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デートが楽しみすぎて寝られないつるやち

ということでした。pixivには他にも短編書いてその時にまとめて投稿しようかなと思いました(精神の安寧のため)


 チク、タク、チク、タク。静まり返った部屋にデジタルアナログ時計の電子秒針音が響く。カーテン越しに差し込む月明かりが「最強」と毛筆された掛け軸を照らす。草木も眠る丑三つ時。人々は夢の世界へと旅立ち、太陽が朝を告げるまで戻ってくることはない。

 だが、未だ夢への入場券を得られぬ、または許されぬ者もいる。この部屋の主もその一人だった。彼女の場合は前者であり、布団に横になってから既に数時間が経過していた。

 どこからかフクロウの鳴き声が聞こえてきた頃、ガバリ、と少女はバネ仕掛けめいて勢いよく上体を起こした。下ろされた茶色の長髪がブワリと舞い、彼女の頬に貼り付いた。

「寝れない……!」

 少女の……鶴乃の見開かれた目は入場券を未だ購入できていない苦難をありありと現している。

「……んー!」

 鶴乃は再び勢いよく布団に倒れこみ、固く目を閉じた。眠るためのこの試みは、既に10回を超えている。

「寝れない!」

 その度、結局再び上体を起こして眠りに落ちないことを嘆いている。

 普段の鶴乃であれば、横になって10秒もすれば寝息を立て始めていただろう。それだけに、これは異常事態だった。父親がこの光景を目の当たりにすれば、病気を疑い病院へと強制的に連行されることだろう。だが、今日の彼女には眠れないだけの理由があった。

 今度の鶴乃はゆっくりと横になった。その目は開かれたままだが、どこを見ているようでもなく虚ろである。

「デート、かぁ」

 鶴乃はぽつりと呟いた。デート。誰の? 由比鶴乃と、七海やちよのである。

 二人が紆余曲折を経て付き合い始めてから数週間が経った。付き合う前と後で何かが劇的に変わることはなく、そもそも魔女退治にウワサ探し、学校に仕事とただでさえ暇のない彼女たちは、中々二人きりになる機会を得られずにいた。

 しかし明日……正確には今日……仕事やパトロールのローテーションがうまく噛み合い、ついに二人同時に予定が空いた。この千載一遇の好機を逃すわけにいかなかった鶴乃は、それに気付くとすぐさまやちよにデートを申しこんだ。鳩が豆鉄砲を食ったような表情をした後、頬を染めて頷いたやちよの表情は鶴乃のニューロンに焼き付いている。

 そしてこれこそが、鶴乃が眠れない原因だった。楽しみすぎるのだ。付き合い始めてからの初めてのデートである。どこを回ろうか、やちよはどこに行けば楽しいか……際限なく考えてしまい、ニューロンが休まる暇が少しもない。答えのない問いであるため、その気になれば翌朝まで考え続けていられるだろう。

「……わかった!」

 鶴乃は再びガバリと起き上がり、服を着替え始めた。彼女が到達した結論、それは「走って頭をスッキリさせれば解決するはず」だった。

 走る鶴乃に合わせてサイドテールが揺れる。周囲の家々はほとんどが消灯されており、月と電灯だけが光源である。彼女の呼吸に乱れはない。常日頃トレーニングしている彼女にとって、この程度のランニングは朝飯前だ。

 T字路を右に曲がる。すれ違い様、新聞配達のバイクに乗った男が彼女を胡乱げに見た。深夜に一人で出歩く少女が珍しかったのだろう。実際、この地区は治安が良いとはいえ深夜は危険である。だが、たとえ不審者に襲われたとしても、鶴乃は難なくそれを退けるだろう。普段は更に恐ろしい存在と戦っているのだから。幸い、今夜は魔女の気配もなく、平和だった。

「……んー?」

 走ることで思考を空っぽにすることに一旦は成功したが、鶴乃の頭には再び何かが引っかかっていた。既視感……デジャヴ……そういったものだ。彼女は訝しみながら十字路を直進する。

「……あ!」

 そして、気付いた。鶴乃が今走っている道は、やちよの家……みかづき荘を訪れる際に通るルートである。彼女の無意識は、自身を通い慣れた大好きな人の家へと導いたのだ。必ず飼い主の元へと戻るペットの如く。

「どうしよう……」

 呟きがぽつりと漏れた。このまま行けばみかづき荘に着いてしまう。そうなれば、必ずやちよに会いたくなってしまう。彼女はそれを確信していたし、だからこそ今すぐ引き返して布団に戻るべきだと思った。……しかし、彼女の走るペースはむしろ更に早くなった。本能を抑えきることはできなかったのだ。あれよあれよという間に、彼女はみかづき荘の前に到着してしまった。

