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AGE OF RYUGASAKI【竜ヶ崎勝利次元】

この作品は場面ごとを区切りとして、星辰の導き(気が向いた際)により500〜1000文字くらい更新されます。

第一部 竜ヶ崎

【かつての光景:廃ビル:紅晴結菜、大庭樹里】

「はあああっ!」

 結菜は金棒を振り下ろす! 樹里は横っ飛びに避け、火炎放射器を噴射! 既にそこに結菜はいない。彼女は樹里を中心に円を描くように走りながら、懐から取り出した数個の石を投げつける。

「タイマンでくだらねえ小細工してんじゃねえ!」

 立ち止まった樹里の火線が結菜を追う! 火線に石が触れ……KBAMKBAM! 石が小爆発し、赤い鱗粉じみた魔力を撒き散らす。

「ぐっ!?」

 樹里は前によろめいた。背中に小爆発の衝撃を感じたのだ。対称変更。

「クソッ!」

 樹里はすぐに火炎放射器を構え直すが……結菜の姿がない。樹里は訝しみ……前に跳んだ! 背中側から振るわれた金棒の棘が樹里の肌を引き裂き、血飛沫が舞う! 

 樹里の周囲を、先程爆発した石から発せられた結菜の魔力が覆っていた。そのせいで、結菜が背中側に回り込んだことを、空気中の魔力の流れから感じ取ることができなかった。結菜の得意な“小細工”だ。金棒の追撃を樹里は転がって避ける!

 彼女たちの戦闘を、二木市の魔法少女たちは遠巻きに見つめる。この廃ビルの中で、今後の彼女たちの未来が決まろうとしている。この街の魔法少女を支配するのが虎屋町か、竜ヶ崎か。その分水嶺である。

「頑張れ……頑張れ……!」

 さくやは胸の前で手を組んで祈る。彼女はこの場で結菜を助けられない己の力不足を悔やんでいた。できることなら代わってあげたいくらいだった。現実の彼女にできることといえば、こうやって無力な祈りを捧げることくらいだ。

「死なないでよ……結菜……頑張れ……!」

 さくやはぶつかり合う二人を凝視し、結菜の勝利をただ祈る……!

 彼女からやや離れた場所に、アオとらんかはいた。彼女たちは並んで立ち、なんとも言えぬ表情で戦いを見つめている。アオは結菜の勝利を、らんかは樹里の勝利を望めど、その一色ではない複雑な感情が両者の心中を渦巻いている。

 10分が経った。その間に、無数の大小の傷が二人の身体に刻まれた。動きも精彩を欠き始めた。それでも、瞳に燃える闘志は僅かも衰えない!

「ニヒッ……思い出すなあ、姉さん!」

 炎で結菜を牽制しつつ、樹里が不意に笑った。

「最初に姉さんに負けたとき、樹里サマはそりゃあ悔しかった! まさかこの樹里サマを負かすヤツがいるとは思ってなかったからなぁ!」

「あの頃からあなたは本当に困ったじゃじゃ馬よ、樹里ぃ……!」

 結菜は上段、下段、中段に金棒を振り下ろす! 樹里は先の2発を捌くが、最後の1発を腕で受ける。受けきれず、棘が腕に刺さり、衝撃が身体に伝わり、彼女は血を吐く。

「悪かったな、今まで樹里サマの性分に付き合わせて。けど、今日で終わりだ!」

 樹里は至近距離で火炎放射器の引き金を引いた! 避けるのが遅れ、結菜の身体を炎が焼き焦がす! 地面を転がって消火し、苦悶の表情で立ち上がる。破れた黄色の魔法少女服の奥には、ひどく焼け爛れた肌が覗く。

 踏み込めばお互いのリーチに届く距離で、結菜と樹里は肩で息をして睨み合う。決着の時が近い。取り巻く魔法少女たちの誰かが呻いた。極限の瞬間。空気が刺さらんばかりに張り詰める。さくやは目を閉じてしまいたくなった。それでも、彼女は己を強いて凝視し続けた。

 バサバサ、と遠くで鳥の群れが飛び立つ音が聞こえた。その瞬間、両者は動いた! 樹里は一直線に結菜へと向かい、火炎放射器の噴射口を定める! まだ撃たない! 一方、結菜は懐から再び複数個の石を取り出して空中にばら撒く。

「対象変更……!」

 結菜は歯を食いしばって金棒を振り抜き、全て破壊! KBAMKBAMKBAM! 小爆発が樹里の周りで発生する! 全ての石に別々の対象変更魔法をかけたのだ。なんたる魔法制御能力!

「グ、ウッ……ラアアア!」

 樹里は……怯まない! 小爆発に傷付けられながら、なおも接近! 結菜は驚きに目を見開き、樹里に対して金棒を振るう!

 ……強力な魔法少女同士の戦いでは、コンマ数秒が命取りとなる。結菜の狙いは小爆発で樹里を怯ませ、その隙にソウルジェムに一撃を叩き込むことだった。しかしこの瞬間、隙を晒したのは結菜であり、その上このような極限状況下では……!

 金棒は空を切った。樹里は既にリーチの内側にいた。火炎放射器の噴射口を結菜に押し当てて。

「今まで溜め込んだ樹里サマの炎、全部だ……!」

 樹里は炎を……解き放つ! 結菜の全身が内側から燃え上がる! 距離を離そうとした結菜の背中を、樹里は火炎放射器持たぬほうの手で抱くように掴み、離さない!

「結菜っ!」

 さくやは反射的に飛び出しそうになった。その前に竜ヶ崎の魔法少女たちが立ちはだかる。これは一騎打ちであり、誰が邪魔することも許されない。

「ッグ、ア、アアアアアア!」

「熱ッちい……! おとなしく、しやがれ……! 樹里サマだって、熱い、んだ……!」

 炎は樹里にも燃え移っている。それでも、決して背中を離さなかった。結菜の頭が傾ぎ、樹里の首元に噛み付く。炎が樹里の首を焼く。それでも離さない。

 ……やがて、炎の噴射が止まる。二人はずるずると崩れ落ち、地面に倒れ伏した。満身創痍。普通の魔法少女であれば、このままソウルジェムが砕けて死んでもおかしくないほどの。……だが、一人が立ち上がった。ファイアパターンの魔法少女……大庭樹里が。首元の肉はほぼ噛みちぎられており、全身の火傷痕も常人であれば直視できぬほどのものだったが、彼女は火炎放射器を支えに立ち上がった。そして、うつ伏せで動かない結菜を見下ろした。

「……ハハ、ハッ……」

 樹里は結菜の肩に手をかけて、難儀して仰向けにした。

「うっ……!」

 魔法少女視力により結菜を目にした元虎屋町の魔法少女が、その場に吐いた。人の死に慣れた二木市の魔法少女たちであっても、結菜の惨状はひどいものだった。全身は焼け焦げ、月の下で輝くようだった白い肌はもはやどこにもない。

「樹里サマの……勝ちだな……姉さん……」

 樹里はぜいぜいと息をしながら勝ち誇った。結菜が薄く目を開いた。瞳は白濁しており、何も見えてはいないだろう。

「……まだ、意識が……あるか……さすが、だな……」

「……わた、しは……負け、た、のねぇ……」

 結菜が蚊の鳴くように小さい掠れた声を発する。彼女のソウルジェムに、樹里は足を乗せ、力を込める。

「これで、終わりだ……その様子じゃ、何も聞こえちゃ、いないだろうが……」

「……樹里……」

 樹里は足の力を弱め、結菜を見た。結菜はこちらを見ていなかった。

「……二木市を……頼、んだ……わよ、ぉ……」

「…………」

 樹里は再び足に力を込めた。パキ、パキリ、とソウルジェムにヒビが入り……パキン、と砕け散った。

「あ……あ……ああああああ!」

 さくやは崩れ落ちた。他の元虎屋町の魔法少女たちも同様だった。悲愴な声が廃ビルを渦巻き、竜ヶ崎の魔法少女たちもどこか気まずそうな顔をしている。

「私たちは! 勝ったんだ!」

 一人の竜ヶ崎の魔法少女が声を上げた。他の魔法少女が彼女を見る。

「あの虎屋町のリーダーを、私たちの樹里さんが倒した! 争いは終わりだ! 樹里さんが、勝ったんだ!」

「……う……うおおおお!」

「うおおおおおーっ!」

 最初は一人ずつ、やがてほとんどの竜ヶ崎の魔法少女たちが同調し、熱狂し、拳を振り上げた。元虎屋町の魔法少女など目に入らないかのように。アオは隣を見た。

「らんかは喜ばないの?」

「……あんな単細胞どもと一緒になれないっしょ……」

 らんかは目を伏せた。アオは樹里たちに視線を戻した。虚無めいた瞳で。そして踵を返して歩き始めた。誰も彼女の動きを気に留めない。

 アオは歩き、角を曲がり、歩き、歩き、また角を曲がり、数十回ほど繰り返した後、大きな屋敷に着いた。インターフォンを押すと、屋敷内からドタドタと物音が聞こえた後、勢いよく正面扉が開け放たれる。

