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隻腕の鬼(冒頭部のみ)

「最近さー。全然面白くなーい」

「出た出た。暇ならこっち手伝ってよ」

 銀はろくに相手にせず、洗濯板を振った。水飛沫が顔に飛び、「サイッアク!」と咲が吐き捨てる。

「最近さ、売った覚えのない商品がなくなってる事件起きてるじゃん! これは絶対怪異の仕業! なのに私の元には全然来てくれない!」

「いないからでしょ。現実見なよ"闇の刀"」

「それで呼ぶのはやめて! ……やめて!」

 咲は銀を指差し、ぶるぶると拳を握った。そして立ち上がる。腰に吊った鬼めいた木彫りのお面が揺れた。

「こんなクソつまんない村でクソつまんなく暮らしてんだから、ちったぁそういうのがさぁ、アタシの目の前に出てきてくれたっていいじゃん!」

「とりあえずクソ面白い洗濯手伝ってくんないかなあ」

「この村の伝承を銀は知ってるか!」

「指差すな」

 銀は再び洗濯板を振った。咲はサイドステップで避け、鬼の面を装着する。

「下手に村の外に出ると人食い鬼が出る! そういう伝承がある! だからアタシは何度も村の外に出た! なのに人食い鬼は一向に現れない!」

「食われたいの?」

「遠くから眺めて本当にいたんだって悦に入りたい!」

「いないほうがいいとは思わなかった?」

「探してくる!」

「手伝え!」

 伸ばした手をすり抜け、鬼の面を付けたまま、咲はさっさと外に出て行ってしまった。銀は「食われて死ね!」と叫び、乱暴に手拭いを洗濯板に擦り付けた。どうせ遠くに行く度胸はないはずだ、夕方になれば帰ってくるだろう。

「ちょっと、今よくない言葉が聞こえたわよ」

 銀の母親……繋が階段を降りてくる。銀は気まずそうに目を逸らした。

「手伝いもせずに遊びに行くほうが悪い」

「だからって死ねは言い過ぎ。食われちまえくらいにしておきなさい」

「この子にしてこの親あり……」

「何か?」

「なんでもございませんわお母様」

「よろしい」

 繋は機嫌よさそうに頷いた。銀はガシガシと洗濯を続ける……。


 銀は食卓につき、本日の夕食を見下ろした。そして隣を見た。一席分の不自然な空白を。

「冷めちゃうから、先に食べちゃいましょう」

 繋も食卓についた。銀は頷き、それぞれいただきますの挨拶をした。そして外を見る。すっかり闇の帳が降り、遠くはまったく見通せない。

「どうせ遊び呆けて帰んの忘れてるんだ。ほんと呆れた」

 銀は米をかきこんだ。米はボロボロと着物にこぼれた。拾い上げようとして、指の震えに気付く。

 彼女の脳裏に浮かぶのは、咲が出る前に話題にした伝承だ。「人食い鬼が出る」。そんなものは子供が不用意に外に出ないようにする脅しだと思っていたし、事実鬼の被害に遭ったという話は聞いたことがない。

(ありえない、ありえない……)

 銀は自分に言い聞かせながら、夕食を食べ続けた。食べ終わりはいつもよりも遅かった。咲はまだ帰って来ていなかった。

 銀が寝る時間になっても、咲は帰って来なかった。朝起きても、咲は帰って来なかった。彼女たちは村人に姉が泊まりに来なかったか聞いたが、誰も知らなかった。やがて、誰かが言い出した。鬼に食われたのだと。


 その騒ぎを建物の陰から眺める少女がいた。少女は柔らかい蜂蜜色の長髪をポニーテールにしており、顔立ちはどこか少年のようでもある。服は村で一般的な着物だが、その手に握られた近代的手提げ袋が、どこか異質な雰囲気を放っていた。少女は何かに気付いたように振り向いた。視線の方向、眠たげな村人が角を曲がってくる。だが、村人が瞬きしたとき、少女は既にそこにいなかった。村人は首を傾げたが、すぐに興味を失ったように鼻歌を歌い始めた。

