より深く、溺れる
「くふふ……くふふふふっ!」
視界の端で灯花がくるくると回っている。今までに紡いできたウワサを読み返していたのに、集中できない。イブだってこんなにうるさいと起きちゃうかもしれないし(そんなわけはないけど)。僕はうんざりして本を閉じて、灯花に声をかける。
「何がそんなに楽しいんだい」
灯花は回るのをやめて、こっちを振り向いた。それでもなぜか日傘だけはくるくると回し続けている。灯花の表情もいつもより楽しそうだし、いよいよこの喜びの意味が気になる。
「だって、七海やちよたちの邪魔が入ったとはいえ、わたくしたちの解放がこんなに順調に進んでるんだよ?」
七海やちよたちの邪魔。確かに、彼女たちの行動のおかげで僕のウワサが何体も潰された。特に七海やちよは、絶交階段の前にもいくつかウワサを潰されている。迷惑極まりないけれど、計画自体は少し狂ったくらいで大筋としては順調と言える。
「……まあ、そうだね」
「所詮ベテランさんたちも、わたくしたちの掌の上で踊ってるだけ……楽しくて仕方ないに決まってるでしょー!」
灯花の喜びは、意外と些細な理由だった。わからないわけではないけれど。いくら足掻こうが、結局は僕たちの書いた筋書きの上で滑稽に暴れているだけに過ぎない。僕たちはさながら、荒野の上で得意げに飛ぶ孫悟空を眺める玄奘三蔵みたいなものだろうか。
「……むふふっ」
「ほらー、ねむだって笑ってる!」
いけない、つい笑みをこぼしてしまった。咳払いをして目を閉じ、表情を戻そうと努力する。
「ねー、ねむぅー」
その時、瞼越しの視界に影がかかった。灯花の僕を呼ぶ声も、どこか甘さを感じさせるようなものだった。目を開くと、幼いながら整った顔がすぐそこにあった。瞬きする暇もなく、灯花の唇が僕の唇に触れた。数秒して、柔らかな熱が離れる。僕は灯花を見た。灯花の瞳は情欲に潤んでいた。
「アリナが来るかもしれないよ」
僕を抱きしめて地面に押し倒す灯花を諭してみる。どうせあんまり意味もないだろうけど。
「アリナならみふゆの身体を見るのに夢中だから、しばらく来ないよ」
言い方に語弊はあるけれど、大体合っている辺り、アリナも大概だと思う。
「今日のねむが何回気持ちよくなっちゃうか楽しみ! くふふっ!」
「……今の言葉、そっくりそのままお返しするよ。灯花」
灯花のやり方は、人を気持ちよくするための最適解を科学的になぞるようなもので、僕はそこが気に入らない。だけど、いつも最後には灯花の指でヘトヘトにされているから、これも強がりにしかならないんだと思う。
魔法少女服は脱ぐようにできていないから、僕たちは変身を解いた。灯花にキスをされながら、指が制服の裾から入ってくるのを感じた。灯花越しにイブの見下ろすような姿が見える……。
…………。
「なー、そのスマホでゲームさせてくれよ! 超高性能なんだろ? 減るもんじゃねーし!」
「いーやっ! わたくしのスマートフォンはそういうことのためにあるんじゃないの!」
「フェリシア、先に髪を乾かしなさい!」
「やっちゃん、後でワタシの髪も乾かしてくださいね」
この家はいつもこんなに騒がしいのだろうか。だとしたら、きっととても近所迷惑だと思う。僕だったら毎日クレームを入れる。
「|ねむ、眉間に皺が寄ってる。止めたほうがいい?|」
すぐ後ろから桜子の硬い声が聞こえた。彼女はなぜか後ろから僕を抱えてソファに座っている。前に聞いたところでは、「これが合理的」らしい。ある程度は同意できるけど。
「まあ……別にいいよ。本当に迷惑だったら周りの人が止めに来るだろうし。桜子は僕たちに対して過保護すぎるね」
僕は後ろに手を伸ばして、桜子の頭を撫でた。桜子の髪は人間とよく似ているけれど、やっぱりどこか浮世離れしている。
「|私はそういうウワサだから。でも、きっとウワサじゃなくても、ねむたちのことは大切|」
「……うん」
こういうのを心から信じられないのは、きっと僕の悪いところなんだろうね。
「あの、それより……もう遅いから、そろそろ寝ませんか?」
いろはお姉さんが提案する。その横には眠たげなういがいて、お姉さんに寄りかかって幸せそうな顔をしている。
「そうしましょうか。といっても、この人数だと部屋どうしようかしら……」
「|私は寝なくてもいいから大丈夫|」
やちよお姉さんの言葉に、桜子がすぐに反応した。桜子はウワサだから食事が必要なければ、睡眠も必要としない。
「私も今日はういと一緒に寝ようかと」
「んん……おねえちゃん……」
ういの手がいろはお姉さんのパジャマの裾を掴んだ。「すると、あと一部屋……」やちよさんの呟きに、僕は手を上げた。
「僕は灯花と一緒に寝るよ」
「わたくしもそれでいーよ」
