|私はこんなにも|
「|ねむ|」
私は車椅子に座るねむの背中に声をかけた。ねむはこちらを振り返る。
「どうかした?」
「|ウワサを貼り直してほしい|」
ねむは訝しむように目を細めた。その手には万年筆が握られている。原稿用紙に物語を綴る仕事を中断させられた万年筆は、どこか不服そうに見えた(私の考え過ぎだと思うけど)。
「ウワサは一般的に式神と呼ばれているものとは違うし、貼り直すとかはないんだけど……なぜ?」
「|多分、私の中でバグが発生してるから|」
「バグ?」
ねむは驚いたような表情になる。
「そんなものは発生するはずがない……灯花がいじったデータに変なものが紛れ込んでいたとかじゃないかな。僕から灯花に連絡しよう。僕の子供、もといお姉さんを雑に扱うなって」
「|ううん、違う|」
私は首を横に振る。
「|灯花のデータのせいじゃない。もっと根本的な問題|」
「……いまいち要領を得ないね。そもそも、どういった不具合が発生してるの?」
ねむは探るように私の目を見た。私は……答えられず、目を逸らした。
「|言えない|」
「言えない? 僕としては教えてもらって、不具合かそうじゃないかの切り分けをしたいんだけど……」
ねむは考え込むように顎に手を当てた。やがて頷いた。
「まあ、わかったよ。君がそんなに主張するならきっと何かあるんだね。ウワサを貼り直す……とはまた違うけど……再生成……ビルドし直す……ともかく、一度やってみるよ。ああでも、君の記憶はちゃんとログに残ってるから、これまでのことを全部忘れてしまうことはない。そこは安心して」
「|わかった|」
私は頷いて、ねむにいくつものウワサが紡がれた本を手渡した。ねむは私のページを開いて、手をかざした。私の意識が遠くなる……。
…………。
「終わったよ」
ねむの声に、私は目を覚ました。ねむを見て、灯花のサーバーとの接続を確かめる。現在時刻を参照して、意識の途絶していた時間を確認する。
「どう? といっても、本当に何も書き換えてないから、人間で言うところの寝て起きた程度の感覚しかないと思うけど」
私はねむの目を見た。……だめ、直ってない。
「|うん、大丈夫。ありがとう|」
私は嘘をついた。ねむを心配させないために。ねむは安心したように柔らかく微笑んだ。
「良かった」
ねむの手が私の頭を撫でる。……そう。私のバグは何も直ってない。直っていたのであれば、こんなに胸の奥が温かいのに締め付けられるはずがない。
ねむへの恋心なんて、抱いてるはずがない。
◆◆◆◆◆
「…………」「…………」
私の言葉に、令とひなのは揃って驚いた表情になった。私の心に暗い感情が忍び寄る……これは多分、不安。
「|やっぱり、おかしい……|」
「え……ああ、いや! おかしいなんてことはない! ただ……」
「……ウワサでも恋をするんだなって」
言いにくそうに口ごもったひなのの言葉を、令が引き継いだ。ひなのはためらいがちに頷く。
「その……なんだ、やっぱりアタシの中にはまだ、お前……というよりウワサに対する偏見があるのかもしれん。すまん」
「|謝ることじゃない。私も驚いてるから|」
南凪自由学園。今は昼休み。いつものように令と、今日は忙しくなかったらしいひなのと、3人でお弁当を食べてる。もっとも私は物を食べないように灯花に言われてるから、2人の食事を眺めてるだけだけど。
最近は手持ち無沙汰という感覚も理解してきた。だから私は、なんとはなしに2人に胸の内にあった悩みを打ち明けた。私が……万年桜のウワサが恋をしてしまったということを。相手については、そういうのはあまり広めるものじゃないってデータにあったから伏せてある。
「まあ、好きならその相手にアピールするしかないんじゃない? 君はちょっと言動が怪しいけど、容姿は折り紙付きだから誰だってイチコロさ」
「いや! 恋愛というのはそう甘いものじゃない!」
ひなのが拳を握って立ち上がる。
「恋愛っていうのはいくら理論を積み重ねても、少し風が吹くだけでマッチで組んだ塔のように崩れ去っていくんだ……今日の理論は明日には通用しなくなっている、そんな世界だ……!」
「ひなのさん、力説してるけどさ……」
