おさけやちよ
「えーそれではあらためまして!」
一人立ち上がった鶴乃が面々を見渡した。鶴乃を除いたみかづき荘の5人、そしてももこたち3人が手に手にグラスを持ち、彼女を見上げている。
「やちよししょー、20歳おめでとー!」
鶴乃はグラスを上に突き出した。同時に、『おめでとー!』と7人分の声がみかづき荘のリビングに響き渡る。
「ちょっと、近所迷惑!」
「まーまーめでたい日じゃんか!」
苦言を呈したやちよに、ももこが肩を組む。
「どーだやちよさん! 20歳になった感想は!」
「昼にも散々聞かれたわよ……それはそれは楽しそうに」
やちよは苦々しい表情をした。この日の昼、彼女たちは神浜ミレナ座に集まり、八雲みたま開催の「やちよさん20歳おめでとうパーティー」に参加してきたばかりだ。パーティーには和泉十七夜、都ひなの、静海このは、変装した阿見莉愛、巴マミ、他にも多くの魔法少女たちが列席した。みかづき荘で行われているこの小規模な会合は、さしずめ二次会と言ったところか。
「でも、みふゆさん残念ですね。すごく来たがってたのに……」
いろはが申し訳なさそうな表情で言った。然り、この場に梓みふゆの姿はない。調整屋でのパーティー終了と同時に、明日締め切りの宿題が終わっていないと灯花に無慈悲にも告げられてしまったのだ。みふゆは警察と対峙する重犯罪者もかくやというほどの抵抗を見せたが、最終的には桜子に取り押さえられ、出口へと引きずられて行った。
「大学合格したはいいけど、その後も勉強見られてるようじゃ仕方ないわよ」
やちよの口調はすげないものだったが、その端々にはよく知る者でなければ気付かないほどの寂しさが滲んでいる。鶴乃がももこの反対側からやちよに抱きつく。
「それよりそれより、それ飲まないの!?」
鶴乃の視線はやちよの手元に向けられている。やちよは両隣の大型犬を引き剥がしつつ、手元を見下ろし、やや苦々しい顔をした。
彼女が握っているグラスには、泡立つ琥珀色の液体がなみなみと注がれている。他の少女たちが持つグラスと比較すると、それだけ明らかに色合いも雰囲気も異なる。果たしてこの液体は? その答えはテーブルに置かれた焦げ茶色の瓶だ。
「せっかく万々歳からビール持ってきたのにー!」
鶴乃が唇を尖らせた。そう、「カミハマビール」というラベルが答えだ。七海やちよのグラスに注がれていたのはビール、鶴乃がわざわざ家に一度帰って親の許可を取ってから持ってきたものだ。
「でもやちよさんって言ったらワインとか、日本酒とかそのへんのイメージだよなぁ」
「ビール飲んでるイメージってそんなにないよねぇ」
かえでがももこに同意する。レナはその隣で黙ってやちよとグラスを見つめている。一部の者にしかわからないが、それは憧憬の視線である。
「いーから早く飲めよ! どんな味なんだ?」
フェリシアに急かされ、改めてやちよはグラスを見つめた。一同の視線が集まり、自然と静まり返る。彼女は覚悟を決めたように息を吐き……グラスを口につけ、傾けた! 「おぉ!」フェリシアが身を乗り出す!
「……っ! にがっ!」
誰かが感想を聞き出すよりも早く、やちよはグラスを口から離した。中の液体は1センチメートルも減っていない。
「そんなに苦いの!?」
「ゴーヤとどっちが苦い!?」
鶴乃とももこがやちよの顔を覗き込む。二人の表情は、心配というよりも面白がるようなものだ。非道!
「ゴーヤの苦さなんて忘れたわよ……。先輩から教えてもらってたけど、思ったより苦いのね……」
「あの……大丈夫ですか?」
さなが自分のメロンソーダを差し出そうとする。彼女はおめでたい空気に当てられてメロンソーダを自分のグラスに注いだが、先程まで炭酸に苦しんでいた。その横で同じく炭酸にチャレンジしたういは、今まさに耐えるかのように目をつぶっている。
「大丈夫よ、ありがとう二葉さん。そのうち慣れるのかしら……」
やちよはちびちびとグラスを傾け、その度に顔をしかめる。フェリシアは「なーんだ」とつまらなそうにし、やちよが「たとえ美味しくても、あなたには絶対に飲ませないわよ」と釘を刺した。
「味はわかったけどさ、じゃあ酔ってきたって感じはある?」
ももこがやちよをじろじろと眺める。今のところ、さしたる普段との差異は見受けられない。
「ないわね。まあまだ一杯も飲んでいないし……それに」
「それに?」
鶴乃が首を傾げた。やちよはさらりと言い放った。
「私、多分お酒に強いもの」
……数十分後!