「結菜さん!」

 扉を開けたのはひかるだった。戦いを見届けることを許されず、結菜の家でただ独り報告を待っていたのだ。彼女はアオの姿を認めると、一目散に駆け寄り、縋り付くように尋ねた。

「アオさん、結菜さんは!? 勝ったっすか!? 結菜さんはこれから帰ってくるっすか!?」

「死んだよ」

 アオは抑揚のない声で告げた。縋り付くひかるの手から力が抜ける。

「大庭樹里が勝った。紅晴結菜はソウルジェムを砕かれて死んだ」

 ひかるはへたりこんだ。指輪状のソウルジェムが急速に濁り、黒く染まりゆく。アオはただそれを見下ろしている……。

【竜ヶ崎拠点:大庭樹里、智珠らんか】

「だーっくそ!」

  樹里はコントローラーを放り投げた。らんかは繊細なマジックハンドの操作で易々と遠隔キャッチする。慣れた手つきである。

「なんで樹里サマは毎回負けるんだ……!」

「大技出して気持ちよくなってばっかりだからでしょ」

「だから小足とか混ぜるようにしてんだろ!」

「見え見えの小足されたところでね」

「は、ら、たつー……!」

 樹里が歯ぎしりし、ソファの背もたれに寝そべるように寄りかかる。

「イラつくくらいならゲームやめたら?」

「最近ストレス溜まってばっかだから解消したいんだよ」

 らんかは横目で樹里を見る。

「紅晴結菜が死んだから?」

 樹里は空中に焦点の合わぬ目を向け、少し考えこむ。

「そうだなぁ……姉さんをぶっ倒すって目標も達成しちまったし、姉さん以上に戦って気持ちよくなれる奴もいねえし……姉さん殺さない方が良かったかもなあ」

「それ、鈴鹿さくや……だっけ? とかに聞かれたら殺されるよ」

「返り討ちだ。あーあ……」

 樹里の身体からどんどん気力が失せ、軟体動物じみた姿になる。

「……なら新しい目標でも探せば? 竜ヶ崎の支配体制の強化とか……虎屋町の馬だって見つかってないわけだし」

「戦略シミュレーションは興味ねーんだよな。らんかたちが考えてくれるし。馬だって姉さんと一緒に死んだろ」

「そう思うけどさ……」

「たとえ生きてても返り討ちだよ。ふわーあ……ねみい」

 樹里は目を閉じた。らんかはため息をつき、ゲームを変更してオンラインゲームを始めた。

【二木市地下のカタコンベ:鈴鹿さくや】

「久しぶり、結菜」

 二木市地下のカタコンベ……死んでいった魔法少女たちの墓地を訪れたさくやは、あるひとつの墓の前で立ち止まった。墓には「偉大な虎屋町のリーダー」という文字に線が引かれ、「敗者」という文字が新たに刻まれている。

「久しぶりじゃないか……数日前にも来たね。ちょっと前までは毎日顔合わせるか話してたから、感覚狂っちゃって。ひかるも来れたら良かったんだけど……」

 さくやはレジ袋を掲げる。

「ほら、アイス買ってきたよ。結菜の好きだった銘柄。一緒に食べよ」

 さくやは墓の近くに座り、レジ袋の中身を取り出した。そして、驚いた顔になった。

「……溶けちゃってる」

 アイスの袋はふたつとも重力に負けて力なく垂れ下がっていた。さくやはしばらく呆気に取られた表情のまま……やがて、吹き出した。

「あっはは! そりゃそうだよね。こんな距離歩いてきたら溶けるに決まってるよ。馬鹿になっちゃってた! あははは!」

 さくやは笑い……膝を曲げ、丸くなる。

「ほんと……いつもだったら、こんなことないのに……」

 さくやは嗚咽した。無数の墓が無言で彼女を取り囲む。

 しばらくして、さくやは涙を拭い、とりとめのない近況報告をした。虎屋町学園の次の生徒会長が以前結菜と競っていた子に決まったこと、樹里が最近イラついていること、竜ヶ崎の統治が横暴なこと……。

 さくやはスマートフォンを一瞥し、立ち上がる。

「また来るね、結菜。せめてそっちでは安らかにね」

 溶けたアイスと共に、さくやはカタコンベを後にする。後には静寂が残される。

【門前橋:鈴鹿さくや】

 夜。さくやは独りとぼとぼと門前橋を渡る。彼女の表情は浮かない。ここ最近ずっとそうだ。

「…………!」

 遠くから喧騒が聞こえてくる。ヤンキーがたむろしているのだろうか。常人の面倒ごとに巻き込まれたくはない。さくやは鼻白んだ。

 さくやは別の道を通るか検討し、ひとまず状況を確認することにした。魔法少女の視力で、喧騒の源に意識を向ける。

「……なっ」

 さくやは唖然とした。次の瞬間、彼女自身意識せず走り出し、変身していた。橋を飛び降り、河川敷の喧騒の源へ。

「何してるの!」

 さくやは着地し、叫んだ。……ひとりの魔法少女を囲む、竜ヶ崎の魔法少女たち4人に対して。

「鈴鹿さん……!」

 囲まれた魔法少女は悲愴な声を出した。傷だらけだった。明らかに魔女との戦いでついた傷ではない。

 竜ヶ崎の魔法少女のひとりが芝居がかった仕草で振り向き、嘲るように目を細める。

「ああ、虎屋町の鈴鹿さくや」

「その子に何をしてるのさ……!」

「何って、お願いしてるだけさ。君より強くて有用な魔法少女に、グリーフシードをお譲り頂けないかって」

「ふざけてる……! 樹里がそれを許したとでも!?」

「鈴鹿さくや、君がどれだけ竜ヶ崎のリーダーに詳しいか知らないけれど……よえーやつが悪い。樹里さんの言葉だ」

「……ああ、そう。自分の都合の良いように解釈したわけだ」

 さくやは徒競走のスタート準備めいて腰を落とした。竜ヶ崎の魔法少女の顔から笑みが消える。

「弱い奴が悪い。それなら言う通り力づくで止める」

「図に乗るなよ……君は所詮死んだ負け犬の一員に過ぎない。勝者である私たちに勝つことはババハッ!」

 次の瞬間、竜ヶ崎魔法少女の顔にさくやの膝が突き刺さった。彼女の魔法である加速を乗せた飛び膝蹴りである。

 竜ヶ崎魔法少女は吹き飛び、門前橋の下を流れる川に大きな音を立てて沈んだ。一拍遅れて、他の竜ヶ崎魔法少女3人がさくやを振り返る。さくやは怒りを瞳に、彼女たちの視線を真っ向受け止めた。

「許さない。結菜のいた街でこれ以上こんな真似はさせない!」

【ゲーム内:智珠らんか、笠音アオ】

randios:hiya

randios:調子どう

blue_axe:特に

randios:あっそ

randios:レイドやる?

