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やちよはその顔の作りから自明なように攻められるのに弱い
神浜市。そこは数多の魔法少女が集いし地。魔法少女の活動に定められた時間はない。ゆえに、このような闇深き夜であっても、上空から見れば魔法少女の影のひとつは見つけることができるだろう。そして今日もまた、水名区に彼女たちの姿はあった。……だが、普段と比較すれば今夜は異常な夜だ。高層ビル屋上を駆ける魔法少女の影はひとつふたつではない。少なく見積もっても、およそ10人。彼女たちが追うのは、青色の風。それもまた魔法少女。
白いローブを目深に被った魔法少女……マギウスの翼の構成員である白羽根が2人、青い風を左右から挟み込んで赤熱する剣を生成、投げつける。風は急停止、剣は目の前を通り過ぎる。青の魔法少女は振り向き、背後から迫る白羽根にハルバードを繰り出す。白羽根は新体操選手じみた跳びこみ前転で回避しつつ、頭上をすれ違いざま剣を振り下ろす。剣の軌道は逸れ、長く美しい青髪を幾筋か斬るに留まる。白羽根と青の魔法少女……七海やちよの視線が交錯する。
「やっちゃん!」
やちよの注意はその声の方向に奪われた。彼女はそちらを見た。輝く銀髪の魔法少女……梓みふゆが隣のビルからこちらへと跳び渡ってくる。その背後にも2人の白羽根。違う方向からも数人の白羽根が集まってくる。やちよはその端正な顔をしかめる。少し足を止めただけでこの包囲網。マギウスの翼においても相当な手練れたちと見て間違いない。
「いい加減に諦めたらどうです!」
みふゆは獲物の巨大チャクラムを投げず、その手に握ったままやちよへと迫る! やちよはハルバードで迎え撃つ! 青と銀の風が金属音を立てて吹き荒れ、それはさながら刃の竜巻が如し! 白羽根たちは竜巻を中心に円状の包囲網を完成させ、剣を生成してじっと機を伺う。下手に援護に入ればみふゆの邪魔になってしまうことを、全員が理解しているのだ。
「あなたこそ、しつこいのよ!」
やちよはみふゆの心臓めがけ、ハルバードを突いた! しかし、その突きには迷いがあった。みふゆを傷つけてしまうことへの迷いが。強者同士の戦いにおいて、それは極めて致命的な隙である。みふゆは巨大チャクラムの輪の中にハルバードを通した。そして、思い切り上へ投げた! ハルバードもまたやちよの手を離れ、墨じみて黒い空へ!
やちよは拳を握った。素手にはなったが、それはみふゆも同じだ。ならば五分と同じ。更に言えば、みふゆは接近戦が苦手だ、有利になったとすら言えよう……! しかし、みふゆは不敵に口元を歪め、バトンを受け取るリレー選手のように手を後ろに伸ばした。白羽根の生成せし剣が、その手に収まった。やちよは目を見開く。ドクン……。心臓が強く拍動し、今まさに剣を振るわんとするみふゆの動きが……周囲の動きが緩慢になる。危機的状況にニューロンが加速し、走馬灯じみてこの戦いに至る経緯が思い起こされる……。
◆◆◆◆◆
「おなかいっぱいごはんのウワサがあるらしいわ」
「ねえよ」
やちよの熱の入った声を、フェリシアが一刀両断した。続けて、「お昼ご飯はさっき頂きましたよ……?」とさな、「わたしの中華は食べないのに……」と鶴乃、「もっと現実的なウワサを追いましょう?」といろは。
