べれば、昭和に構築されてきたこの業界の闇とでもいうべき部分の背負い方の差は歴然としているし、つまりとても現代的なショウビズの形への第一歩なのではないか、とも思えた。

どんどん息の長くなる、ニッポンのアイドルという商売。他人の夢を生きるだけのアイドル時代の終焉。そしてその先の道をしっかりとこれからも作り続ける、と決めたこれからの関ジャニ∞のメンバー達。バブルを知らない世代だからこその刹那性の無さが、本当に頼もしくて、ますます好きにならずにはいられない。

バンドも解散しなくなる時代。ここ20年くらいは、とにかく皆がきちんと続ける、という時代になってきていて、そういう状況を見てか、かつて80年代から90年代にかけてのある種の刹那的なバンドブーム時代を担ったような人々もたくさん再結成している。

そんな時に、すばるの旅立ちを祝福するかのようにほぼ時を同じくして(会見の前夜)に発表された健くん(Ken Yokoyama)、The Birthday、クロマニヨンズの3バンドによるこの夏のトリプルツアー。私たちはどうしたって、この世代なのだ。かっこいいと思うものが、こういう人たちなのです。オルタナティブで、自分たちなりのパンクロック精神を貫いている年上のかっこいいバンドがたくさんいる。それは生田斗真くんが今もこういうバンドのライブに通い続けているのも同様。斗真くんと一緒に、すばるがこのツアーで3者を観れたらいいなあとすら願っている。


そ、そんなこんなで。2018年の日本にいる36歳が、何を思い、生きているのか。

ちょうどドレスコーズの志磨さんが米国のドラマ「THIS IS US 36歳、これから」について語っているインタビューも昨日公開されていたりしたし、自分がローリングストーン誌で同世代たちに話を聞きに行ったシリーズも、この世代のことを辿りたかったのだ。それでいうと、関ジャニ∞の渋谷、村上、横山3人はいつかこういう話を聞いてみたい人たちの筆頭でもあったから、それだけはなんとも悔やまれていたりもする。けれど、きっとまたいつか、何かの機会があってくれればいいなあと願うことくらいしか、今はできない。NHKで3人がやっていた「応援ドキュメント 明日はどっちだ」とか、既に懐かしいですね。私はこの3人を本当に勝手に仲間のように思ってきて、大好きだったので。

うちの父ですら「こいつはいいよな〜」とよく言っている渋谷すばるの歌声(私のテレビっ子は、完全にこの父親譲りである)が、関ジャニのものとして聞けなくなることはやはりどう考えても哀しいし辛いのだが、彼の同性からの信頼の厚さも含め、これからに期待しかない。また超個人的には、女性目線の歌詞を歌うすばるくんがとてもいいなあと思ってきていたし、彼の声の特徴を活かした、日本独特の歌謡曲や演歌の唄をさらに昇華させたようなブルースを、いつか聴かせてほしいなと思う。

まあ、会見の映像は、さすがに涙なしには見れなかった。清濁飲み込んで、アイドル or バンドという二項対立(本当はそんなもの存在しないってことは、私たちの世代が一番よくわかっている)の狭間での葛藤も、すべてをあの限られた時間内の態度に込め、しかし最終的にとても清々しく1名の送り出しを全員でしたこれからの関ジャニ∞と渋谷すばるに幸あれ、としか言いようがない。

ここ3日間、ずっと頭のなかでは「今」と「好きやねん大阪」と「ズッコケ男道」、そして何より「無責任ヒーロー」が交互に回っている。特に、昨年発表されたアルバム「ジャム」に収録されているリード曲「今」は、ニセアキラこと星野源の提供曲であり、同世代の源さんが書いた詞は大人が歌うからこその“今、この時”に常に何かを選び取り生きていくことの切実さがあるし、あまりにもすばるの送り出しソングとして完璧すぎるじゃないか。また、不謹慎にも、「無責任ヒーロー」はすばるくんにはまりすぎるじゃないか、と。誰もが思っていることでしょう。

もうこうなったら最後に「無責任ヒーロー」をスカパラとともにすばるくんがひとりで歌って、「今」をもちろん全員で歌い、全部涙と笑いとで爽快に飛ばして終わる、くらいのことは関ジャム完全燃SHOWでやってくれたりしないのだろうか。そこは絶対的に、スカパラ兄さんたちの胸を借りればいいんだと思うのです。あらゆる周年や、出会いや別れの現場請負人(後見人)としてのスカパラの存在感が、まさかここでも発揮されようとは!!なんて。最後の最後への想いは募るばかりだが。スカパラコラボの「無責任ヒーロー」本当に楽しみにしていますから。

所謂「エイター」の想いにどの程度たどり着けているかはまったくわからないけれど、なぜか泣ける上に奮い立たせられる出来事だったので、自分なりに書いておきました。

メイン画像に置いたのは、2007年「ズッコケ男道」のジャケット。あらためてみんな、本当に大人のええ男になりました。これからもずっと、応援していきます。そして錦戸亮ちゃん、ここからさらに、きばってこーぜ!!

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