 少女はどこへ? 既に村にはいない。森の中、色の付いた風が彼女だ。魔法少女動体視力を持った者であれば、着物には不釣り合いな文明的ローファーを履いているのがわかるだろう。風は木々の間をすり抜け、狐を跳び越し、やがて物理法則を無視した急停止をした。目の前には朽ち果てた廃屋。脇には流線型の美しく白いバイクが停めてある。少女はノックし、扉を開けた。

「ただいまっすー!」

 少女は敬礼のようなポーズを取った。その視線の先にいるのは、椅子に座り、眠るように目を閉じた少女だ。腰まである髪は乳白色であり、纏うのは学校の制服。その左腕部分はまるで中身が無いかのように力なく垂れ下がっている。実際に無いのだ。少女が目を開き、奥に隠された澄んだ黄金色の瞳が露わになった。

「おかえり、ひかるぅ」

 ひかる、と呼ばれた少女は帯の内側から薄い板……否、スマートフォンを取り出し、机の上に置いた。画面が光り、空中に立体的ワイヤーフレームが投影される。

「今日はこことここで買い物してきたっす。目を盗んでお代を支払うのも慣れてきたし、もう完璧っすね!」

「良かったわぁ。このペースならお金を使い切ることもなさそうねぇ。……ここは?」

 隻腕の少女は赤く点滅する部分を指差した。

「あぁ、気になる噂話してて。鬼が出たって話してたっす。結菜さんのことがバレたのかな、と……」

「そうねぇ。変身をしたらそう思われたかもしれないけれど……あれ以来、変身は一度もしていないわねぇ。私以外の何かでしょう」

 少女は……結菜は微笑んだ。「それもそうっすね!」とひかるも安心したように笑った。


隻腕の鬼


 横薙ぎの金棒が両刃の槍を砕いた。しかしもう片方の手には別の槍が握られており、結菜はやむなく刃を躱して距離を取る。

「往生際が悪いわねぇ……!」

「奇遇ね。私も同じ気持ちよ」

 苛立つ結菜の前で、青い魔法少女……七海やちよは深く腰を落とし、槍を構えた。何度槍を折っても、次の瞬間にはまた新たな槍を生み出されてしまう。使い慣れた武器であれば生成は基本的に一瞬だが、それにしても早すぎる。

 周囲では、ひかるや樹里、アオたちが神浜の魔法少女と乱戦を繰り広げている。環いろはの腕輪を奪うために。奇襲はある程度成功した、一番の脅威であるベテランも釘付けにできている。この機は逃せない!

「いい加減、年寄りは引っ込んでほしいものねぇ……これ以上寿命を縮めたくはないでしょう」

「子供の暴走を止めるのも大人の役目よ」

「……暴走、ねぇ」

 結菜は呟き、次の瞬間、踏み込む! 速い! やちよは槍を振るう! 結菜は躱し、金棒を返す! やちよは身を沈めて避け、三連突き! 腕を掠めるが、あまりにも浅い! 結菜は死角からの蹴りを繰り出す! やちよは耐え、下がりながら4本の槍を放つ! 結菜は一振りで砕いて追う!

 青と黄の風が戦場を駆け巡り、金属の衝突音や破片を撒き散らす! 「え? うわっ!?」プロミストブラッドの一人が自分に向かってくる風に驚愕し、姿勢を崩して尻もちをついた。「ごめん!」「ぐわっ……!」炎の扇がその者を斬り、戦闘不能にさせしめた。「オイ! お前の相手は樹里サマだ!」樹里が伸ばした鎖が橙の魔法少女の腕に絡み付いた。炎が伝い、魔法少女へと迫る……。

「折られるのがそんなに楽しいのかしらぁ!」

 金棒がまた槍を砕いた! 追加の槍は……来ない。やちよは身を沈めて懐に潜り込んでいた。これは槍の距離でなければ、金棒の距離でもない……!

「その角が折れれば、きっと楽しいわね!」

 右フック! 左フック! 右! 左! 残像の速度で4連打が叩き込まれる! 結菜は血を吐いた。やちよは大きく右腕を引いた。ストレートが来る。結菜は金棒を捨て、その手を掴んだ。左ストレートも掴んで防御。体格差はやちよが有利、だが小柄さに見合わぬ膂力……!