やちよは部屋にこもって泣いた。みんなの食への追求心のなさに。いろはの予想以上に辛辣な言葉に。しかし彼女は諦めなかった。彼女は夜まで淡々と過ごし、全員が寝静まった頃を狙って一人で外出、おなかいっぱいごはんのウワサ探しを始めたのだ。
ウワサが出現するらしき場所に着いた彼女を待っていたのは、おなかいっぱいごはんのウワサではなく、梓みふゆと白羽根たち……マギウスの翼だった。
「どういうこと……おなかいっぱいごはんのウワサはどこ!? 早く出しなさい!!」
やちよは血走った目で凄んだ。並の魔法少女であれば即座に戦意喪失、寝返りすらしていたかもしれない。だがここにいるのは全員が手練れであり、誰も動じることはなかった。みふゆは一歩踏み出し、告げた。
「いませんよ、そんなウワサは」
「……そんな」
やちよは愕然とした。今日一日、彼女はおなかいっぱいごはんのウワサへの期待に、無い胸を膨らませて過ごしてきた。それが否定されたときの衝撃たるや、ソウルジェムが濁りきってもおかしくはなかった。
「全てワタシが作り出した嘘です。こんな嘘はやっちゃん以外に通用しないことはわかっていました。ですから、それを利用したんです。まんまと引っかかってくれましたね!」
「なんてひどいことをするの、みふゆ……! あなたはそんな子じゃなかった!」
「買い被りすぎですよ」
みふゆはどうでもよさそうに首を横に振り、手を掲げる。
「そんなことより、今日こそ来てもらいますよ……ワタシたちのダブルベッドに!」
控えていた白羽根たちが動き出す。やちよは変身し、身構える……!
◆◆◆◆◆
「あっ」
みふゆの手が滑り、構えた剣があらぬ方向へと射出された。CLUNK、CLUNK……。虚しい金属音を立ててコンクリートに落ち、魔力の粒子となって消える。みふゆは困惑したようにやちよを見た。やちよもまた困惑した目で見返した。
「……やっちゃん!」
仕切り直し、みふゆはやちよに迫りながら万歳するように両手を広げた! やちよは反射的に受け入れるように両腕を広げてしまう。みふゆがこのポーズを取ったらハグのサインであると、彼女の脳には長年をかけて刻み込まれてしまっていたのだ! みふゆはやちよの胸に飛び込んだ。
「ふふっ。やっちゃん、つかまえた」
「もう……あなたは昔からそうやって、他の人がいるのに……」
みふゆが大切そうに抱きしめてくるのに対して、やちよは形だけ抜け出そうもしながらも、満更でもない表情をしている。張り詰めた空気は雲散霧消し、生暖かく緩い空気が辺りを漂っていた。包囲する白羽根の一人がどこからともなくカメラを取り出し、彼女たちの抱き合う姿を撮った。
「ねぇ、やっちゃん」
みふゆはやちよにキスをした。白羽根から悲鳴ともつかぬ声が上がる。彼女たちのキスは深く、舌を絡め合っている。
『来てもらいますよ、マギウスの翼に』
みふゆからのテレパシーに、やちよは目を見開いた。ここに来てようやく、彼女はみふゆの狙いを理解した。だが、遅かった。彼女の思考能力は見る間に失われていっている!
みふゆの作戦はこうだ。まず、やちよにディープキスをする。やちよはその顔の作りから自明なように攻められるのに弱く、その時点で抵抗を少し抑え込める。そこに、触れ合った舌から幻惑魔法を流し込む。幻惑魔法の効果は対象と近いほど強い。接触していれば、その効果は最大となる……! この法則を用いて、みふゆは過去何度も無防備なやちよに魔法をかけ、その肢体を自由に弄んできた!