blue_axe:デジプラーグ周回中

randios:あっそ

【ネザーキョウの暴君:タイクーンレイド開催中!限定素材ネザー鉄を手に入れよう!】

【交換希望。求:YotH穂先 出:要相談】

【ギルメン募集中!募集要項はギルドページをご一読ください。Sons of Chaos】

randios:元蛇の宮の子がカツアゲ遭ったんだって

randios:グリーフシードの

blue_axe:ふーん

randios:なにそれ

randios:もっとあるでしょ

randios:許せないとか

blue_axe:弱いから搾取される。当然じゃん

randios:もういい

 …………「なんなの、あいつ」

 ログアウトしたらんかは苛立たしげにヘッドフォンを外した。

 二木市で再び搾取が始まったという噂に、らんかはひどく驚愕したと同時に、予想した通りになったとも思った。竜ヶ崎には弱肉強食を好む者が多い。樹里がその最たる例だ。その光景を目の前にすれば、その瞬間は胸糞が悪いとやめさせるが、目につかない部分に関しては気にも留めない。

 搾取をやめるようにらんか自身が通達を出すことも考えたが、彼女より強い竜ヶ崎の魔法少女は何人かいる。全員が暴力的だ。樹里の命令でもない限り聞きはしないだろうし、反抗して余計に悪化する可能性すらある。

 モヤモヤした気持ちを解消するためにオンラインゲームにログインし、偶然アオを見かけたので声をかけたが……結果は先程の通りだ。

「アタシや樹里を殺そうとするくらいだったくせに……」

 搾取のない世界、そんなお題目を掲げた組織「蛇の宮」の元リーダーであるアオのあの態度は不可解だった。

 らんかは呻き、立ち上がった。ストレス発散はオンラインゲームではなく、ゲームセンターで行うことにした。

【高層ビル屋上:???】

 夜。二木市において一番の高さを誇るビル屋上の縁に、ひとりの少女が佇んでいる。少女は物憂げな瞳で眼下の街並みを睥睨する。左手中指には超自然に発光する宝石の指輪。ソウルジェム。

「……神浜に集う気配がない。あてが外れたんよ」

 風が吹き、少女は髪をおさえ、夜空を見上げる。魔法少女である彼女の体は少しもブレない。

 少女は踵を返した。立ち止まり、少しだけ振り向く。遠く視線の先には、魔法少女たちに集団リンチされる魔法少女。そこへ赤い風が向かい、取り囲む魔法少女のひとりを蹴り飛ばした。

「この街の時計の針はとっくに0時を迎えているのに、誰もそれに気付かず、意味のない行為を繰り返す。……哀れなんよ」

 少女は呟き、戦闘が始まったのとは反対方向に飛び降りた。彼女は正義の味方ではなく、やるべき事は他にある。ちょうどそのとき、二人目の魔法少女が加速を乗せたタックルを食らって吹き飛んだ。

【神浜市中央区:ピュエラケア】

 未だエンブリオ・イヴによる破壊の爪痕を色濃く残す中央区。その一角に停まる場違いなトレーラー。周りにはいくつかのパラソルが開かれているが、そこにいるのは3人だけだ。

「……お客さん来おへんなあ」

 ビーチチェアに凭れ掛かる最年長のピュエラケア、リヴィアがため息を吐いた。脇に佇むヨヅルが空になったコップを下げ、新しい飲み物の入ったコップをサイドテーブルに置く。

「キュゥべえによれば大きな争いが起きるかもしれないとのことでしたが」

「自信なさげな口調ではあったしなあ、外したってことやろ。いいことなんやけど、出張調整屋としては商売上がったりやなあ」

「別の場所に行きますか」

「うーん……まあ腕輪争奪戦の行方は気になるし、時女の子たちもおるし、ええんやけど……」

「ふん、ふんむふんふん!」

 月出里がぐっと拳を握る。

「なんや、元気づけてくれてるんか? 何言っとるかはわからんけど……ヨヅル」

「いえ、今のは何も言ってません。ふんふんしていただけです」

「ハァ!?」

「ふんむっふー!」

 月出里はご機嫌な様子で逃げ出した。追う気力も湧かず、リヴィアは渇いた笑みを浮かべた。

「イタズラ好きの子供か……」

「子供ですからね」

 リヴィアは天を仰いだ。眩いほどの日光が神浜市全体を照らしている。聞こえるのは、鳥の声、どこか遠くで動く重機の音、更に遠く飛行機の音……。

「平和やなあ」

 リヴィアは欠伸混じりに呟いた。

【路地裏:大庭樹里、笠音アオ】

 魔女が繰り出す触手をアオは蛇めいた軌道を描いて避け、バトルアックスで斬り裂いた。のたうつ魔女に向かって樹里が跳び、口らしき部位の中に火炎放射器の噴射口を突っ込む。

「おおらよっ!」

 火炎放射器の引き金が引かれ、チャージされた炎が放たれた。炎は魔女の全身を焼く。苦悶する魔女は体の端からボロボロと崩れていき、不意に爆発四散した。

「ケッ!」

 落ちてきたグリーフシードを、樹里は無造作に掴み取って自身のソウルジェムを浄化すると、アオに投げて寄こした。アオは受け取って浄化し、投げ返す。樹里はキャッチして投げ返す。アオは投げ返す。投げ返す。投げ返す。

「全ッ然熱くならねぇ! なんでこんな弱っちい魔女しか戻ってこねえんだ! つーか受け取れよ!」

「わたしは特に魔力使ってないし」

「ああそうかよ。クッソ……」

 樹里は肩をいからせて歩く。アオがその数歩後ろに着いていく。樹里は立ち止まり、振り返った。

「なんで着いてくるんだよ」

「同じ竜ヶ崎の仲間が一緒にいたらおかしい? もうわたしは蛇の宮じゃないし」

「おかしかないが、納得はいかねえ」

 樹里は詰め寄り、アオを見上げた。アオは動じず、ただ冷めた目で見下ろす。

「お前は元は蛇の宮のリーダーだろ。樹里サマを殺したかったはずだ。なのにどうしてそんなに従順になった?」

「あなたを見て心を入れ替えたんだよ」

「アァ?」

「あなたは紅晴結菜に勝った。暴力が秩序に勝利した。わたしはそれで悟った。この世は弱肉強食ってね」

「悟っただと? 体のいい諦めの方便を見つけたようにしか聞こえねえな」

 アオの瞳に感情の漣が走った。樹里は見極めようとする……。

「あ……樹里さん」

 そのとき、路地の角から竜ヶ崎の魔法少女二人が現れた。片方は足を引き摺っており、もう片方に肩を貸してもらっている。樹里の意識はそちらに逸れた。

「おいおい、どうしたその怪我は。魔女にやられたか?」

「いえ……これは、その……」

 魔法少女は口ごもった。樹里がツカツカと歩み寄り、ふんふんと魔力を嗅ぐ仕草をする。

「さくやの魔力か。どうせカツアゲしてたら割り込まれたんだろ」

「う……で、でも! あいつ生意気ですよ! もう二木市は竜ヶ崎のものなのに、未だに虎屋町のやり方を貫こうとして!」

「さくやもぶっ飛ばせばいい話じゃねえか。それがお前たちの言う竜ヶ崎のやり方だろ? おめおめ敗走して文句なんて、うちのメンバーも情けなくなったもんだな」

「ううっ……」

 魔法少女たちは完全に俯いてしまった。樹里は興味が失せたように視線を逸らし……考えるような仕草をした。

「だけど、あいつは未だに骨があるか。ニヒッ……いいねぇ」

 樹里は笑みを浮かべた。牙を剥き出した、攻撃的な笑みを。アオは黙って眺めている。

「喜べ、お前ら。望みを少しだけ叶えてやる」

【廃ビル:鈴鹿さくや、大庭樹里】

 夜。かつて紅晴結菜が死んだ廃ビルに、二木市の魔法少女たちは再び集まっていた。中央にいる二人を多数の魔法少女が取り囲み、樹里が片方に立っている点は同じだが、ひとつだけ異なっている点があった。紅晴結菜が立っていた場所に、鈴鹿さくやが立っていることだ。