「さっき、暴走と言ってくれたわねぇ」

 結菜はやちよを凝視した。光射さぬ瞳。やちよは真っ向受け止める!

「あなたには聞こえないでしょう。死んでいった子たちの声が。救われたいと願ったのに、絶望しながら同じ魔法少女に殺されていく、あの子たちの声が!」

「……あなたには、それが聞こえているの? その子たちの、絶望の声が」

「そうよぉ。一日だって聞こえなかった日はない。魔女にならない安心感と共にある、地獄を身を以て経験したことのないあなたたちとは違って!」

 結菜は前蹴りを繰り出した。やちよはまともに喰らい、よろめいた。

「地獄を、味わえ!」

 結菜は地面に落ちた金棒を掴み、水面斬りめいて薙いだ! これで転倒させ、とどめを刺す!

 だが、やちよには当たらなかった。なぜか? やちよの足はその時、地面を離れていた。彼女はまるで踊るようにムーンサルト回転し、空中で逆さまになっていた。彼女のシルエットが満月を切り取っている。その手には、いつの間にか新たな槍が握られていた。

 結菜の視界の端に、宙を舞う腕が映った。腕はどうやら切断されており、切断面からは鮮血が迸っていた。結菜にはそれが誰のものかすぐにわかった。身体のバランスが右側に傾いている。燃えるような痛み。あれは、斬られた己の左腕だ。やちよがちらりと結菜を見た。その眼差しの色は、憐れみ。

「グ、ウウウウウッ!」

 結菜は思考を怒りで染め、痛みを追い出した。着地するやちよに金棒を振り下ろす。それは槍を砕くことすらできず弾かれた。体重の掛け方がうまく行かない。ならば。結菜は勢い良く頭を引き、突き出した! 頭突きである! 角で額を割り、脳漿をぶち撒けさせる!

 やちよは首を反らし、かろうじてこめかみを抉らせるに留めた。そして、彼女もまた頭突きを繰り出した! 額同士が衝突する!

 時間が止まった。ひかるも、樹里もアオも、神浜の魔法少女も、誰も動かない。時間停止魔法だろうか。結菜はまずそれを疑った。しかし七海やちよがそんな力を持っているという話は聞いたことがないし、何よりこのタイミングで止める意味がわからない。ならば走馬灯だろうか。それにしてはなんの記憶も蘇ってこない。先程までの喧騒が嘘のように静まり返っている。