『そう、作戦だから仕方ないんです……これは作戦だから……あーいい……』
みふゆの思考がテレパシーとなって周囲に漏れる。白羽根の一人が「みふゆさんのイメージ下がってくなあ……」と呟いた。
『そうですね……設定としては、やっちゃんはワタシに才能を見込まれてマギウスの翼に入りました。その覚えはめでたく、やっちゃんはみるみる昇格、やがて翼と外部の窓口……すなわちワタシの専属付き人となります。やっちゃんは最初はワタシが上司ということもあって丁寧に接するんですが、ワタシのだらしなさに段々と慇懃無礼になり、今では呼び捨てな上にタメ口になる始末。あっもちろん部屋もワタシと同じです。ある日、やっちゃんは自分の心の中に生まれた感情に気付きます。そう、ワタシに恋をしてしまったんです。ですがマギウスの翼は単なる利害関係、恋なんてもってのほかです。やっちゃんは悩みますが、ついに感情が爆発してワタシに告白! そこでワタシも同じ気持ちだったことを知り、ワタシたちは付き合い始めたんです! ……と、こんな感じで行きましょうか』
やちよへのまじないはテレパシーによって周囲の白羽根にダダ漏れだ。「翼抜けていい?」「ダメに決まってるでしょ……」白羽根たちの囁き合う声!
「う……」
やちよはみふゆにもたれかかった。「やっちゃん!?」みふゆが慌てる。やちよの意識は洪水のように叩き込まれる情報量に耐えきれなかったのだ。みふゆは暫し考え、やがて頷いた。
「まあ、結果オーライですね!」
気を失ったやちよを抱え、みふゆたちは踵を返してフェントホープへと帰っていく。おお……なんたることか! マギウスの翼による卑劣な罠にかかり、七海やちよは攫われてしまった! 果たして今後のやちよを待つ運命とは……?
◆◆◆◆◆
「ん……?」
窓から差し込む柔らかな陽射しに、やちよは目を覚ました。起き上がり、肌に触れる空気の感覚に違和感を覚える。目を開いて自分の身体を見下ろせば、一糸纏わぬ白い肌。
「……!?」
やちよは隣を見た。幸せそうな顔をしたみふゆがすやすやと眠っている。やちよは恐る恐る覗き込む……みふゆもまた、服を着ていない。
「これ、は……!?」
「んん……うるさいです、やっちゃん……」
みふゆがもごもごと声を発した。やちよは思い出した。みふゆにキスをされたこと……絡めた舌から幻惑魔法を流されたことを。現在は既に幻惑は解けている。
「みふゆ、答えなさい。どうして私たちは裸なの」
「んぅ……ワタシ、まだ起きてないのでわかりません……」
「ちょっと……」
「誰かが起こしてくれないと……おはようのキスがないとワタシ起きられません……」
「もう……」
やちよはため息を吐いた。かつてみふゆがみかづき荘に泊まりに来たとき、よくしてきたわがままだ。やちよは顔を寄せ、みふゆの唇に自らのそれを触れ合わせた。みふゆはやちよの背中に腕を回し、ぐるりと身体を回転させて組み敷き、舌を入れる。
「ん、うっ……みふ、ゆ……」
やちよは抵抗できずに舌を受け入れてしまう。たっぷり10秒は舌を絡め合い、ようやくみふゆは唇を離した。唇の間に繋がった銀色の糸がぷつんと切れる。
「ふふっ……おはようございます、やっちゃん」
「はっ、はぁっ……おはよう、みふゆ……さっきの質問、答えてくれる……?」
「んー……単純な話ですよ? やっちゃんの身体を綺麗にしてあげただけです」
「なら……あなたまで裸な理由の説明がつかないわ……」
「それも単純な話です」
みふゆの手がやちよの剥き出しの腹部に触れる。やちよの身体が跳ねる。
「やっちゃんと全然出来なくて、ずっと欲求不満だったんです。朝起きてすぐにこうシたいに決まってるじゃないですか」
「ちょ、っと……みふゆ……まだ、朝……んぁっ!」
「ああ、久しぶりのやっちゃんの身体……記憶の何倍も美しくて扇情的です……!」
…………。
朝食のトレイを持った黒羽根は扉から耳を離し、頭を振ってトレイを床に置いた。目深に被ったローブから微かに覗く頬は赤い。
「ん、どうした」
踵を返した黒羽根の後ろを、ちょうど白羽根が通りかかる。黒羽根は口をもごもごと動かし、何も言えずに扉を指差した。白羽根はそれで全てを察し、「気に病むな」と黒羽根の肩を叩く。
「……あの……」
「なんだ」
黒羽根はもじもじと太ももを擦り合わせている。ローブの奥、白羽根は目を細めた。
「……な、なんでもありません! 失礼しました!」
黒羽根は頭を下げ、慌てて去ろうとした。その肩を白羽根が掴み、引き寄せた。
「部屋に来るか?」
「……!」
黒羽根の顔が真っ赤に染まった。……やがて頷き、白羽根のローブの端を握った。白羽根は妖しく笑み、黒羽根を伴って自室へと向かう。
噫、なんたるマギウスの翼の乱れし風紀か! しかし年頃の少女が集う閉鎖空間において、この程度は日常茶飯事である。最年長であるみふゆでさえ乱れに加担している。惨状を止めようとする者は誰もいない……!