「なあやちよさん、指何本に見える?」
「何よ……二本でしょう」
「おお、一応見えてる」
ももこが作ったピースサインに、やちよは不満げに目を細めた。
今のやちよはビール三杯目である。酔いに強いという大口を叩いたものの、新雪めいて白い頬には赤みが差し、座っている姿も普段より崩れ気味だ。そして何より……。
「えっへへー」
鶴乃が幸せそうに笑った。彼女はやちよにもたれかかっている。然り、密着しているのだ。だというのに、やちよは身を引こうとも、引き剥がそうともしない。それどころか、仕方ないという表情と共に、頭を撫でさえしたのだ。異常事態である!
「歳が近い相手にはいつも塩対応なのに……」
かえでが衝撃のあまり声を漏らした。幸い、やちよの耳には届いていないようだった。レナはももこをじっと見つめる。
「……ねぇ、ももこ」
「え? なんだよレナ」
「ももこって結構わかりやすいわよね」
「あ、私も思った!」
かえでが同意した。ももこは「何の話だよ」と返す。その視線は逸らされており、レナたちの方を向いていない。レナとかえでは顔を見合わせ、頷いた。
「鶴乃みたいに甘えたいんでしょ」
レナが直球を投げ込んだ。対するももこはジュースを飲み干し、グラスを机の上に置いた。勢いがやや強く、衝撃音が鳴った。
「べっ別に、そんなんじゃないし!」
あまりにもわかりやすい態度だった。レナとかえでの目は、自然、慈愛の色を湛えた。
「甘えたいの?」
更にやちよによる援護射撃! 「へっ!?」わかりやすくうろたえるももこ!
「しょうがないわね……ほら」
やちよはももこを抱き寄せ、頭を撫でた。ももこの顔が沸騰せんばかりに赤く染まった。
「や、やめろって……別にアタシはそんなの……」
ももこは抜け出そうともがいたが、あまりにもやる気のない動きだった。目元も口元も緩み、幸せそうな表情をしている彼女が何を言ったところで、説得力など微塵もなかった。かえでがこっそり写真を撮り、レナが「あとでレナにも送ってね」と囁いた。
「両手に花……」
「? どうかした?」
「いっいえ! なんでもありません!」
呟きがいろはに拾われ、さなが大きく首を振った。そして、「あ、でも……」と付け加え、すぐ横を見た。
「うぅ~……」
フェリシアがやちよたちを唸り声を上げながら見つめている。見るからに機嫌が悪かった。
「フェリシアちゃん、どうしたの……?」
「私にもわからなくて……」
いろはとさなが囁き合う。彼女たちが見守る中、フェリシアは唸り続け……突如、消えた!
「えぇ!?」
「下です、いろはさん!」
さなが指差す! テーブルの下、フェリシアが腹這いになり、ワームめいて進んでいる! その先には!
「オレもーーー!」
やちよである! より正確に表現するならば、やちよの膝だ! フェリシアは抱きつくようにしてやちよの膝を占拠した!
「いつもは自分からは来ないのに」
やちよが嬉しそうに微笑み、ビールをおかわりした。結構気に入ったのかもしれなかった。フェリシアは「くっそー!」と恥ずかしそうに叫びながら、それでも膝を誰かに明け渡そうとはしなかった。
「やちよさん人気だね」
「やちよさんのガードが緩くなったのと、その影響でみんなの甘えたがりが顔を出して……みたいな感じでしょうか」
さなが冷静に分析する。いろはは苦笑いし……ふと、周囲を見回した。
「どうしました?」
「ういが……トイレかな?」
「そういえばさっきから……」
いろはとさながキョロキョロと視線をリビング内に向ける。「ういー?」といろはが立ち上がり……「あ!」声を上げた。
「いましたか?」
「……背中」
「背中?」
さなも立ち上がっていろはの視線を追う。そして、納得した。
彼女たちの視線の先、ういはやちよの背中にもたれかかり、目を閉じていた。穏やかな表情、規則正しい呼吸……彼女もまたやちよに吸い込まれ、夢の世界に一足早く旅立ってしまったようだった。
◆◆◆◆◆
「……あら」
やちよは空のグラスの上で瓶を逆さまにした。だが、瓶の口からはかろうじて一滴だけが滴り落ちただけだ。
「意外とビールハマったんだね、やちよ!」
テーブルの上に伏せた鶴乃が楽しそうに言った。二人の他に人影はない。時間も遅くなっため、ももこたち三人は帰宅、いろはたちは自室に戻って既に眠りについている。パーティ解散後もやちよは残り少しだから飲みきってしまうと言い張り、泊まり組の鶴乃が監視役となった形だ。
「ハマったのかしら……まあ、思ったよりは飲めるってところね」
やちよは名残惜しそうに空のグラスを揺らした。鶴乃は時計を見た。11時を越している。
「そろそろ寝たほうがいいよ。明日は大学でしょ?」
「そうね。ごめんなさい、あなたもこんな時間まで付き合わせて……」
やちよは立ち上がろうとして……よろめいた。「やちよ!?」鶴乃が慌てて支える。
「……ふふっ。この感じ、ちょっと楽しいわね」