「それで? 私をこんなところに呼び出してどうするつもり? 愛の告白でもしてくれるの?」

「お前は対象外だ、クソ陸上部。なに、予想はつくだろ?」

 さくやは周囲の魔法少女たちを一瞥した。竜ヶ崎の期待する雰囲気、虎屋町と蛇の宮の心配するような雰囲気。見せしめだろう。反抗的態度を取る不穏分子を痛い目に遭わせ、他の者からも反抗する気力を失わせる。

「私は正しいと思ったことをしてただけだけど、お気に召さなかった?」

「いいや。お前の勇気ある行動に樹里サマは大いに感服した。けどな、樹里サマにも立場ってモンがある。あんまり好き勝手されるのは困るんだ」

 言い訳に過ぎない。大方、全力を出せず燻っていたところに、全力を出せそうな案件が降ってきたから飛びついた……そんなところだろう。さくやはこれまで接してきた樹里の性格から看過した。

「泣いて逃げてもいいぞ。そのまま逃がすかは別だがな」

「ご心配なく。相手してあげるよ」

  さくやは短剣を生み出し、構えた。二人の魔力の高まりに、周囲の瓦礫がひとりでにカタカタと鳴った。

「私にも、樹里と戦いたい理由があったからね……!」

 樹里が獰猛な笑みを浮かべた。さくやは脚に力を込め……仕掛けた!

【廃ビル:鈴鹿さくや、大庭樹里】

「オラァッ!」

 樹里は火炎放射器を前に突き出した。さくやは速度を緩めず、樹里の上を飛び越す。速すぎて短剣の投擲を狙えない。不安定な姿勢で着地する。

「加速して初手で仕留めるってのは、単純だが有効だ。相手はまだ戦う準備が完全にはできてないかもしれないからな」

 樹里はゆっくりと振り向いた。その時にはさくやは既に再加速していた。樹里を中心に円を描くような軌道。

「加速ってのはいい魔法だよな。単純で強い。姉さんのセコい魔法とは大違いだ。二つ目の魔法を手に入れるなら加速がいい」

 さくやは段々と円の半径を狭め……不意に急接近する! 狙うは樹里の背中! 逆手に構えた短剣で斬る!

「けどなっ!」

 樹里は火炎をあらぬ方向へ噴射した。そして、反動を利用して反対方向に跳び、肘打ちを繰り出した。

「がっは……!」

 苦悶の声を上げたのは樹里ではなかった。さくやは胸の中心に樹里の肘打ちを食らっていた。後方に吹き飛んで地面を転がる。

「細かい制御はできねえだろ。意識が加速するわけでもない。そして向かってくる瞬間、殺意が樹里サマの方向に定まる。そこまでわかれば後は気合いで避ける。簡単じゃないが出来なくはない」

 樹里がゆっくりと近付く。さくやは咳き込んで樹里を見上げる。今ので肋骨にヒビが入った感覚があった。加速の勢いを一点に凝集して返されれば、こうもなるか……!

「ほら、立てよ。姉さんほどは期待してねえ。樹里サマをちょっとでも楽しませろ!」

「さっきから姉さん姉さん、ってうるさいな……!」

 さくやは数本の短剣を生成し、全て投擲した。それだけでも胸に激痛が走った。樹里は火炎放射器で難なく弾き、一本を首を傾けて躱す。

「結菜のこと大好きか、あんたは……!」

「あぁ、その通りだ、よっ!」

 樹里は火炎を噴射した! さくやは加速し、燃やされながら正面から突っ込んだ! 驚愕する樹里にタックルして押し倒し、マウントポジションを取る!

「このまま!」

 さくやは片手に新たな短剣を生成する。このまま加速して突き刺し、勝負を一気につける!

 しかし次の瞬間、樹里は瞬発的なブリッジをした! 腹の上に乗っていたさくやは真上に弾き飛ばされる!

「得物がなくなったなら、さっさと殴るなりしたほうがマシだったな。そして……」

 樹里は立ち上がり、真上に火炎放射器を構えた。さくやは空中であり、避けることができない!

「ウェルダンだ!」

「うああああっ!」

 火炎が噴射される! せめてもの防御姿勢を取ったさくやの身体を炎が苛む! 取り囲む魔法少女たちの悲鳴、そして歓声!

 樹里が噴射をやめ、さくやが力なく地面へと落下した。全身を火傷しているが、先日の結菜ほどの状態ではない。その背中を樹里が踏みつける。

「姉さんほどじゃなかったが、楽しめたぜ。一瞬ひやっとさせられたしな。ま、これに懲りたら目立つ真似すんなよ」

 さくやは返事をできない。樹里は満足げに帰ろうとし、ふと気付いて虎屋町の魔法少女たちを振り向いた。

「そうそう、樹里サマが帰った後さくやを治療したりしようとすんなよ。これは見せしめなんだからな」

 そう言い残し、樹里は今度こそ帰路に着いた。取り囲む魔法少女たちも解散し、各々の家へ。虎屋町の魔法少女たちは、倒れたままのさくやを見えなくなるまで心配そうに振り返っていた。

 さくやは土に手をつき、苦心して仰向けになった。霞む視界に月明かりがぼやけて映る。

(……まけ、た……)

 せめて一矢報いることができればいい。その望みすら打ち砕かれた。残ったのは、全身を未だ灼くような痛み、何も出来ずに圧倒的な力の差を見せつけられる屈辱……。やりきれずに地面を殴ると激痛が走った。

 さくやは意識が薄れてくるのを感じた。このまま倒れていたら一般人に見つかって救急車や警察か。理由を聞かれたところで、魔法少女に焼かれましたなど説明できるはずがない。己を強いて起き上がろうとするが、身体が動かない。そのうちに視界の大部分が黒く染まり、残った部分もすりガラス越しのようだった。

 さくやは諦めて目を閉じた。死にはしない。ただ、非常に面倒なことになる可能性が高いだけだ……。

「……ん……」

 遠くから声が聞こえた。実際にはすぐ近くかもしれない。さくやはそちらに意識を集中しようとするが、うまくいかない。なんとか目を開き、霞んだ視界で声の方向を見る。

「……てるっ……」

 誰の声だかも判別がつかなかった。ただ、懐かしい声のように思えた。

「……結菜……?」

 さくやは呟いた。そこでついに彼女の意識は途切れた。

第一部終了時点における各キャラの状況
紅晴結菜:死亡
大庭樹里:目標がなくなり、ただ生きるだけの日々を過ごす
笠音アオ:結菜の死に世の摂理を悟り、全てを諦めた日々を過ごす
鈴鹿さくや:竜ヶ崎構成員の横暴を許せず、パトロールしては潰して回っていたが、樹里の見せしめを受けて敗北
智珠らんか:搾取の復活した街に心を痛めるが、血気盛んな彼女らが聞くはずがないと諦めている
有愛うらら:二木市の魔法少女が神浜に集うと聞いて派遣されたが、その気配がなかったため神浜へと戻る
煌里ひかる:死亡……?