『……さん……』

 微かに声が聞こえた。いつもの声だろうか。よりによって戦いの最中に。結菜は呼吸を整えようとしたが、そもそも時間が止まっているので呼吸できないことに気付いた。

『……菜さん……!』『……結菜さん……!』

 だが、それはいつもの声とは違った。いつもなら、こんな弾んだ声じゃない。もっと責めるような、縋るような声だ。

『結菜さん!』『結菜さーん!』『結菜ー!』『結菜さん!』『なっちー!』『紅晴!』

 声、声、そしてまた声。他にもいろんな声。それらは確かに、二木市で死んでいった仲間たちのものだ。希望に満ちた彼女たちの。

『結菜』

 最後に聞こえたのは、先輩の声だった。優しく包み込んでくれるような声。もう一度聞きたいとどれだけ強く願っても、叶わなかった声。

「……あ……」

 結菜は膝をついた。いつの間にか時間は再び動き出し、周囲は戦いの喧騒に包まれていた。ただ、彼女たちの周りだけは、水を打ったような静けさのままだった。

「私の能力は、魔法少女の希望を受け継ぐ力」

 やちよが静かに話しかけた。結菜は俯いたままだ。

「あなたの中には、彼女たちの希望が残っているように見えた。他人に対して使えるかはわからなかったけれど……聞こえたみたいね」

 やちよは警戒を解かずに槍を構える。結菜は動かない。……やがて、ぽつり、ぽつりと地面に水滴が落ちた。結菜の肩が震え、彼女はうずくまった。

「う……あ……ああ……!」

 結菜は嗚咽し……やがて、大声で泣き始めた。やちよは槍を下ろした。彼女は悲痛な表情をしていた。

「結菜さん!?」

 いち早く気付いたひかるが、今まで戦っていた相手に背を向けて一目散に駆け寄り、その背中を抱いた。そしてやちよに対して牙を剥き出した。

「長女さんに! 結菜さんに何をしたんすか!」

 やちよは答えず、ただ見返した。ひかるは歯を食いしばり、残りの魔力でいかにしてこのベテランを葬るかを計算した。いざとなればドッペルを出せるが……。

 ぎゅう、と腕を掴まれた。ひかるは咄嗟にそちらを見た。結菜は泣きじゃくり、わけもわからず首を横に振っていた。この人を放って戦いはできない。ひかるは抱きしめる力を強くした。

 周囲の戦いの音もいつの間にか止んでいた。誰もが困惑したように結菜たちを見て、次に取るべき行動を決めかねていた。

「馬! 姉さんはどうした!」

 橙の魔法少女と向かい合いながら、樹里が叫ぶように尋ねた。ひかるは「失礼するっす」と呟き、結菜を両腕で抱えると、叫び返した。

「撤退するっす!」

「ハァ!? 腕輪はどうすんだ!」

「またの機会っす!」

「なんなんだよ……アオ!」

「ひかるが言うなら仕方ないと思うなー。結菜姉さまだって戦えそうじゃないし」

「せっかく燃え上がってきたってのに……!」

 …………。

「なんださっきの体たらくは!」

 樹里は結菜の胸ぐらを掴み、壁に押し付けた。ひかるが反射的に向かおうとしたが、アオが手で制する。

「敵の前で情けなく泣き喚きやがって……。左腕斬られたのは残念だったが、腕輪のあるほうじゃなくて助かったな。けどよ、それでもウチのリーダーか?」

 結菜は答えず、俯き続ける。「なんとか言えよ!」と樹里が更に木に押し付けた。結菜は顔を歪め、ようやく樹里を見た。

「声が」

「声だぁ?」

「あの子たちの声が。聞こえなくなった」

「そりゃよかったな。これでいきなり発作を起こすこともなくなるわけだ」

 結菜は黙った。樹里は苛立ったように唸る。

「声が聞こえなくなったから、なんだ! 復讐心も綺麗さっぱり消えましたって言いたいのか!」

 結菜は首を横に振ったが、俯いたままだった。樹里は絶句し……思い切り結菜の顔を殴った。

「結菜さん!」「ちょっとひかる!」

 ひかるはアオの静止を振り切り、樹里と結菜の間に立ちはだかった。

「どけよ、馬」

「嫌っす」

 両者とも変身し、それぞれの武器を構えていた。一触即発の空気が辺りを満たす。チームの魔法少女の中には、恐怖に立ち竦んでしまった者もいる。

「ひかるも樹里姉さまも落ち着いてよ。内ゲバで崩壊なんてバッドエンドもいいとこだよー」

「……おい、姉さん。ひとつ聞かせろ」

 樹里がひかるの背後の結菜に尋ねる。

「血の約束を交わした樹里サマたちと、まだ一緒に戦う気はあるか。それとも、もう全部放り出して逃げたいか」

「意地悪なこと聞くなあ」

 アオが小さく呟いた。結菜は一度樹里を見て、目を逸らし、力なく笑った。

「…………! ああ、そうかよ!」

 樹里は右手に炎を凝縮させた! ひかるごと燃やし尽くそうと言うのだ。ひかるはレイピアを構えた。炎を防ぐ手立てはない、戦うしか……!