やちよがわざと揺れた。「ちょっと、危ない危ない!」とやちよを支えながら、鶴乃はアルコールの魔力に慄いた。あのやちよをここまでだらしなくしてしまうとは。甘えさせてくれたのは嬉しいけど、あんまりお酒飲ませないように気をつけよう。鶴乃は心の中で呟いた。
「お風呂入らないほうがいいね。こんなにふらふらしてたら……」
「あら、今のはわざとよ。別に私はなんとも……」
「お父さんが酔ってるときによく言うやつ! もーほら、歯磨きだけして寝よ!」
「何よ、鶴乃が私に怒るなんて……」
やちよは子供っぽく頬を膨らませながらも、やはり覚束ない足取りで洗面所を目指し、歯磨きを始めた。鶴乃は持参したパジャマに着替え、やちよの隣で歯磨きに加わった。
やちよが先に歯磨きを終え、フラフラとリビングに戻っていく。遅れて鶴乃も終えてリビングに戻ると、やちよはなぜか元の場所に座り、頭を揺らしていた。酔いと眠気で余計に思考がおかしくなっているのかもしれなかった。
「ほら、立ってやちよ! 二階上がる!」
「もう、そんなに怒らないでよ……」
やちよは立ち上がり、階段を登り始めた。鶴乃はその後ろに続き、いつ落ちてきても大丈夫なように身構える。幸い杞憂に終わり、やちよは自室の前に辿り着いた。
「ちゃんと着替えてから寝ること!」
「わかってるわよ……」
本当にわかっているか怪しいものだった。鶴乃はため息をつき、そして考えた。このままお客様用の部屋に直行するか、それとももうひと甘えしてからにするべきか。
このような機会でもなければ、やちよには満足に甘やかしてもらえない。またお酒を飲ませるという手もあるが、このやちよを見ると少し不安になってしまう。そもそも酔っているのにかこつけて甘えるなんて、まるで悪いことをしているような……それを言ったらさっき……。鶴乃は眉根を寄せ、むむむと唸り始めた。そんな様子に、やちよは首を傾げ、言った。
「今日は一緒に寝ようって言わないの?」
「……えぇっ!?」
鶴乃は慌てて自分の口を押さえた。完全に予想外の言葉だった。確かに、普段泊まるとき、彼女はほとんど毎回一緒に寝ようとやちよにねだっている。勝率はゼロで、半分諦めながら提案しているようなものだった。それがここに来て、突然のやちよからの提案。動揺しないわけがなかった。
「い……いいの?」
「今日は気分がいいから、許してあげる」
やちよは鶴乃の手を握り、そのまま自室に引っ張り込んだ。照明は点けなかったが、窓からの月明かりで充分だった。鶴乃は所在無げに自分の髪をいじった。
「着替えちゃうから、先に寝てていいわよ」
鶴乃の目の前で、やちよはタンスを開け、服を脱ぎ始めた。やちよの肌など銭湯や水着姿などで何度か見たことがあるのに、ひどく背徳的に感じられ、鶴乃は反対側を向いてベッドに横になった。ベッドからはやちよの匂いがした。目を閉じると、まるでやちよに包まれているようだった。
(なんだかわたし、本当にいけないことしてるような気がする……!)
鶴乃はいつもより激しい動悸を感じた。背中に手が触れた。
「もうちょっとそっち詰めて」
「あ、う、うん!」
鶴乃は慌ててスペースを空けた。背中側に自分以外の熱が生まれた。
「甘えてこないの?」
不思議そうな声が背中側から届いた。鶴乃は「えー、えーと、あはは」と誤魔化すように笑った。夢にまで見た状況だったが、いざその状況になると、どこまで甘えていいかわからなくなってしまったのだ。
「まあいいわ」
やちよの声が聞こえた。次の瞬間、背中側の熱が密着し、腕がお腹に回された。抱きしめられている。しかも、もう一方の手は鶴乃の頭の上にある。
「やっ、やち、やちよ!?」
「甘えてこないなら、こっちから甘やかすから」
やちよの声と共に、微かな酒の匂いが漂ってきた。酔ったやちよは、人を際限なく甘やかすようになる……そして眠れなくさせる……! 我慢の限界を迎えた鶴乃は「やちよー!」と振り向き、やちよの胸元に顔を突っ込んだ。やちよは楽しそうに鶴乃の頭を撫で続けた。そのうちに、二人は眠りについた。
◆◆◆◆◆
「やちよ! お酒持ってきたよ! 今度は日本酒!」
「アタシだって持ってきたぞ! ほら!」
「やっちゃんの初お酒を見逃したのは本当に残念ですが……今日はワタシも灯花からお泊まりの許可を頂きました!」
後日。鶴乃、ももこ、そしてみふゆの三人に囲まれ、やちよは困惑したように後ずさった。
「別に今日はそういう気分じゃ……」
「飲もうよー!」「なんならアタシが激励するから!」「おつまみ持ってきましたよ!」
やちよが拒否しても、三人は威圧するように更に距離を詰める。その光景を、いろはとさなはやや離れた場所から眺めている。
「最近よく見るよね」
「はい。みんなやちよさんに甘えたいんですね。……あ」
彼女たちが眺める中、やちよがため息を吐き、三人が歓声を上げた。どうやら今日もお酒を飲むことが決定したようだった。
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