第二部 プロミストブラッド

【かつての光景:虎屋町拠点:紅晴結菜、鈴鹿さくや】

「おっ結菜、おつかれー。……なんか本当に疲れてる?」

 ドアを開ける音に振り向いたさくやは、結菜の眉間に寄った皺に気付いた。結菜はソファに腰を下ろし、深く沈みこんだ。「行儀わるーい」とさくやが笑う。

「学校でひかるの駄々に付き合った後、樹里のストレス解消にも付き合ってねぇ……」

「ありゃりゃ、それは確かに大変だ。怪我は?」

「ないわ。ただ、やっぱり精神的に疲れたわぁ……」

「結菜は変わった子に好かれやすいもんね」

「あなたみたいな子にねぇ」

「親友のさくやちゃんになんて言い草!」

 さくやはケラケラと笑った。結菜はさくやをじっと見る。

「他人事みたいな雰囲気出してるけど、あなただって大概だと思うわよぉ」

「え、私? ひかるとか樹里みたいなタイプに熱狂的に好かれてはいないけど」

「今はそうでも、これからはどうかしら。そのうちさくやにも、たとえばその陸上で鍛えた脚を愛する人が現れたり……」

「何その変態っぽい発想! ……結菜、まさか私の脚をそんな目で……」

「それはどうかしらねぇ」

「いや否定してよ」

「ふふっ。さくやと話すのは気が楽ねぇ」

 結菜が笑みをこぼした。拠点に帰ってきてからやっと見せた笑顔に、さくやは安堵した。

「それはどーも。まあ、結菜は生徒会長して虎屋町のリーダーして大変そうだし、さくやちゃんセラピーくらいならいくらでも付き合うよ」

「頼もしいわねぇ。明日の生徒会会議代わってくれるかしらぁ」

「いやセラピーじゃないし、学校違うし」

 結菜とさくやはその後も中身のない会話を続けた。そのうちに虎屋町のメンバーが少しずつ集まり、拠点はだいぶ賑やかになっていた。

【廃教会:鈴鹿さくや、煌里ひかる】

「……う……」

 痛みが走り、さくやは目を覚ました。懐かしい記憶の夢を見ていた。楽しかった頃の夢。まだあの夢に浸っていたかった。弱気になっている自分に気付き、彼女は自分の頬を叩こうとして、痛みに顔をしかめる。

「起きたっすか。……何変な格好してるんすか」

 ぎぃ、と古めかしい扉を開ける音と共に声がかけられた。気絶する寸前に聞いた声、そしてそれ以前の記憶にある声をさくやは思い出す。痛みを堪えて起き上がり、声の方向を見る。

「……ひかる」

「ひどい怪我っすね。でも生きてて良かったっす」

 さくやの目の前にいたのは、結菜の死以降姿をくらましていた虎屋町の馬、煌里ひかるだった。

「それはこっちの台詞だよ! 生きてたの!?」

「死んだなんて言った覚えはないっすよ。……まあ一時期は死んだも同然だったっすけど……それより、あんまり動かない方がいいっすよ。今はさくやさんのほうが死にかけっす」

「別にこのくら……っつつ……まあ、そうだね……」

 さくやは再び横になった。背中に当たる感触の硬さに、初めて自分が木の長椅子に寝かされていることを知る。周囲を見回し、自分がいるのがどうやら教会らしいことも知る。連れてこられたのだろう。

「神父さんとかいないの?」

「もう使われなくなったみたいっすよ。ここに来たのはさくやさんが初めてっす」

「ふーん。……ねえ、色々聞きたいことがあるんだけど」

「なんすか?」

 さくやはひかるを凝視した。ひかるは首を傾げる。

「幽霊じゃないよね?」

「だから生きてるって言ったじゃないっすか」

「いや、……てっきり、ひかるはもう……」

「まあ、さっきも言ったように、確かに一時は死にかけてたっす。結菜さんのいない世界で生きるなんて、考えられなかったっすから」

「そう、それだよ!」

 さくやは身を乗り出し、長椅子から落ちかける。

「ひかるにとって結菜は全てだったじゃん。なのにどうして結菜と樹里の戦いに来なかったの?」

「結菜さんの命令だったからっすよ。結菜さんから聞かなかったっすか?」

「いや、何も……」

「まあいいっす。さくやさんの言った通り、結菜さんはひかるの全部っす。だから絶対行きたかったし、結菜さんと一緒に死にたかったんすけど……一生に一度のお願いを使われちゃったんすよ。それでひかるは行けなくなっちゃって、拠点で一人だけお留守番してたっす」

「はぁ……」

「自分から聞いといてなんすかその反応……」

 ひかるは微妙な表情になりながら続ける。

「で、結果報告を待ってたらなぜかアオさんが来て、結菜さんが死んだことを聞かされて、あわや魔女になりかけたっす」

「ならなかったの? というか、アオはひかるが拠点にいるって聞かされてたの?」

「後で聞いたら予想したって言ってたっす。ひかるが魔女にならなかったのは、アオさんが無理矢理グリーフシードを当ててきたからっすね。結菜さんに面倒見ろって言われちゃったから、って」

「でも、そんなのひかるにとって焼け石に水なんじゃ」

「その通り。精々濁る早さが落ちたくらいっす。でも、その時ひかるは目標を見つけた。その目標を達成するためにはまだ死ねないって自分に言い聞かせて、ひかるは魔女化を回避したんすよ!」

「……目標」

 さくやは呟いた。ひかるの笑顔に反して、その「目標」が前向きなものだとは、さくやにはどうしても思えなかった。そして、ひかるが何を目標にしたのかも、ほとんど予想はついていた。

「……何を目標にしたの?」

 尋ねた次の瞬間、ひかるの表情から温度が消えた。瞳の奥に覗くものは……凍てつくような、殺意。

「大庭樹里への復讐っすよ。結菜さんが受けた苦しみを何十倍にもして与えて、殺す。その後ひかるも結菜さんの後を追って、あの世で褒めてもらうんす。そのためにひかるは生きることにしたんすよ」

【廃教会:鈴鹿さくや、煌里ひかる】

 さくやはため息をついた。ひかるの言葉は予想通りのものだった。

「結菜がそれを望んだ?」

「結菜さんだったら、そんなこと考えずに自分の人生を歩んでほしいって言うっすね。でも、ひかるは結菜さんの意思に従う必要はないんすよ」

 ひかるの目には一点の迷いもない。考えを変えることはできないだろう。

「それで、さくやさんにお願いがあるんすけど」

「……協力しろって?」

「察しが良くて助かるっす」

 大庭樹里を殺すことへの協力。以前までのさくやであれば断っていただろう。事実、樹里との一騎打ちの際も殺すつもりはなかった。虎屋町にいたときも、樹里を殺さずに事態を解決する方法を結菜が最後まで探っていたからこそ、迷わずに戦えていた部分はあった。……しかし。

(あの時結菜が樹里を生かしたからこそ、この状況が生まれた……)

 結菜は樹里に二度勝利している。そのどちらかのタイミングで樹里を殺していれば、そもそも竜ヶ崎が台頭することはなかったのではないか。別の者がリーダーになってグループが生まれていたとして、結菜が死ぬような事態にはならなかったのではないか……。しかし今さら樹里を殺したところで、より大きな混乱が二木市を覆うだけかもしれない……。

「……協力は、する。けど、竜ヶ崎の支配を終わらせるのがひとまず私の目的だから……樹里を殺すってところまでは、まだ決断できないかな……」

「ひかるは反対にそっちは興味ないんすよね。それならさくやさんが竜ヶ崎を倒すこと、ひかるは大庭樹里を殺すことに専念して分業っすね!」

「それは分業とは言わないと思うけど……」

「とにかく、さくやさんが協力してくれるみたいで嬉しいっす! 初めての仲間っす!」

「初めて? そういえば、他にひかるに協力してるメンバーはいないの? アオとか」

「つい最近なんすよ、ひかるがここまで安定したのは。まだちょっと危ないっすけど。だから勧誘もこれが二度目っす。アオさんが初めての相手だったんすけど、それは結菜さんとの約束に含まれてないって」

「ふうん……」

 さくやはアオのことを正直よく知らなかったが、一時は結菜と樹里を殺そうとしていたことと、今は変わってしまったという噂は聞いていた。そんな彼女が樹里を殺す協力の申し出を断るとは、確かに変わってしまったのかもしれない。搾取を肯定しているという噂もある。

「ま、そしたらメンバー集めからか。蛇の宮みたいなことするわけだから、バレないようにしないとね」

「っす! ひかるはまだ行方不明か死んでることにしてたいっすから、さくやさんが入ってくれるのはすごい助かるっす!」

「それでさ、グループ名とかもうあるの? まさかひかる軍団じゃないとは思うけど」

「え、……じゃあ結菜さん軍団とか……」

 さくやは無言。ひかるはたじろぐ。

「うう……さくやさんは良い案あるっすか?」

「私? うーん……」

 さくやの脳裏に、血の惨劇の最中に結菜と交わした会話が蘇る。息が詰まるようだった毎日の中で、もし虎屋町以外のグループ名をつけるとしたら何か、という結菜が始めた他愛もない会話。