…………。
「ふぅ……朝から汗をかいてしまいましたね」
みふゆはベッドから降りて立ち上がる。その背後、ビクビクとやちよが震えている。その首筋や胸元には赤い華が咲いている。
「お風呂に入りましょうか。やっちゃん、立てますか?」
「……馬鹿に、しないで……!」
やちよは差し伸べられた手を払って立ち上がる。その足元はよろよろとしており、誰が見ても不安定だ。
「フェントホープが誇るロイヤルバスルームはこっちですよ」
みふゆはやちよを先導する。やちよはそちらへ歩き、唖然とした。まるで一級のホテルのようなバスルームが彼女の目の前にあった。否、バスルームだけではない。振り返ってみれば、周囲の調度、先程まで寝かされていたベッド……その全てが一級品だ。ランクで言えばみかづき荘のものよりも数段上だろう。
「ね、フェントホープに住みたくなりましたか?」
やちよの耳もとでみふゆが囁く。それはさながら悪魔の囁きじみていた。やちよは振り払い、抵抗するようにみふゆを睨み付ける。
「絶対に負けないわよ……そんな誘惑に……!」
みふゆはさして傷ついた様子もなく、微笑みを返してバスルームに入る。
「その強がり、いつまで続くか楽しみです。でも、今はとりあえず汗を流しましょう」
みふゆが手招きする。やちよはやや悩み、後に続いてバスルームへと入った。みふゆがすりガラスのドアを閉め、壁に埋め込まれた宝石に手をかざす。魔力信号が伝い、ノズルからシャワーが流れだす。
「ほら、やっちゃん」
みふゆがノズルをやちよのほうに向けた。「ちょっと……!」と嫌がる素振りを見せつつも、温かなシャワーが身体の汗を洗い流す感覚に、やちよは自然とリラックスしてしまう。
「背中流しますよ。座ってください」
「……変なことするつもりでしょう」
「失礼ですね」
みふゆは憮然とした表情を作った。やちよは警戒しながら後ろを向き、屈み込む。
意外なことに、みふゆは何も異常なことをせず、普通にやちよの背中を洗った。やちよはやや拍子抜けしつつ、交代してみふゆの背中を流した。攫われた状況に似合わぬ、安らいだ時間だった。
やちよは先に湯船に入った。湯船は人が3人入っても充分足を伸ばせそうなほどの広さだった。やちよは髪を洗うみふゆを見る。みふゆの猫のような癖毛は、濡れていることなど意に介さないように元気に跳ねている。
「……ふぅ」
みふゆはトリートメントを洗い流し、やちよを見た。湯船に入ろうとしているのだろう。広さからしてそんな必要はないのに、普段の癖でやちよはスペースを空けるために少しだけ足を縮こまらせる。みふゆは湯船に浸かった。……やちよに抱きつくように。
「変なことはしないって言ったでしょう……!」
やちよは眉をひそめる。みふゆはとぼけるように首を傾げる。
「失礼とは言いましたけど……しないなんて言ってませんよ?」
みふゆは身体をより密着させ、やちよにキスをする。当然のように舌が入れられる。やちよはお腹の奥の疼きを感じながら、のぼせそうな気持ちになった。
みふゆの手が妖しく動き、やちよの太ももに乗せられる。やちよはみふゆを引き剥がし、荒い息をつく。
「はぁっ……色仕掛けの、つもり、はぁっ……かもしれないけど……私は、絶対負けないわよ……!」
やちよは潤んだ瞳でみふゆを上目遣いに睨んだ。みふゆは背筋をゾクゾクと快感の電流が流れたのを感じた。