「……会いたいなあ」

 鶴乃の足が止まった。彼女の胸中ではやちよをせめて一目見て帰りたいという欲が等比級数的に膨らみ、それが重しとなって足を地面に縫い付けている。もはやただで帰るという選択肢は失われた。忍び込んででもやちよを見なければ帰れない。

 みかづき荘のセキュリティが手薄な場所を考えながら、鶴乃は視線を上げていった。そして、視線と視線がぶつかった。みかづき荘の2階窓から、鶴乃を見下ろす存在があった。夜に溶ける髪と、雑誌で見るモデルのように整った顔立ち。その少女は実際、モデルだった。七海やちよ。

「……?」

 やちよが何事かを呟いた。距離が遠く、鶴乃の鼓膜には届かなかった。たとえ届いたとしても、惚けた彼女の脳まで情報が伝達されることはなかっただろうが。

『鶴乃?』

「わっ!?」

 すると、今度は直接脳に語りかけてきた。思わず鶴乃が大声を上げると、やちよは慌てたように人差し指を唇の前で立てる。

『そこで待ってて』

 そうテレパシーを寄越すと、やちよは窓を閉めてどこかへ行ってしまった。鶴乃の浮上しかけたテンションがみるみる下がっていく。彼女に犬の尻尾が生えていれば、へなりと垂れ下がっていただろう。しかし待てと言われた以上、動くわけにはいかなかった。やちよのことは、もう二度と裏切れない。

 やがて玄関扉から靴を履いたやちよが姿を現した。最低限の身だしなみを整えて来たのだろうが、鶴乃には完璧が更に完璧になったようにしか見えなかった。

「どうしたの、こんな遅くに」

 やちよが本当に不思議そうな表情で首を傾げた。鶴乃は少し恥ずかしくなりながら返事をする。

「なんというか……楽しみで眠れなくって。走れば眠れるかなって思って」

「……え?」

 やちよはきょとんとした表情になった。数秒して、「ふふっ」と笑った。

「笑うことないじゃん!」

「馬鹿にしたわけじゃないのよ。ただ、鶴乃って泊まっていくときもすぐ寝てたから……イメージがね。ふふっ」

「ししょーの意地悪……」

「そうね、ごめんなさい」

 やちよは鶴乃の頭を撫でた。それだけで、鶴乃の不貞腐れた態度は溶けていった。やちよの強さは勿論好きだったが、この優しさが何より大好きだった。

「私もね、眠れなかったのよ」

 頭を撫でながら、不意にやちよがそう零した。鶴乃は目をぱちくりとさせる。

「私も楽しみだったの。だから夜風に当たってたら……あなたが走ってくるのが見えたんだもの。びっくりしたわ」

「……やちよも、楽しみだったの?」

「ええ」

「やちよも、楽しみで眠れなかったの!?」

「……ええ」

「一緒だー! やちよ、一緒ー!」

「声が大きい!」

 やちよは咄嗟に鶴乃の口を手のひらで塞いだ。鶴乃は満面の笑みを浮かべたまま、口をもごもごと動かす。

「えへへ……やちよもデート楽しみで眠れなかったんだ?」

「……そうね。走ったりはしてないけど。普通は余計に眠れなくなるし」

「そっかー。そっかー!」

 やちよも、自分と一緒だった。デートが楽しみで、こんな時間まで寝付けなかった。その事実が、鶴乃にはたまらなく嬉しかった。今すぐみかづき荘のみんなを叩き起こして伝えたいほどには。

「ほら、もう気は済んだ? 早く寝ないと明日……今日だけど……辛いわよ」

 やちよは鶴乃の肩を押し、暗にさっさと帰れと告げる。鶴乃としては既に充分満腹であり、帰るのもやぶさかではなかった。眠れるかどうかは別問題だが。

「えへへー、じゃあまた朝にね! おやすみー!」

「はい、おやすみ。……いや、やっぱりちょっと待ちなさい」

「ほ?」

 今まさに駆け出そうとしていた鶴乃は、その姿勢のまま止まり、首だけを向けた。ふわり、とやちよの香りがした。一瞬、時間が止まった。

「……おやすみ」

 そう言うとやちよはさっさと踵を返し、みかづき荘に戻ってしまった。その耳は赤かったが、残念ながら鶴乃は気付けなかった。自分のことで頭がいっぱいだったからだ。

「……わ」

 鶴乃の口から声が漏れた。彼女の唇には、未だに先ほどの柔らかな感触が残っている。やちよの唇が触れたときの感触が。

「わあああああー!」

 魔法の炎と見紛うほどに顔を真っ赤にした鶴乃は、後先考えぬ全力スピードで走り出した。多少近所迷惑だったが、魔法少女である彼女を止めるものはなかった。幸いにも、彼女のせいで起きてしまった者もいなかった。

 そして、朝。夜通し走り続けた鶴乃は、やちよとの待ち合わせに遅刻した。

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