『二木市に平和をもたらす。あの子たちの流した血に私たちはそう誓っている。だから、そうねぇ……約束の血……』

プロミスト・ブラッド

【かつての光景:虎屋町拠点:紅晴結菜、笠音アオ】

「いらっしゃい、蛇の宮のリーダー」

「解散したから元、だけどねー」

 アオは手をひらひらと振り、クッションに勢い良くぼすんと座る。

「初来訪なのに随分と大きな態度ねぇ」

 結菜は面白そうにクスクスと笑った。

「気を遣わなくていいって言ってもらった仲だしー」

「言ったわねぇ」

 結菜は特に気分を害した様子もなく、ティーポットからカップに紅茶を注ぎ、アオの前に置いた。「どうもー」とアオは遠慮なく紅茶を傾ける。

(竜ヶ崎とは違うなー)

 アオはかつて潜入した竜ヶ崎拠点を思い出していた。彼女たちは廃墟を間借りしたと思しき場所を拠点としており、照明は点いていたもののどこか薄暗く、退廃と暴力のにおいが常に漂っていた。一方、虎屋町拠点に漂うのは……温かさと、優しさの香り。

 彼女が今日ここに来たのは、結菜から二人で話がしたいと呼ばれたからである。アオは結菜のことをよく知らず、得られる情報はひかるからの……バイアスが多分に含まれていそうな……話からだけだったため、自分で見定める良い機会であると了承した。これまでの印象としては……。

(超が付くほどのお人好し)

 確かにこの温かい空気はひかるが言うように中毒性があるし、竜ヶ崎の面子がこの空気に合わないのも理解できた。紅晴結菜が殺意を抱くような相手は果たして存在するのだろうか、そんなことすら考えてしまう。

「それで、私を呼んだ用事って? 親睦を深めるだけじゃないよね?」

「それも呼んだ理由のひとつだけど、早速本題に入りましょうかぁ」

 結菜もまたソファに腰掛ける。所作の端々から育ちの良さをアオは読み取る。

「あなた、ひかると仲が良いみたいねぇ」

「ひかると? んー、でも裏切られちゃったしなー。誰かさんの作戦で」

「申し訳ないと思ってるわぁ。……もしかして、私のせいであまり仲良くないの?」

「じょーだん。おたくのひかるちゃんとは、変わらず良好な関係を続けさせてもらってるよー」

「そうよね、良かったわぁ」

 結菜は嬉しそうな表情になった。縁談を結ぼうとするおばあちゃんみたい、そんな失礼な思考がアオの脳裏に浮かんだ。

「それでね、お願いなんだけど。もし私が死んだら、ひかるの面倒を見てあげてほしいのよ」

 その言葉を咀嚼するのに、アオはやや時間がかかった。考えつつ、問いを発する。

「死ぬ予定でもあるの?」

「いいえ。まだ油断できないとはいえ、樹里を下したことで少しは平和になったし、魔女も復活の兆しを見せている。むしろ死ぬ予定は先延ばしになったと思ってるわぁ。ただ……」

 結菜は中指のソウルジェムを見る。

「そうは言っても、魔法少女の死は突然訪れる。明日死ぬ可能性もないわけじゃない。だから保険みたいなものねぇ。あの子、私がいないと何もできなくなりそうだし」

「私もそう思うなー。まずひかるに後追いさせないって部分がハードモードそう……」

「ハードモード? ……まあ、これは無理を承知でのお願いよぉ」

「私じゃなくて他の人じゃだめなの? 虎屋町の知り合いとか」

「あの子は秘密兵器みたいな扱いだったから、むしろ私以外はあなたのほうが付き合い長いのよぉ」

「なるほどねー……」

 信頼されたものだ。アオは手に入れた情報と信頼を利用できないかと考えかけたが、結菜を前にするとそういった思考も自然と溶けて消えてしまった。

(ほんと、人誑しって感じだなあ)

 アオはなんとなく悔しくなった。結菜は真剣な表情でアオの返答を待っている。

「……事情はわかったし、協力はしてあげる。その代わり、ひとつ条件」

 アオは片手の人差し指を立てた。結菜は首を傾げる。

「二木市を搾取のない場所にすること。弱い子が強者の言いなりになるしかないような街にしないこと」

 今度はアオが真剣な表情をしていた。結菜は目を丸くし、すぐに優しい笑みをこぼした。

「ええ、約束するわぁ。暴力が上に立つ時代は、私が終わらせる」

 アオはしばらく結菜を見つめ……力を抜いて背中をクッションに埋めた。

「ま、姉さまならそうだよね。期待してるよー?」

「姉さま?」

「竜ヶ崎のリーダーは結菜さんのことを姉さんって呼んでたでしょ? それにあやかって姉さま」

「そう。……ふふっ。アオみたいな子が妹なら、悪い気はしないわねぇ」

「余裕ぶってるけど大丈夫かなー? 姉さまが死んだらと言わず、すぐにでもひかるのこと奪っちゃうかもよー?」

「あら、そしたら私はひかるのものだから、私もアオのものになるのかしらぁ」

「うわ出た、よくわかんない関係……そういえばひかるからもまだ聞いてなかったけど、何があってそんな倒錯した関係になったの?」

「人聞きが悪いわねぇ。でも、そうねぇ……初めて会ったのは空き教室で、その時のひかるは泣いていて……」

 ひかるとの思い出を語る結菜の横顔は、どこまでも優しかった。

 アオはまだ結菜のことを無条件に信頼したわけではない。それでも、虎屋町の参謀になって、結菜が二木市の覇を握るのを手助けするのもいいかもしれない……そんなことを考える程度には信頼してしまっていた。

(まんまと親睦深めちゃったなあ)

 アオは自分の単純さに苦笑した。結菜が不思議そうにアオを見た。

【自室:笠音アオ】

 カチカチカチカチ、カチャ、カチカチカチ。

 派手なエフェクトと共に黒橙の男のバストアップが映り、周囲の敵が一斉になぎ倒される。右上には「+++FEVER BONUS!+++」の表記と共に、残像が生まれるほどの速度でスコアが加算されていく。