みふゆはやちよを獣のように貪った。その間、やちよの嬌声はずっと響いていた。それが止んだのは、魔力電波時計が10時を示した頃だった。彼女たちは風呂を上がると、遅めの冷めた朝食を摂った。
◆◆◆◆◆
それから、彼女たちはホテルフェントホープで幸せな時を過ごした。やちよは口癖のように「負けないわよ」や「今すぐにでもこんなところ抜け出す」と繰り返していたが、ほぼ常にみふゆの指や舌で骨抜きにされていたため、実行に移されることはなかった。
しかし、幸せは長くは続かなかった。
「やっちゃん」
やちよが攫われてから3日後。この日の2人は珍しく服を着ており、行為もしていなかった。彼女たちはベッドに寝そべって抱き合っている。
「なぁに?」
「ワタシのこと、どれくらい好きですか?」
彼女たちの砂糖菓子のように甘ったるい声は、数日前まで対立していたことなど忘却の彼方に追いやったかのようだ。
「それ……言わないとダメ?」
「……言わなくても構いませんよ? やっちゃんと口をきかなくなるだけですから」
みふゆはわざとらしく拗ねるように頬を膨らませた。やちよはその頬にキスをする。
「大好きよ。私にはそうやって甘えてくれるところとか」
「ふふっ……ワタシも大好きですよ。こうやって甘えちゃうくらい」
2人は見つめあい、どちらからともなくキスをした。少しして離れ、笑いあった。
KNOCK、KNOCK。その時、ドアが叩かれた。みふゆはそちらを鬱陶しそうに見やる。
「なんですか? ワタシは取り込み中です」
「そうかい」
その声にみふゆは息を呑み、「きゃぁっ!?」慌ててやちよをシーツで隠す。ドアが開けられる。その向こうから現れたのは、柊ねむ! 「入るよー」里見灯花! 「なんだ、裸じゃないとか……ザンネン」アリナ・グレイ! マギウスの3人だ!
「珍しいですね、ここまで出向くなんて」
みふゆは平静を取り繕ってマギウスを迎える。ねむはみふゆの背後、不自然に膨らんだベッドを見る。
「そこにいるのは七海やちよだろう。隠しても意味はないよ」
バレている。みふゆのこめかみを冷や汗が流れる。そもそもやちよ誘拐は彼女による独断専行だった。そのことに関して、なんらかの罰が与えられる……彼女の危惧はそれだ。
「厳密には、七海やちよを連れ込んだ件を話しに来たわけじゃないけど……似たようなものだね」
ねむは携帯端末を取り出し、みふゆに投げてよこした。みふゆは画面を見る……映っていたのは、部屋で睦み合う羽根たちの、角度や写りからして恐らく隠し撮りと思われる写真。それも1枚や2枚ではない。
「……これが何か?」
みふゆは尚も平静を装う。この程度は以前から行われていることだ、やちよが来てからの話ではない。
「外に出てないならわからないかもね。とは言っても僕たちも今日知ったんだが……っと」
ねむはよろめいた。それを灯花が支え、「気をつけてよね!」と怒る。
「これでも気をつけてるよ。そんな話じゃなくて……七海やちよが来てから、フェントホープの風紀は大いに乱れた。異性愛者だった者たちまで羽根同士で性行為に励んでいる。僕たちが推察するに、原因は君たちの痴態だ。みんな知っているよ、あの梓みふゆと七海やちよが昼夜問わず性行為に明け暮れているって」
ねむは探るようにみふゆを凝視する。みふゆは歯噛みし、苦し紛れの反撃を行う。
「でも、それはマギウスだってしてることじゃないですか。アリナ、あなたはこの3日間何をしていたんですか?」