 その時、ひかるの目の前に結菜が割り込んだ。防御姿勢など取らず、変身もせず、あまりにも無造作に。

「なッ……!」

 樹里は咄嗟に腕を上に突き出した。渦を描く炎は花火じみて空を割り、火の粉が周囲に散った。

「なんの、つもりだ……!」

「そっちこそどういうつもりかしらぁ。私は裏切り者。血の約束を破った。その処罰をためらうなんて」

「……わかったぞ……!」

 樹里は口元を歪めた。引きつった笑みだった。

「つまり、あんたは今までの行為に恐れをなして、赦されたくなったんだな。罪に耐えられなくなったんだ。樹里サマを、アオを、ひかるを! らんかもさくやも、全員地獄に引きずり込んだくせして!」

「ひかるは自分の意志っすよ」

「微妙だけど、私もそうかなー。それに、少なくともここに来てるみんなはそのはずだよ。他人のせいにするのは姉さまらしくないよー」

 アオが樹里の顔を覗き込んだ。そして、耳元で囁いた。

「離れたくないんでしょ、樹里姉さまは」

 樹里は恐るべき形相でアオを睨みつけた。アオはたじろぐ。

「……腕輪を寄越せ、姉さん」

 樹里は腕を突き出した。結菜は無言で突き出し返した。……腕輪が移動し、樹里の腕へと収まった。樹里はわななき、背を向けた。

「いいか! プロミストブラッドに紅晴結菜なんて魔法少女はいなかった! 長女は大庭樹里、次女は笠音アオだ! 樹里サマの指揮の下、神浜への復讐を果たす!」

 そのまま、樹里は乱暴な足取りで歩き去った。結菜はその背中をじっと見つめていたが、やがていくつかのグリーフシードを取り出すと、その場に置いた。そして踵を返し、反対方向に歩き始めた。その足取りは今にも倒れそうなほどに弱々しい。

「結菜さん……」

 ひかるが結菜の背中に呟いた。アオはひかるを見た。

「ひかるは行かないの?」

 ひかるは完全に虚を突かれたようだった。彼女は下を向いた。

「でも、ひかるは……」

「結菜姉さま……おっと、もう姉さまって言っちゃいけないのかな。結菜さんがいなくなったひかる、頼りにならなそうだなー」

「結構ひどいっすね……」

「それに、多分つまんないよ。昔のひかるのことは知らないけど……また空っぽで生きたいの?」

「それは……嫌っす」

「じゃあ決まりだねー。ほら、追いかけて!」

 アオはひかるの背中を押した。ひかるはよろめき、ためらうようにアオを見た。やがて、覚悟を決めたように敬礼し、自らの持つグリーフシードを置き、結菜のほうを向いた。

「あ、やっぱちょっとタンマ」

 走り出そうとしたひかるに、アオがストップをかけた。ひかるはつんのめりながら振り向いた。口を開こうとした彼女を、柔らかい感触が包み込んだ。ひかるはアオによって抱きしめられていた。

「アオさん……?」

「よーしよーし。結菜さんと仲良くするんだぞー」

 10秒ほどアオは頭を撫で、解放した。ひかるは真剣な表情で頷き、今度こそ結菜を追いかけた。見えなくなるまで、アオはずっとその背中を見つめていた。


「結菜さん!」

 追いついたひかるが声をかけると、結菜は驚いたように目を見開いた。

「あなたはもう付き合わなくていいのよぉ……?」

「アオさんに背中を押してもらったっす。ひかるはどこまでも、結菜さんに付いていくっすよ」

「……そう。アオが」

 結菜は力なく笑った。

「ねえ、ひかるぅ」

「どうしたっすか?」

「できるだけ、穏やかに死にたいわねぇ」

 …………。

「とりあえず、サバイバルに使えそうなのはこんな感じっすかね。これ以上は持つの難しいっすから……」

「できるだけ小さく畳めるものを買ったつもりだけど、結構嵩張るわねぇ」

 結菜とひかるはホームセンターを後にする。彼女たちの手には大きなレジ袋がいくつも握られている。

「ひかるはキャンプとかしたことあるかしらぁ?」

「ないっすねー。さっき買った本見てなんとかするっす!」

 …………。

「こんな遠出したの初めてっす。って言っても、神浜もだいぶ遠かったっすけど」

 座席に揺られながら、ひかるは窓の外を見た。電車はちょうど川の上に差し掛かっており、周囲に広がる木々など、夕暮れに染まる自然を一望することができた。中途半端に都会だった二木市では見られなかった光景だ。同じ車両には他に人はおらず、二人の貸し切り状態だ。