 カチカチカチカチ、カチャ、カチカチカチ。

 画面上の派手さとは反対に、部屋は静寂そのものであった。ヘッドフォンをしているため、コントローラーが立てる音だけが響いている。

 カチカチカチカチ、カチャ、カチカチカチ。

 プレイするアオの表情は無そのものである。楽しんでいたり、熱中しているような色はどこにもない。時々来るフレンドからのチャットも全て無視している。

 カチカチカチカチ、カチャ、カチ……。

 アオは手を止めた。スマートフォンが振動し、メッセージが来たことを伝えていた。ロックを解かずに通知欄を見る。

『さくやさんがプロミストブラッドに入ったっす!』

『あ、プロミストブラッドっていうのはっすね……』

 ……カチカチカチカチ、カチャ、カチカチカチ。

 アオはゲームを再開した。先程までと全く変わらない、感情のない顔で。

 カチカチカチカチ、カチャ、カチカチカチ。

「死ぬ予定は先延ばしになった、って言ってたくせに」

 カチカチカチカチ、カチャ、カチカチカチ。

 カチカチカチカチ、カチャ、カチカチカチ……。

【カタコンベ:鈴鹿さくや、煌里ひかる】

 ひかるが足を止めた。さくやは振り返る。

「やっぱり、行きたくないっす……」

「……まあ、そうだよね。でも一度くらいは、さ……結菜だってきっと待ってるし……」

 ひかるは俯いた。さくやが目の前に手を差し出すと、躊躇いがちに握ってくる。さくやはひかるの手を引いて、ゆっくりと先に進んだ。やがて開けた空間が彼女たちを出迎える。

「着いたよ。……最初にも言ったけど、怒って暴れ回ったりはしないでね」

「……自信ないっす」

「……うん」

 さくやはひかるの手を離し、一つの墓の前まで歩いた。「敗者」と刻まれた墓。

「久しぶり、結菜。今日は他の人と一緒に来たんだ。結菜も会いたかったでしょ」

 さくやはひかるを振り返った。ひかるは恐れるような表情をし……意を決して結菜の墓を見た。瞬間的に膨れ上がる殺意。

「ひかる」

 さくやの落ち着いた声。ひかるは深呼吸した。何度も、何度も。安定せず、彼女は蹲った。さくやが屈みこんでその背中をさする。

「なんなんすか、あれは……!」

「多分竜ヶ崎が書いたんだと思う。自分たちが勝ったんだと感じるために」

「そんな、くだらないことのために……! 結菜さんを使って……!」

「わかるよ。でも抑えて。今はただ結菜のことを悼もう」

 ひかるは深呼吸を繰り返した。さくやはその間ずっと背中をさすっていた。一分ほど経ち、ひかるが息を吐いて立ち上がる。

「そうっすね。この報いは絶対受けさせるっすけど……結菜さんのために来たっすもんね」

「うん。色々報告してあげなよ、最近何してたとか」

 さくやたちは結菜の墓のすぐ近くに座り、静かに会話を始めた。時々ひかるが涙ぐみ、さくやがハンカチでその目尻を拭う。

 そうして、10分ほど経った後。

「……!」

 ひかるは鼻をすんすんと鳴らし、立ち上がった。その髪は瞬間的に膨れ上がった殺意の魔力に揺らめいている。

「ひかる!?」

「大庭、樹里……!」

「ええ!?」

 さくやは魔力探知に集中した。しかし自分たち以外の魔力を見つけることができない。

「本当に?」

「結菜さんと大庭樹里の魔力は記憶の中で繰り返し反芻して覚えた、だからかなり遠くからでもわかるっす。まだだいぶ遠いけど、こっちに向かってきてるっすね。良い機会っす」

 ひかるは変身してレイピアを生成する。

「ここで殺して、結菜さんへの手土産にするっす」

「ダメだ!」

 さくやがひかるの腕を掴んだ。ひかるは驚いた表情をする。

「ここはお墓だよ! それに私たちの用意もできてない!」

「大庭樹里を殺す用意ならいつでもできてるっすよ」

「とにかく今はダメ!」

 ひかるは不服そうにさくやを睨みつけ、周囲を見回す。

「じゃあどうするんすか。出入口は一箇所しかなくて、隠れられそうな場所もないっすよ」

「ええと……」

 さくやもまた周囲を見回した。ひかるの言うように隠れられそうな場所はなく、……いや、あるにはある。

「……罰当たりだけど」

 さくやは壁際までひかるの手を引き、ひとつの空いた棺を指し示す。

「ここしかない!」

「ひかるに生き埋めになれって言うんすか!?」

「後で出てきていいから!」

「大庭樹里を殺せると思ったのに……!」

 ブツブツと呟きながら、ひかるは棺に入った。さくやは墓穴に棺を押し込み、申し訳程度にスコップで土をかき集めて入口を塞ぐ。魔法少女筋力の助けもあり、一分もかからず他の埋まった墓穴と遜色ない見た目になった。

 さくやは汗を拭った。ここまでは上出来だ。あとは……。

「よお、クソ陸上部」

 樹里の目をいかに誤魔化すかだけだ……!

【カタコンベ:鈴鹿さくや、大庭樹里】

「なんでそんな土塗れでシャベル持ってんだよ」

「これはスコップだよ。別に、ちょっと土が崩れてたから直しただけ。そっちこそ何の用?」

「墓参りに決まってんだろ。ああ、この前は悪かったな。ストレス溜まっててさ」

「おかげさまで、何日か激痛で寝込むだけで済んだよ」

 さくやは軽口を叩きつつ、ひとまず安堵する。樹里が怪しがったりひかるの魔力を捉えたような様子はない。あとは穏便に帰ってもらうだけだが……。

「樹里も墓参りなんてするんだね」

「滅多にしない。ただ姉さんの墓くらい一度は拝んでおこうと思ってな」

「あっそ」

「そういやお前、虎屋町の馬って知ってるか?」

 さくやは動揺を表に出さないよう努めた。まだ樹里にバレた気配はない。

「……うちの秘密兵器だね。それがどうかした?」

「らんかが消息気にしてんだよ。ただアオは死んだだろうっつってるし、同じ学校の奴らにインタビューしても似たようなこと言うし、気にしなくていいと思うんだよなあ」

「……さあね。ただ、結菜に相当執着してたみたいだからね。死んだのかも」

「やっぱそうだよなあ。そいつの墓はないのか?」

「まあ……まだ生きてるかもしれないし、遺体もないし」

「そうかよ。樹里サマは死んだほうに賭けるけどな」

 樹里はどうでも良さそうだった。まさか生きて空いた墓に隠れているとは少しも疑っていないらしく、さくやは再び安堵した。

「つーか、姉さんの墓はどれだ? 墓多すぎてわかんねえ」

 元はと言えばほとんど樹里が原因の抗争で死んだようなものなのに、その言いぐさか。しかし今は突っかかって余計な荒波を立てたくなかったため、さくやは黙って結菜の墓を指さした。

「ふーん、あれ、か……?」

 樹里は結菜の墓を見上げ、眉根を寄せた。

「……本当に、あれか?」

「そうだけど?」

「……なんで」

 樹里は低く呟いた。さくやは訝しみ……次の瞬間、恐るべき速さで近付いてきた樹里に胸倉を掴まれていた。

「なんで姉さんの墓に、あんなふざけた真似がされてる……!」

 樹里の全身から放たれる怒気に、さくやは本能的に震え上がった。まるで荒ぶる竜に睨み付けられているかのような錯覚が彼女を襲っていた。ビリビリと空気が振動している。

「……り、竜ヶ崎が、やったんでしょ。私たちがあんなの、書くわけない。というか、滅多に来ないって言ってたけど、本当は樹里が」

 さくやは強がって軽口を叩こうとしたが、樹里の殺気に口を噤んだ。最後まで言っていれば、本当に樹里に殺されていたかもしれない。そう考えてしまうほどに凄まじい怒りだった。

「ふざけんじゃねえぞ……」

 樹里は呟き、さくやを乱暴に解放した。踵を返し、カタコンベを後にする。さくやはその場にへたりこんだ。まだ指先が震えている。もう少しで腰が抜けるとさえ思った。

「行ったっすね」

 十分な時間が経ってから、ひかるが(どのようにしてか)自力で棺から這い出してきた。

「……ゾンビ」

「元気ないなら冗談言わなくていいっすよ」

 ひかるが差し出す手を掴んで立ち上がる。伝わる体温に安心し、さくやの震えが少し収まった。

「この前は燃やされて、今度は威圧感だけで殺されかけて……心臓に悪いよ、ほんと……」

「確かに凄まじい魔力だったっすね。結菜さんのためにあんなに怒って」

 ひかるは少しも面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「殺しておいて、あんなに怒って。ふざけるなはこっちの台詞っすよ」

「……キレた樹里は、この後どうすると思う?」

 さくやが不意に問うた。ひかるは露骨に興味無さそうに返事をする。

「犯人探しでも始めるんじゃないっすか」

「そうだよね。そして、樹里が犯人を許すはずがない……」

 さくやは呟き、決心する。

「見に行くよ」

「犯人探しをっすか? 見てもなんにもならないと思うっすけど……まさか犯人を助けるとは言わないっすよね?」

「状況によってはあるかもしれないけど、プロミストブラッドに入った手前、目立ちたくはないかな……樹里がどれだけ結菜を想っていたのか興味あるからね」

「別にひかるは興味ないっすけど……まあ暗殺のチャンスがあるかもしれないっすね。わかったっす、着いていくっすよ」

【廃ビル:大庭樹里】

「なんだってこんな時間に招集なんだろ」

「しかも急ぎときた。リーダーはお怒りかもしれないな」

「お怒りって何に……反逆者が見つかったとか?」

「知らんよ。樹里さんはシンプルかつ難しい……」

「ほんとアンタは樹里さんのこと好きだよね……」

 夜遅く。竜ヶ崎の魔法少女たちが眠気を堪えながら集合場所を目指す。要件は伝えられず、ただ急いで来いとの連絡のみ。それでも無視すれば何があるかわからないため、彼女たちは黙って樹里の言葉に従う。