令は呟いて、「やっぱりなんでもない」と首を横に振った。ひなのが怖い顔で見下ろす。
「なんだ、言ってみろ」
「いや、ひなのさん絶対怒るでしょ……」
「怒らないから言ってみろ」
「……じゃあ言うけどさ。ひなのさん告白してOKもらったことないでしょ」
「…………っ!」
ひなのはブルブルと震えた。その顔が段々赤く染まっていく。「やば……」と令は耳を押さえた。
「ああそうだよ! アタシは告白に悉く失敗して後輩に養われそうになってる情けない女だよ! 悪いか!」
「怒らないって言ったのにな……」
令がうんざりしたように呟いて、私のほうを向く。
「で、ひなのさんは置いておいて話戻すけど。アピールはしてる? それとも相手はまだ知り合いですらない?」
「おい! 置いとくな!」
ひなのの怒声に、令はもはやなんの反応も返さない。やがてひなのも諦めたように椅子に座り直した。
「|知り合いではある。でもアピールはしてない|」
「なんで?」
「|迷惑がかかるかもしれないから。……私の幸せは、4人が幸せそうにしていることだから|」
「ふむ……。確かに恋する相手が柊ねむとなれば、そうやって躊躇ってしまうのも道理だね」
「|うん。……?|」
反射的に返事をした後に、私は疑問に思った。どうして令は、私の恋する相手がねむだって知っている?
「おい、令」
ひなのが呆れたように令を見る。令は誤魔化すように笑った。
「ごめんね、ついいつもの癖でさ。カマかけちゃったわけだ。あっはっは!」
「あっはっはじゃなーい!」
「うわっまた雷!」
令は頭を守るように抱えた。ひなのはため息を吐く。
「まあ、ねむが相手ってのが本当にしろ嘘にしろ……色々と壁が多いのは確かだな」
「|わかってる。この気持ちは秘めておくつもり。あなたたちに話したのは、誰かに聞いてほしかっただけ|」
「でも、よかったの? 観鳥さんに話したりなんかしたら……」
「いいか、記事にしたら、アタシがお前の新聞を廃版にする」
「じょ、冗談だってば……」
ひなのに指を突きつけられて、令は神妙な表情でホールドアップした。……やっぱり、この2人に話せてよかった。1人で抱え込んでいた時とは比べ物にならないくらい、胸の奥に沈殿していたような感覚が軽くなった。
「|ありがとう。令、ひなの|」
…………。
お昼休みが終わって、いくつか退屈な授業を受けて、放課後。令もひなのもそれぞれ用事があるみたいで、ちょうどよかった。私はまっすぐに電車に乗って、参京区にあるねむの家に向かう。今日は4人ともお泊まりをするみたいで、ういと灯花はもうみかづき荘にいるはず。私はねむをみかづき荘まで送る役目を負っている。私の気は逸る。早く幸せそうな4人が見たい。その中に序列なんてなくて、平等に愛おしい。……私はそう思うように紡がれたウワサ。そのはずなのに、どうしてねむだけこんなに、思い浮かべると苦しくなるのだろう。
◆◆◆◆◆
「|揺れはどう? 辛くない?|」
「ううん、至極快適だよ。いつもごめんね、迷惑かけて」
私に車椅子を押されながら、ねむは申し訳なさそうに言った。私は首を横に振る。
「|迷惑じゃない。ねむが幸せになれば、私も幸せだから|」
「……そうだね」
前を向いたままねむは微笑んだ。けれど、私にはその微笑みがどこか寂しげなものに見えた。
「|どうかした?|」
「ううん、何にもないよ。みかづき荘に着いたら、灯花たちと何をして遊ぼうか考えてただけさ」
「|……嘘|」
私は確信して言った。ねむはこちらを少しだけ振り向いた。その表情には驚愕の色があった。
「|私はずっとあなたたちを見てきた。嘘をつけばすぐにわかる|」
「……参ったね。まだ0歳の子供に見破られるなんて」
「|私は柊桜子。あなたの姉|」
「……驚いた。冗談も言えるようになったんだ」
ねむは嬉しそうに笑った。その表情に、私の胸の奥はまた強く締め付けられる。やっぱり他の3人の幸せそうな様子を見たときとは、この感覚は明らかに違う。
「こうなると、ますます手放すのが惜しくなるね」
「|手放す……?|」
「僕もそのうち子離れしないといけないってことさ。君が僕たちを好きなのは、ウワサの内容の影響だからね」