これはブラフだ。みふゆは反撃材料に足る証拠は持っていないが、マギウスが3人とも同じようなことをしているという噂は聞き及んでいる。みふゆは3人がボロを出すことに賭けたのだ。
「アリナはここ数日、絵のレッスンってウソついてフールガールのカラダを自由にしてただけなんですケド。それが?」
「なっ……」
アリナの言葉はあまりにも明け透けだった。何のプロブレムがあるのか……そう主張するかのように。
「僕は3日前にちょうど新しくウワサを作ってね。灯花は無防備になってた僕のお世話さ」
先手を打つようにねむが言った。「万が一死んでるときに狙われたらどうしようもないもんね」と灯花。
「し、しかし……ねむたちはともかく、アリナの行為は風紀が……下の羽根たちに示しがつかなく……」
「アリナはマギウスだからね。多少の特権は赦されるよ」
ねむの口調は当然のことを子供に言い聞かせるかのようだった。みふゆは愕然とする。最高幹部とそれ以外にここまでの格差があろうとは……!
「それで、みふゆと七海やちよの処遇だけど……どうする?」
みふゆの心境をよそに、ねむが2人に問いかけた。アリナは変身し、その掌に結界のキューブを出現させる。
「ベテランだけデリートしてエンド。それが一番シンプルだよネ」
「もうアートのモデルになってあげませんよ」
「デリート以外の方法を考えるべきだと思うワケ」
アリナはすぐさま変身を解除した。ねむはため息を吐いた。
「それなら、鎖にでも繋いで飼い殺しておけばいいんじゃないかな。洗脳なりして駒として使うにはエゴが強すぎるし」
「やっちゃんをそんな酷い目に遭わせられません!」
「ねぇ、ほんとみふゆいい加減にしてよね」
やちよを庇うように仁王立ちするみふゆに対して、灯花はらしからぬ低い声を発した。「灯花?」と、ねむでさえも不思議そうに声をかける。
「みふゆのせいでどれだけねむが苦しんでると思ってるの……? わたくしは忘れてないからね。口寄せ神社のウワサをなんとなく気に食わないからって何度も作り直させてたの」
俯いて震える灯花。普段の癇癪とどこか違うことをみふゆは読み取った。ねむは気付かずに反論する。
「あれは僕も同意の上だよ。確かに最初は完成度が低かった。ページをちぎる時は、自分の子供を殺すようで少し心苦しかったけどね。……それにしても、随分感情的だね」
ねむは小馬鹿にするように付け足した。灯花は顔を上げた。その瞳には、今にもこぼれそうな涙。
「ねむもねむだよ!」
灯花の叫びに、ねむは呆気に取られた表情になる。普段から喧嘩は頻繁にしている。それでも、こんなふうに泣きながら怒られたことは、未だかつてなかった。
「ねむがウワサを作るたびに、わたくしがどれだけ心配してると思ってるの! もう次は起きないんじゃないか、もうわたくしと話してくれなくなるんじゃないかって……!」
灯花はねむの胸に飛び込んだ。ねむは支えきれず、一緒に尻もちをついてしまう。
「もっと自分の命を大切にしてよ……ねむ……」
灯花はねむの胸を弱々しく叩き、嗚咽した。ねむは取るべき行動を決めかねるかのように空中に視線を彷徨わせ、やがて灯花の頭に手を置いた。
「いつも憎たらしいくらいに論理的な君らしくないね。僕がウワサを作っても死なないのなんて、とっくに証明済みなのに」
「それでも……次は何が起こるかわからない……少しの条件の差で、取り返しのつかない結果になっちゃうかも……」