「結菜さんは海外も行ったことあるんすよね。どんな……」

 その時、ひかるは右肩に重みを感じた。そちらを見れば、結菜がもたれかかり、すうすうと寝息を立てていた。ひかるは手を伸ばし、結菜の頭を撫でた。

「よしよしっすよー……」

 …………。

「これ、魔女の気配っすね……」

 ひかるは己のソウルジェムを見た。ソウルジェムは規則的に明滅し、付近に魔女がいることを知らせる。昔であれば一も二もなく向かったところだが……。

「…………」

 結菜は無言で気配の方向を見た。だが、結局そちらには向かわず、今までと同じ方向に歩き続ける。ひかるは「っす」と頷き、結菜の後についていった。その後、ひかるは一度だけ振り向いたが、それ以上は何もしなかった。

 …………。

「ダーラッテメェらァ! 誰の許可得てここ通ラッコラー!」

 威圧的バイクのエンジン音、クラクション、そしてヘッドライトが静謐な夜の空気を引き裂く! この辺りを縄張りとする与太者集団だ! そして二人は今、彼らに包囲されていた! バイクに掲げられた旗には「とても怖い」「IQ500」「従わない」といった威圧的文字!

「ねぇ、ひかるぅ。私、バイクに乗ったことはないのよねぇ」

「足も欲しかったっすからね」

「何ゴチャゴチャアバーッ!?」

 …………。

「結菜さーん!」

「何かしらぁ……!」

「窃盗の上にノーヘル無免許運転とか、ひかるたち犯罪者っすねー!」

「今更ねぇ……!」

 ひかるに回した右腕に、結菜はより力をこめた。ひかるは「それもそうっすねー!」と笑い、スピードを上げた。二人を乗せた白いモーターサイクルは誇らしげに夜闇を駆ける……!

 …………。

 ……そして、道の果てに。

「もの凄い山奥って感じっすねー……大自然っす」

 ひかるはバイクを押しながら感嘆した。彼女の周囲360度、目も眩むような鮮やかな紅葉が風に揺られていた。空気は澄み、鳥の鳴き声もよく聞こえる。

「こんなところがあったのねぇ……」

 結菜もまた同じように感動し、周囲の光景に首を巡らせている。ひかるはその表情に満足し、前を向いた。そして、目を凝らした。

「ん……建物? 家? を発見したっす」

 結菜の表情に翳りが生まれた。もうあまり人と接したくはなかったからだ。だが、彼女もまたその建物を確認してみれば、それはどこか奇妙な雰囲気を感じさせた。二人は顔を見合わせ、頷いた。

 家らしき建物の近くにバイクを停め、ひかるは慎重に窓から中を覗き込む。人はいなかったが、テーブルやベッドは置かれている。

「空き家……っすかね」

 ひかるはドアノブに手をかけた。鍵はかかっていない。中に入り、魔法少女の五感を研ぎ澄ませてみても、やはり人がいたような気配はない。

「不法侵入ねぇ」

 そう言いながら、結菜もまた中に入る。窓を開け、埃っぽい空気を換気する。

「ちょうどいいわぁ。この家、使わせてもらいましょうか」

「え……! でも、持ち主が戻って来るかもしれないっすよ」

「その時謝りましょう」

「……結菜さん、図太くなったっすか?」

「老い先短いからねぇ」


 ……かくして、彼女たちはこの場所を見出した。そして決めた。ここを、自分たちの死に場所にすることを。

 結菜はグリーフシードを持ってこなかった。このようなひとけの無い場所に魔女が出てくる可能性も低い。すなわち、ソウルジェムはそう遠からぬうちに濁り切る。結菜が先か、ひかるが先かはわからない。だが、どちらが先であっても、魔女と化す前に片方がソウルジェムを砕き、その後自らもソウルジェムを砕く。そのように、彼女たちは決めた。

 紅晴結菜は穏やかな自殺を求め、煌里ひかるはどこまでも付いていく。それが今の彼女たちだった。


続く

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