否定はできない。私は4人の幸せを待ち望むウワサとして紡がれた存在。自分の意志かと問われたら、境界が不明瞭な以上、はいともいいえとも答えられない。
「急に引き離そうとすると君の存在自体が危ういから、まずは少しずつ僕たちから引き離す。そうすれば、いずれ君は完全に僕たちから自由になれる。僕のお世話に対する感情も、公平な視点から感じられるようになる」
「|……どういう意味?|」
「今の状況は、謂わば僕が君の作られた好意を利用して、無理矢理お世話させているだけだ。これじゃ所有物と何も変わらない。だけど、君は僕が作り出したとはいえ、ひとつの命。自由に選択する権利がある」
「|……つまり、今私がねむの車椅子を押しているのは、私の自由意志ではないって思ってる|」
「そうだね。付け加えるなら、思っているというよりも確固たる事実だよ」
ねむは当然のように言った。……ふつふつと怒りが湧いてくる。私は知っている。ねむはどうしようもなく寂しがり屋で、ひねくれ者だと。だからこそ、私の好意が仮初めのものだということに、勝手に虚しさを覚えてこんなことを言っているのだろう。今すぐにでも伝えたい。ウワサの内容の影響なんて受けずに、私は自由意志で、あなたに恋していると。
「|…………|」
でも、言えない。ウワサの本能は4人の関係を引き裂いてしまうようなことをさせはしない。私はふたつの本能に板挟みにされながら、ただ無言でねむの車椅子を押すしかできない。唇を噛んで、ねむの背中を眺めることしかできない……。
◆◆◆◆◆
「|お邪魔します|」
「お邪魔します」
みかづき荘に入ると、予想した通りういと灯花は既にいた。今はいろはとトランプゲームをしているようだった。灯花は真っ先にこちらを向いて、ブンブンと手を振る。
「ねむ、早くー! いろはお姉さまじゃ相手にならないし、骨のある相手が欲しいの!」
「あ、相手にならない……」
いろはは落ち込んだように俯いた。「ほ、ほら、お姉ちゃんって純粋なところがあるから!」とういがフォローするけれど、いろはが返したのは微妙な笑顔だった。妹にフォローされたことに対してなのか、フォローになっていないことに対してなのかはわからない。
「今行くよ。桜子、お願い」
ねむは私を見上げた。車椅子でリビングまで運んでほしいという意味で。だけど、私は少し考えた。ねむが不思議そうに瞬きする。私はねむの身体の下に腕を通して抱え上げた。横抱き……俗に言うお姫様抱っこをして。
「桜子……!?」
ねむは慌てたみたいだった。私はそのままリビングに運びながら答える。
「|みかづき荘の床はいつ抜けてもおかしくない。だから、私が抱えるのが合理的|」
「それ、やちよお姉さんには聞かれないようにしてね……。否定はしないけど」
私はねむを抱えたまま、いろはたちの近くに座った。ねむを後ろから抱いて、私自身が座椅子になるような姿勢。3人の視線が集中する。
「……桜子、やっぱり恥ずかしい」
ねむの耳が赤くなった。だけど、私はねむを決して離さず、むしろより強く抱きしめた。
「|これが合理的|」
「……えーっと。仲良しさんだね!」
「うん! ういもお姉ちゃんとあれやってみる?」
「え? うーん……私はいいかなあ」
「そ、そっか……」
お姉ちゃん力を見せようとして、いろはが空回りする。かつて病室でも時々見た光景。……私は灯花を一瞥した。灯花は刺すような視線を私たちに向けている。拗ねるような、妬むような目。私は知っている。灯花が昔からずっとねむに恋をしていたことを。でも、自覚していない。自覚しそうになっても、認めようとせずに思考を頭の隅に追いやっている。プライドがそうさせているのかはわからない。それはねむも同じ。ねむも無自覚の恋心を灯花に抱いている……はず。断定できないのは、ねむの場合は愛を求める執着も混じっていて、恋心との判別がつきにくいから。
だから、ウワサとしての本能が私に警告する。4人の仲を不安定にしようとするなと。それでも、きっとヒトとしての本能が、私を衝き動かす。こうして触れ合った身体を通して、ねむに心が伝わってしまえと。
(|私はこんなにも、ねむに恋していると|)
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