「それに、こんなところでは死なないよ。そんなことになったら僕は無駄死にだ。大丈夫。灯花より長生きするつもり……冗談を言える雰囲気でもないね、まったく……灯花を置いて先に死ぬつもりはないから」
ねむは灯花の頭を優しく撫でる。その瞳は我が子を慈しむ母親のように細められている。灯花は更に激しく嗚咽し、命の火を確かめるように強く抱きしめた。
「感動的です……!」
美しい光景に自らの過去を勝手に重ね合わせ、みふゆはどこからともなく取り出したハンカチで涙を拭った。やちよは場の空気にいまいち乗り切れず、なんとはなしに部屋を見回す。
「……アリナは?」
ふと、アリナがいなくなっていることに気付く。その理由はすぐにわかった。みふゆの部屋の壁に、どす黒い七色で大きく「飽きた」と書かれていたからだ。
◆◆◆◆◆
みふゆの必死の訴えも虚しく、やちよを自分のメイドとして迎える案は却下された。マギウスの2人(1人は帰った)によって下された判決は、七海やちよの強制送還。これ以上の譲歩を引き出すことは、情緒不安定な灯花からは不可能なようだった。みふゆはやちよを連れて、トボトボとフェントホープの敷地外を目指す。やちよも何も言わず、黙って後ろを付いていく。
やがて、彼女たちは敷地の内と外を隔てる魔法の境界へと到着した。それなりの時間歩いたはずなのに、みふゆは数分も歩いた気がしなかった。
「ここで、お別れです」
みふゆは振り向いた。やちよはみふゆを見た。その瞳には微かに寂しげな色が宿っている。寂しく感じているのが自分だけではなかったと知り、みふゆは少し救われた気持ちになった。
「あなたたちとは敵だから、こんなこと言っちゃいけないんでしょうけど……この数日、昔に戻ったみたいで楽しかったわ」
「やっちゃん……!」
みふゆは堪え切れずやちよに抱きつき、キスをした。これが今生の別れとでも言うかのように、熱烈に、長く。周りには鳥もいなければ風も吹いていない、まるで自然も彼女たちの別れを静かに見守るかのようだ。
無論、2人どちらにもこれを今生の別れにするつもりはない。みふゆは解放によって、魔法少女に定められた運命を否定する。たとえその過程でやちよと対立することになろうとも、その果ての希望に向かう。……ならば、やちよは?
「ねぇ、みふゆ」
やちよは唇を離した。みふゆは瞬きした。やちよの瞳は、この状況には似つかわしくない笑みの形に細められていた。
「私、いいこと思いついたのよ」
「いいことって……?」
「こうすれば、あなたと離れずに済むわよね」
やちよはみふゆを抱え上げた。突然の事態にみふゆは目を白黒させる。
「さあ、みかづき荘に帰るわよ」
やちよは踵を返し、魔法少女の速度でみかづき荘を目指す! 一瞬、みふゆは抵抗しようとした。自分にはマギウスの翼がある、離れるわけにはいかないと。しかし、やちよにお姫様抱っこをされ、連れ去られているという事実を認識し……溢れ出る幸せな気持ちが全てを押し流した。
「責任、取ってもらいますからね……?」
みふゆはやちよの首に手を回した。彼女はマギウスの翼よりも、七海やちよを優先した。
◆◆◆◆◆
「という経緯があったのよ」
みかづき荘リビングで、やちよはシリアスな表情で言った。その横では「やっちゃ〜ん」と鳴くみふゆが抱きつき、頬を擦り合わせている。
向かいに座るいろはたちは無言。空気は凝固したかのように重い。やがて、フェリシアが全員の気持ちを代弁するように「ハァ?」と言った。