灯花はすぐに言った。元々僕たちはそのつもりだった。
「……ねむちゃんたち、一緒にねるの……?」
ういが寝ぼけ眼をちょっとだけ開いて、僕たちを見た。どうしたんだろう。はぶられてると思われたのなら心外だ。
「ういはいろはお姉さんと寝るんでしょ?」
「そうじゃなくて……ねむちゃんと、灯花ちゃん……なにか、おもいだしそうな……」
ういの声は、もうほとんど寝言みたいなものだった。僕と灯花、いろはお姉さんは顔を見合わせて、苦笑した。
「うい、お布団行くよ。立てる?」
「……うん……たてる……」
ういはいろはお姉さんに支えられながら立ち上がって、ゆらゆらと2階への階段を登って、お姉さんの部屋に消えていった。その様子を見守っていたやちよお姉さんは、僕たちのほうを向くと、ふっと相好を崩した。
「私達も寝ましょうか」
僕たちはういの部屋で寝るみたいだった。桜子にベッドまで運んでもらって、灯花のスペースを空けて横になる。
「|それじゃあ、灯花、ねむ。おやすみ|」
桜子は踵を返した。その背中に声をかける。
「今日も行くの?」
「|うん。やっぱりあそこが一番落ち着く|」
「気を付けてね。君はウワサだけど、見た目は一見すると年端も行かない女の子だから……」
「|大丈夫。返り討ちにできる|」
そういうところ含めて言ったんだけどなあ。そう伝える前に、桜子はドアの向こう側へと消えてしまった。立ったままの灯花を見る。
「寝ないのかい?」
「なんだか最近、ねむと桜子仲良くなってない?」
灯花は唇を尖らせていた。灯花は感情がとてもわかりやすくて助かる。
「これでも姉妹だからね。ほら、寝るよ」
「上から目線……! むうううう……!」
灯花はますます唇を尖らせて、照明を常夜灯に変更して、乱暴にベッドに潜り込んできた。肘が当たって痛かった。
「灯花……もう少しそっちに行ってくれないかな」
「ねむが幅を取りすぎなんでしょー!」
寝る前なのに、僕たちは言い合いを始めた。お姉さんたちがいてもいなくても、僕たちは結局いつもこうして言い合っている。その関係が、とても心地良い。言い合っている最中は本当に腹を立ててはいるけど。
そのうちに僕たちは二人とも口数が少なくなって、どちらからともなく眠りについた。
…………。
目の前には白羽根がいた。黒羽根がいた。その中の顔も、何人かのものは見えた。何しろ羽根は数が多かったから、大体は十把一絡げの戦力と認識していて、顔なんてほとんど知らなかった。
でも、見えた顔は、その全てが怒りに歪んでいた。令と郁美の姿もあった。彼女たちの顔も、同じように歪んでいた。
『私達を使い捨てた』
『私達を殺そうとした』
『救済は嘘だった』
違う。そう言おうとしたけれど、口が開かなかった。まるで顎を固定されているみたいに。それに、前二つに関しては、否定することのできない事実でもあった。
『嘘をついた』
『裏切った』
羽根たちのローブはもはや炎じみて揺らめいて、僕を取り囲んでいた。頭が割れるように痛い。僕は頭を押さえて、床を転げ回った。全身が焼けるように熱くて、凍えそうなほどに冷たい。苦しい、誰か、助けて、僕をここから。
「灯花……」
「ねむ!」
はっと目を見開いた。心配そうな表情をした灯花が僕を覗き込んでいる。周囲を見回す。羽根の姿はどこにもない。
「……僕、は」
「ねむ、すっごいうなされてた」
灯花が僕の目尻を指で拭った。そこで僕は自分が泣いていたことに気が付いた。
「羽根が、僕を責めていた」
灯花に聞かれるよりも先に、僕はそう言っていた。灯花は目を伏せた。半ば予期していたみたいだった。それも当然。僕がこうしてうなされるのは初めてじゃないし、灯花だって時々「ごめんなさい」と泣いているから。
「……ねえ、灯花」
僕は灯花を抱き寄せて、口付けた。灯花は何も抵抗せずに受け入れた。
灯花は唯一、僕と罪を共有できる相手。灯花にとってもそれは同じ。僕たちは罪の意識に溺れそうになったとき、こうしてお互いの存在に藁のように縋ろうとする。こんな共依存を続けたとしても、この先に救いなんてないってことは、僕たちは二人とも理解している。理解した上で、今溺れないために、僕たちはお互いに縋る。
みかづき荘は壁が薄いだろうから、隣に声が聞こえてしまわないだろうか。灯花はあんまり声を我慢しようとしないから、そこだけは心配。いろはお姉さんたちにバレたら、どんな反応をされるんだろう。ういに軽蔑されたら、きっと生きていけないな……。灯花の全身の熱と滑らかな肌を掌で感じながら、僕はとりとめもなくそんなことを考えていた。
灯ねむって絶対共依存だよねぇ~~~~~~!!!!!っていうのを4000文字以内に詰め込みました。