 ……そんな彼女たちの様子を、遥か遠く離れたビル上から眺める影が二つ。

「さすがに遠すぎたかな……魔法少女の視力でも見づらいな……」

「じゃあもっと近付くっすか? こんなところで見つかるのはひかるは嫌っすけど……」

「だよね……まあバレたくないし、ここから見てよっか」

 さくやは手をひさしのようにかざして土手のほうを眺めていた。そこに向かって竜ヶ崎の魔法少女たちが続々と集合している。樹里は誰よりも早く到着しており、腕組みして目を瞑っていた。傍らにはらんかがいるが、他の者たちと同じく何も聞かされていないのか、不安げな視線を樹里に向けている。

 やがて、最後の一人が到着する。らんか以外の魔法少女たちは、全員樹里の前側に立っている。

「樹里、全員揃った」

 らんかが声をかけた。樹里は大きく息を吸って、吐き……目を開いた。抑え込まれていた怒気が解き放たれた。

「ひっ……!」

 誰かが怯えた声を出した。中には腰が抜けてしまった者もいた。怒気を向けられていないらんかでさえ、胃がひっくり返るような恐怖に襲われている。

「姉さんの墓に、ふざけた真似をしやがった奴がいる」

 樹里の声は震えていた。伝説上の竜じみて、恐ろしい声だった。

「虎屋町がするはずがねえ。蛇の宮が恨むなら樹里サマだ。誰がやった。言え」

 竜ヶ崎の魔法少女たちは……誰も答えない。答えられないと言っても間違いではないだろう。声を発するだけで焼き殺されてしまうのではないか……そう感じている者も一人や二人ではない。

「答えねえなら、端から一人一人ボコボコにする」

 樹里はツカツカと魔法少女の一人に近付く。

「え……え?」

 その魔法少女は困惑した。あまりの恐怖に思考が鈍り、自分が今から何をされるかさえ認識できていなかった。樹里が拳を振りかぶり……その魔法少女の顔を思いきり殴りつけた。

「アバガッ!?」

 その魔法少女は周囲の魔法少女を巻き込みながら吹き飛び、動かなくなった。気絶したのだ。

「全員ボコボコにすれば、その中に犯人が含まれてるわけだ。余計な被害も生まれるが、犯人を知ってて言わねえのが悪いよな」

 樹里は別の魔法少女を見た。その魔法少女は震え上がってホールドアップする。

「誰だ、犯人は」

「し、知りません! 本当です! ガババッ!」

 樹里の蹴りが腹に突き刺さり、「ゴボボーッ!」その魔法少女は悶えながら吐瀉物を撒き散らした。次は誰だ、自分の番はいつ来る。暴力を得意とする竜ヶ崎の魔法少女たちの全員が、今この場では巨大な災害に見舞われる哀れな常人だった。

「あ、あいつです!」

 魔法少女の一人が、別の魔法少女を指差した。

「そ、そうです!」「私もあいつが自慢してるの聞きました!」

 他の魔法少女たちも続々とその魔法少女を指差す。指差された犯人の魔法少女は驚愕に目を見開き……樹里の殺意にあてられ、泣き叫んだ。

「ひいいいああああああ!」

「お前か?」

「ちがいます、ちがいますううあああ! 私じゃありません! 信じてくダバアッ!」

 言い切る前に、樹里はその魔法少女を回し蹴りで吹き飛ばした。

「いいや、お前だ。クソつまんねえ嘘はどうでもいい」

 樹里は発狂寸前の魔法少女に近付き、足を振り下ろして左手を砕いた。「いぎいああああ!」魔法少女が絶叫した。

 実際彼女は結菜の墓に悪戯をした犯人である。樹里は荒れ狂いながらも心拍数や瞳孔の収縮から確かに読み取っている。犯人である彼女の行動は、ようやく抗争が終わった開放感と、一緒にいた仲間たちに囃し立てられて気が大きくなったゆえの、大した理由のない悪戯だったわけだが……その時一緒にいた仲間たちは彼女をスケープゴートとし、災害が去るのを無力な家畜めいてただ待っている。

「いいか……! 姉さんに!

 樹里は右手を踏み砕いた。両手の指があべこべに折れ曲がる。

ナメた真似を! するな! 二度と!

 樹里は犯人の魔法少女の横っ腹を蹴った。犯人は泥に塗れながら転がる。樹里はその背中を何度も踏みつけた。一度踏みつけるごとに骨の砕ける音が鳴り、犯人の身体がバウンドした。

二度とだッ!!

 樹里は火炎放射器を向け、引き金を引いた。尋常ではない量の炎と風が噴射される。炎は樹里の身体さえも焼いているが、構わない。

 犯人の少女は叫び声を上げていたが……数秒でそれは止まり、動かなくなった。聞いた者はいなかったが、ソウルジェムが砕ける音が鳴っていた。

 炎の噴射は一分以上にも及んだ。ようやく炎が止まったときには……少女はそこにいなかった。存在すらしなかったかのように、痕跡ごと消えていた。

 樹里は俯き、肩で息をしていた。周りの誰も動かなかった。全員がこの怒れる竜を恐怖し、どれだけ些細な刺激でも与えないようにしていた。……だが一人だけ、少女たちをかき分けて樹里の元へと向かう魔法少女がいた。その魔法少女が隣に立つと、人外じみて赤く光る樹里の瞳がそちらに向いた。

「ソウルジェム。濁ってる」

 らんかはグリーフシードを樹里のソウルジェムに当てた。樹里の瞳の光が薄れる。

「……ああ」

 樹里は再び俯いた。全身から発せられる殺気は失せていたが、それでもなお魔法少女たちの目にその姿は恐ろしく映った。

 ……「ありえない、仲間を殺すなんて……」

 一部始終を見届けたさくやは絶句していた。何らかの制裁は行われると踏んでいたが、まさか殺すまでとは。

「自分が殺した相手のために、仲間を殺す? 何考えてるの、あいつ……理解できない」

「そうっすか?」

 ひかるが疑問を挟んだ。彼女は一部始終を見届けても、冷静どころかどこかつまらなそうだった。

「ひかるがあの悪戯見たときも、犯人を殺してやりたくなりましたし……虎屋町の人がやってたとしても、ひかるはきっと殺しに行ってたっすよ」

「なっ……それは、でも……本気で言ってるの?」

「本気っすよ。それにしても暗殺の隙なかったっすね。まあ元から期待してないっすけど……」

 ひかるは残念そうに言った。さくやは理解できなかった。人が死んでいるというのに、少しも気にしている様子がない。二木市の魔法少女は他の場所の魔法少女よりも死が身近ではあるが、それでもこれは……。

(……樹里と、似てる)

 さくやは不意にそう思った。口に出せばひかるは激昂するだろうから、胸の内に留めておく。それに、昔のひかるは結菜以外の死にも悲しむ心を持っていた。結菜の死で、どこかが壊れてしまったのだろう。

「これ以上ここにいても何もなさそうだから、ひかるは帰るっす。さくやさんはどうするっすか?」

「……いや、私はもうちょっと見てるよ」

「そうっすか。風邪引かないように気を付けるっすよ」

 ひかるはビルから軽やかに飛び降りた。さくやは再び土手の方角を見た。らんかと共に樹里が帰っていく。少しずつ竜ヶ崎の魔法少女たちも帰り始める。これで彼女たちも樹里の異常さに気付き、忠誠も薄れただろうか。……それとも、その暴力性に更に忠誠を深めただろうか。

 さくやは空を見上げた。月は見えず、一面黒に染まっていた。


【続く】

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